ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

タグ:日本史

イメージ 1

2019年2月24日

「決定版・日中戦争」、波多野澄雄他著、新潮新書

決定版と銘打っているだけあって、とてもうまくまとめてあり面白く読んだ。5人の研究者による分冊だが、内容は統一されておりバラバラの感覚は皆無に近い。

 本書のスタートは張作霖の爆殺で年表もそこから始まっている、そして満州事変に続く泥沼が終戦まで続く。そして読み終わっての印象だがいくつかある。
 依然わからないことがいくつかあるのだ。軍部はぎりぎりまでアメリカと戦争をしてもかなわないと思っていたのに、なぜ戦いを挑んだのだろうか?追いつめられて、やけのやんぱちで始めたとしか思えないのだが、優秀な人材が集まった軍部が、それも若い俊秀たちが、どうしてその道を選んだのか?私には永遠の謎である。

 歴史に「もし」はないだろうが、もし石原莞爾の云うように日本は満州経営に専念して、中国の侵略という野心を持たなければ、そして国際連盟を脱退しなければいかなる道が待っていたのだろうか?満州にのみ駐兵と云うことであれば、対共産ソ連という戦略はアメリカにも理解されたのではないかとも思えるのだ。
 そして、上海事変から南京、重慶への侵略の意図はどこにあったのか、これも不思議な戦争だ。本書ではその経緯は書かれているが、意思決定プロセスがよくわからないのは、このころの日本の政治体制の欠陥だったのだろうか?

 本書で興味深かったのは、カイロ会談~ポツダム宣言~サンフランシスコ講和条約の中国の役割である。要するにそれが今日につながっていると云うのである。詳しくは読んでいただきたいが、この部分は良い勉強になった。
 日中戦争について頭の整理をするには最適の作品だと思う。

イメージ 1

2019年1月4日

「潜伏キリシタンの真実」、時空旅人編集部編、サンエイ新書

昨年の10月に「潜伏キリシタンの真実」という本を読み、隠れキリシタンや日本におけるキリスト教の受容史についていろいろ教えられた。学者の丁寧な資料も面白かったし、いかに何も知らなかったかがよく分かった。その後「島原の乱」についての資料も読み飯島氏の「出星前夜」という作品のさらなる理解を深めることができたように思った。

 今回読んだ本は過去に読んだほんとは幾分肌合いが違う。200ページに満たない新書版だが、中身は相当欲張りである。そういう意味では、キリスト教についての入門編といえよう。まあタイトルとはかなりかけ離れた内容のように感じたが!
 本書の構成は最初の1/3はキリスト教そのものの歴史、かなり簡潔だがわかりやすい。中間の1/3は潜伏キリシタン/隠れキリシタンについての記述。これが本線のはずだし、隠れキリシタンについて読みたかったのだが、案外とさっぱりとした、探訪記のような内容で少々肩透かし。そしてさいごの1/3は現代に置ける日本のキリスト教の受容についての記述。途中加藤一二三氏のキリスト教信仰の話などが唐突に混ざり、全体を読んだ印象としては、何かごった煮を食わされたような気分。キリスト教徒のかたやキリスト教に詳しい方は読む必要なし。

イメージ 1

イメージ 2

2018年11月6日

「島原の乱・キリシタン信仰と武装蜂起」、神田千里著、講談社学術文庫

本書は飯島和一氏の、島原の乱を背景にした小説「出星前夜」をよんで、島原の乱の実態とはいかなるものだったのかということに興味を持ち、たまたま本書が2005年の新書版から今年の文庫版に模様替えするというタイミングで読む機会を得た。
 本書を読むとまず感じるのは膨大な資料類の活用、引用である。文中の引用表示や巻末の資料類をみるとその多さに驚いてしまう。
 飯島氏の「出星前夜」の描き方は島原や天草の農民たちが領主の圧政に耐えかねて、国人(旧武士階級、領主の転封などにより土着となった)をリーダーに立ち上がったというストーリーで、それに一度は棄教したキリシタン信仰が絡まるというようになっている。
 神田氏の本作では島原の乱はキリシタンによる宗教一揆だと言い切っている。もちろん領主の圧政はひとつのきっかけであるが、肝ではないという。一揆の中心は立ち返りキリシタン、すなわちいったん棄教したキリシタンが今一度改宗する、そういう人々が中心である。棄教した罰が飢饉であり,天災だった。再び改宗することにより、神の許しを得、キリシタン禁教以前のキリシタン大名が支配した国を理想として立ち上がったというのである。
 2005年に書かれた本作の後、いくつかの研究が発表されており、著者も巻末の文庫本後書きに、それらの研究に対して丁寧な評を書き加えている。著者の研究者としての真摯な態度に敬意を表したい。史実は政権によっていくらでも書き加えられるのでもう500年近く前の反乱の実態をつかまえるのは困難だとおもうが、本作によって島原の乱の実像に少しでも近づいたような気がする。
〆  

