2010年4月18日
於:新国立劇場オペラパレス(11列中央ブロック)

ドニゼッティ:愛の妙薬

アディーナ:タチアナ・リスニック
ネモリーノ:ジョセフ・カレヤ
ベルコーレ:与那城 敬
ドゥルカマーラ:ブルーノ・デ・シモーネ
ジャンネッタ:九嶋香奈枝

演出:チェーザレ・リエヴィ
指揮:パオロ・オルミ
演奏:東京フィルハーモニー

愛の妙薬は全編美しい音楽でいっぱいだ。こんなに音楽の泉を浪費していいんだろうかと思うくらいだ。それくらいドニゼッティは天才だったのだろう。ストーリーはバカバカしいが音楽と歌でとても楽しいオペラである。声の饗宴を楽しみにして会場に入った。
しかしそれをぶち壊したのは演出。相変わらず演劇出身の人らしい。我が家にはCDやDVDが何種類かある。主にDVDを楽しんでいる。

イタリア歌劇団、日本公演1959年(タリアヴィーニがネモリーノ)
ウイーン国立歌劇場ライブ、2005年、ウイーン

の二枚である。タリアヴィーニのはモノクロで音もモノラルで悪い。セットはいわゆる張りぼてである。しかしこのオペラを楽しむのに何の過不足もない。どころでなくそれ以上である。もちろんタリアヴィーニは素晴らしいがその他の配役も歌、演技とも立派である。ウイーンのものはビリャソン、ネトレプコである。悪いはずはない。それとなんとベルコーレがレオ・ヌッチだしドゥルカマーラがダルカンジェロであり、もう全編歌の饗宴である。レオ・ヌッチの怪演はほんとうに目を見張るものがある。こんなメンバーだからかもしれないが装置などはト書き通りで何の変哲ないものであるが、この公演を見た印象は唯一無二である。とにかく演出より歌なのである。このオペラはそういうオペラではないか?

しかし今夜の演出や装置は実に煩わしい。時代も場所も特定できない設定にしてある。そしてテーマは本だそうな。字が読めるのはアディーナだけで彼女が読んだトリスタンとイゾルデの物語を字の読めないネモリーノが信じてしまうということらしい。しかしもともとネモリーノは純真・純朴な農民だから愛の妙薬なんて信じてしまったという設定ではないのか?またベルコーレは軍人でもともと色男の女たらしの設定であるからその他の農民たちとは対等に描かれているが、今日の演出では暴力による権力をにおわせていた。このオペラは権力者がいない珍しいブッファなのだ。みんな平等だからそれぞれのキャラクターが浮き彫りなってこのくだらない話に深みをもたらしているのだ。今日の演出はその基本の構造をぶち壊している。だから楽しめない。

舞台上は巨大な本が何冊も屹立しておりそれが舞台を横に仕切っている。またアルファベットの妙薬を表わす文字が常に舞台のどこかに横たわっている。衣装はカラフルで原色がいっぱい。髪も真っ赤や紫に染めていてファンタジックにはなっている。しかし意図するところが伝わらない。(少なくても私には)どうしてウイーンのような一幕は農家の庭で二幕は居酒屋の前では駄目なんだろうか?いろいろ笑いも仕掛けているようだが全くおかしくない。演出のせいか歌手の演技が生硬なのである。ブッファの楽しさはあまり感じられない演出だと思った。

歌手はどうか、よかったのはネモリーノ、良く通る明るい声で主役にふさわしい。ロマンツァも美しいが、歌っている時に空からビラが落ちてくるのでいらいらさせられる。聴きどころぐらい余計な演出は不要なのではないだろうか?ドゥルカマーラのシモーネは昨年のチェネレントラでドンマニフィコを歌っていたが、その時も出だしはちょっと冴えなかった。しかししり上がりに良くなった。今日も同じで後半は良かった。ドゥルカマーラはなんと軽飛行機に乗って登場する。
アディーナは少々声量が足りないのではないか?この公演が声の饗宴にならなかった原因の一つには彼女の声にあったような気がする。ベルコーレはヌッチの怪演が耳に残っていて与那城には気の毒だが、演出のせいでどうみても色男のユーモラスな女たらしには見えなかった。暴力的な軍人の性格を感じた。

歌は不完全燃焼だったがオーケストラは素晴らしい。オルミの指揮は快適なテンポで実に気持ちが良い。ここで救われた気持ち。オーケストラに拍手。
                                 〆