ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

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パレスホテルのクラウンというフランス料理のお店でなんとピアノ型のチョコレートケーキがデザートに出てきました。美味なのもさることながら形がまるでグランドピアノそのもの。鍵盤も蓋も足もありました。

2009年11月18日
第455回新日本フィルハーモニー定期演奏会

於:サントリーホール(9列、右ブロック)

マーラー:交響曲第八番「一千人の交響曲」

指揮:クリスティアン・アルミンク

ソプラノ:マヌエラ・ウール(いと罪深き女)
     宮平真希子(贖罪の女にひとり、かつてグレートヒェンといった女)
     安井陽子(栄光の聖母)

アルト:アレクサンドラ・ペーターザマー(サマリアの女)
    清水真澄(エジプトのマリア)
テノール:ジョン・ウィラーズ(マリア崇拝の博士)
バリトン:ユルゲン・リン(法悦の教父)
バス:ロベルト・ホルツァー(瞑想する教父)

合唱:
武蔵野音大室内合唱団、栗友会合唱団、東京少年少女合唱団


今年7月に東響によるものに引き続き今年2回目のマーラーの八番である。一年に2回もこの大曲が聴けるなんて良い時代になったものだ。それもかなりの水準である。昔はホルンは外しっぱなしとかミスも目立ったが今はほとんど傷がない。オーケストラのレベルが上がったということだろう。後はその技術プラス音色だろう。先日のライプチッヒ・ゲヴァントハウスの音には圧倒されたが日本のオーケストラに欠けているのはこの音色ではないだろうか?

さてマーラーの八番については7月の公演の際にも書いたが西洋のキリスト教文化やその他の教養のるつぼの様なゲーテのファウストを二部に持ってきた大作である。よりこの曲を理解するにはまだまだファウストを深く読み込まなくてはならないと思っているが今夜は音に浸ろうと思う。

アルミンクは6月のマーラーの九番ではがっかりさせられた。詳しくはその時のリポートを参照願いたい。今夜はどうか。結論から言えば見違えるようによかった。あの大げさな身振りも影を潜め耳まで真っ赤にして音楽に没入しているのがひしひしと感じられた。特に第二部のはじめ「森の梢、揺らぎて・・」
から法悦の教父が歌いだすまでの静かな音楽は美しくいつもは長くて仕方がないのにあっという間に過ぎ去ってしまった。またマリア崇拝の博士の「ここは見晴らしが開け・・」がおわり贖罪の女たちの合唱に入るまでの管弦楽の素晴らしさ、栄光の聖母からマリア崇拝の博士の「仰ぎまつれ・・」そして最後の神秘の合唱をゆっくりしたテンポで演奏し深い感銘を与えてくれた。今夜のアルミンクはスケールの大きさを感じた。

演奏時間は82分56秒、ショルティ/シカゴより遅く、バーンスタイ/ウイーンより速い。特に二部は決して性急にならず音楽に浸れるテンポだったと思う。

歌手陣はどうか。良かったのはアルトのペーターザマー、余裕のある深い声、そしてソプラノの宮原`も最初は声が出ないように感じたが「気高い霊の群れに取り囲まれて・・・」など透明な声でグレートヒェンにふさわしい。安井`は新国立で魔笛の夜の女王を熱演した実力者、今夜も荘厳な声が天から降りてきた。ソプラノのウールはきれいな声だが線が細いように聴こえた。

男性陣はテノールは少々苦しげで不安定なところあり、ユルゲンリンはアルベリヒみたいでこの曲には合わないように感じた。ホルツァーは少々声量が物足りないということで女性陣が良かった。

合唱はさすがに400人近くで歌うと第一部冒頭などはオーケストラが負けそうなくらいの迫力だった。

今夜の席は9列目の右のためかなり舞台に近く日ごろ聴く17-9列目とは感じが違う。部分的に強調されたような場面も何箇所かあった。また舞台右奥の合唱団は全く見えずこれでS席とはがっかりさせられる。友人が二階の前から10数番目だったそうでそこはB席で非常に良かったと言っていた。ちょっと席の区分けがおかしいのではないかと感じた。

このごろ首振りおじさん、おばさんが多い。音楽に合わせて体が動くのはある程度はやむを得ないが今夜のおじさんは度を越していた。ポップスやロックとは少々違うジャンルの音楽と思うのだが、間違っているのだろうか?