イメージ 1

2018年8月28日

「戦国日本と大航海時代」、平川 新著、中公新書

これは実に面白い本だ。最近読んだ小説で「大地に燦たり」や「聖夜航行」の2冊がちょうど本作で取り上げられた時代であり、2つの小説の時代背景が実によくわかる。もしこの2冊の作品をこれからお読みになる方は、この新書本を先に読むと一層面白いだろう。

 さて、本作は戦国時代から徳川秀忠が鎖国をするまでのおよそ100年の日本の外交史を描いている。

まず、日本の外交といっても、この戦国時代は、国として統一したものがあったわけではなく、特にポルトガル人らが日本にくるようになってからは、九州の大名たちがそれぞれ独自に海外と通交を行っているという。これが統一した外交となるのはもう家康の最晩年であるという。伊達政宗が支倉常長をメキシコやスペインに派遣したのが個別外交の最後である。
 しかしながら、国家の統一の過程で登場した3人の英雄、つまり信長、秀吉、そして家康には共通の外交ポリシーがあった。ざっくり云うとそれは第一にはその当時世界を二分した大国ポルトガルとスペインに対する姿勢である。三者三様ではあるが、日本の英雄たちはこの両大国とは対等の国として対応したということである。その思考の中で秀吉の朝鮮~大明国への侵略があり、さらには秀吉はルソンへの侵略すら考えていたという。その思考の背景には戦国時代を通じて培われた強大な軍事力がある。その当時の世界で秀吉が征明に一度に動員した30万人もの兵を用意する国などなかったからである。そしてこれが他の国がスペインやポルトガルの植民地になったのに、日本がそれをはねのけることができた要因としている。

 第二にキリスト教と通商の考えである。これもざっくり云ってしまえば、信長、秀吉、家康は決してその教義に共感し、クリスチャンにならなかったわけで、彼らには海外との通商が魅力だったというわけである。それに対して、ポルトガルやスペインは、布教と通商はあくまでもセットとというスタンスだった。しかもスペインらの手法は布教を通じて当該国に浸透し植民地にしてしまうということで、それはイギリスやオランダの告げ口以前に日本の3人の英雄たちは先刻認識していたことなのである。しかし通商による莫大な利益は魅力であり、新鮮である。キリシタン禁令は何度も出るが、結局秀忠の時代までは通商と布教の間で、日本の為政者の心も揺れ動いて、なかなか徹底されなかったのはそういう背景であるという。


 その他本書では興味深い記述が満載であり、この時代に関心の高い方には大いに参考になるのではないかと思う。新書ではもったいないくらいの内容であった。

イメージ 1

2018年6月19日

「陰謀の日本中世史」、呉座勇一著、角川新書

「応仁の乱」がベストセラーになったので、柳の下の泥鰌じゃないが、続けてお書きになったかと思ったら、企画としてはこちらが先だったらしい。
 源平の時代から、関ヶ原まで、あまたの戦乱や事件が起きたが、そのくわだてがそもいかに行われたのか。ある特定の人物の陰謀による謀だったのかは小説などでいろいろと説が論じられている。
 本書でも取り上げられている、明智光秀の謀反が良い例だろう。呉座氏によればこの本能寺の歴史的意義は信長が死んで秀吉が台頭したことに尽きるという。学者にとってはその結果がすべてであって、光秀がなぜ謀反をしたかとか、黒幕がいたかなどということは些末なことであるらしい。したがって本能寺の変のような事件の原因やたとえば黒幕説などを研究するのは、学問的には意義のないことだというのである。
 しかし、それでやめないのが呉座氏であって、後書きにある3つの理由で、学者としても陰謀論にまともに取り組む必要がある云う。ここがみそなので内容は書かない。

 本書はそういう立場で武士の台頭、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、本能寺の変、関ヶ原への道などについて、巷間言われている陰謀論を列挙しそれに対して学者としての解説を入れ、自らの説も開陳するという構成となっている。中世史をそのような目で見てゆくと案外腹黒い陰謀などはなく、水か高いところから低いところへ流れるように戦争や裏切りや事件が起きているのだと改めて感じた。事実は小説より奇なりというものの、歴史については小説で読んだほうが、学者の七めんどくさい子理屈より、ずっと面白いということもよく分かった。

↑このページのトップヘ