なおバンダは舞台に向かって二階席の右奥でした。

                              終わり

2009年6月14日
新国立劇場オペラ公演
ロッシーニ:チェネレントラ

演奏者
ドン・ラミーロ;アントニーノ・シラクーザ
ダンディーニ;ロベルト・デ・カンディア
ドン・マニフィコ;ブルーノ・デ・シモーネ
チェネレントラ(アンジェリーナ);ヴェッセリーナ・カサロヴァ
アリドーロ;ギュンター・クロイスベック
クロリンダ;幸田浩子
ティーズペ;清水華澄

演出;ジャン・ピエール・ポネル
指揮;ディヴィッド・サイラス

チェネレントラすなわちシンデレラはロッシーニ25歳の作品、あの有名なセヴィリアの理髪師の翌年に初演された。シンデレラというとおとぎ話ではあるがロッシーニはそれをメルヘンティックにしないで大人が鑑賞するに堪えうるオペラにした。ただしもとねたはグリム童話ではなくペローのほうである。風刺もあり教訓もある。

この曲はシャイー/バリトリ/ボローニャのCDで初めて知った。セヴィリアに比べると魅力的な曲は少ないがアンサンブルや独唱で聴かせる曲がいくつかあり今日の公演を楽しみにしていた。それよりなによりカサロヴァがどのような歌唱を聴かせるかに注目していた。前にも記したが今年来日して演奏会形式でカルメンを歌ったがとてもがっかりしたからである。

さて、今日はどうか!一言でいえばとてもよかった。やはり相性のようなものがあってまさに水を得た魚のよう。舞台映えするし芝居も下手ではなくなにより生き生きしている。特に第二幕のフィナーレの「私の復讐は許すことです」から最後までの歌唱は本当に感動した。まさかシンデレラで目に涙するとは思わなかった。是非ロジーナを聴きたいなあと感じた。

シラクーザのドン・ラミーロ、これも立派な歌唱。彼の実演は初めてだったのでその美声には驚いた。特に二幕でダンディーニに「そなたはもう王子ではない」からアリア「誓って彼女を見つけ出す」は大熱演、大喝さいでラミーロと合唱の部分、アリアの最後だが、をアンコールで繰り返したのでまた大喝さいで拍手は鳴りやまなかった。

そのほかでダンディーニ役がブッファらしくよかった。声も軽妙でカーテンコールでも多くの拍手をもらっていた。マニフィコ役はちょっと声質が違うように思った。シャイーのCDではエツィオ・ダーラが歌っていたがこれが滅法うまく比べるのは可哀想だがそのイメージが耳に残っていたためかもしれない。ただ二幕は全体にしなやか(歌も芝居も)になってきてなかなか楽しめた。日本人女性二人は孤軍奮闘(今回の公演では日本人はこの二人だけ)していた。演技はちょっと恥ずかしいが歌唱は立派で決してひけを取らない。特に幸田の声(ソプラノ)は良く通り感心した。新国立のオペラの配役だが変にバランスを取ろうと無理なキャスティングをすると全体を壊してしまうので今日のように適時適所で組んでほしい。

指揮のサイラスだが彼はカサロヴァのカルメンの時の指揮者。カサロヴァのお気に入りなのだろうか?ただカルメンの時のようにただ合わせているだけ(失礼)でなくこの演奏ではなかなか手だれた指揮を見せた。ロッシーニのオペラの魅力の一つはロッシーニクレッシェンドにあるが冒頭の序曲でも十分楽しませてくれた。お詫びをしなくてはいけない。

演出はかの有名なポネル。非常にシンプルな演出で音楽を生かしていた。一幕の装置もなかなかアイデアいっぱい。マニフィコ男爵の屋敷が舞台だが一階がクロリンデとティスペの部屋を左右に配し、中央はチェネレントラがいつもいる暖炉のある居間のようなもの。二階のクロリンデの部屋の上にあたる部屋がマニフィコ男爵の寝室でその向かいが一応クロゼットといった塩梅。

しかしこのオペラ一幕が90分以上もありちょっと長すぎでした。昔の人は良く我慢しましたね。

カサロヴァの熱唱で今日の公演、幕となったがブラボーの嵐、拍手、スタンディングオベイションと華やかに終わった。今日はカサロヴァシラクーザと各歌手陣の力によるもの、久しぶりに楽しいオペラでした。おそらく今シーズンでもトップクラスの出来ではないかと感じた。東フィルも良かった。チェンバロの小埜寺美樹も目立たないが当意即妙で良かった。
以上

オーディオ装置について

 オーディオ装置は音楽を聞く道具だが装置によって再生音がかなりちがい音楽を本当に自宅で楽しむにはある程度の装置が必要だ。それがどの程度かは人によって違うのでここでは論じない。いずれにしろ単なる道具ではないのだ。なかには音楽よりもオーディオを優先するむきもあるようだがその仲間に私ははいらない。あくまでもコンサートホールやオペラハウスでの音のイメージを自宅で再現することを目的にしている。ここであくまでもイメージの再現ということを強調したい。自宅でライブの音を再現する(私の部屋は6畳だし)のは不可能に近い。

 さてその目的に合致したスピーカーがタイトルのタンノイのエディンバラというイギリスのスピーカーである。オーディオ装置の要はスピーカーであることを否定する人はいないだろう。このタンノイというスピーカーに最初に巡り合ったのはアーデンという型名である。これを約20年聞いてきた。しかしさすがに20年もたつとクロスオーバーネットワークが使い物にならなくなるし低音もぶかぶかになりついに買い替えを5年前に決意した。dc43e2d2

 その時もタンノイとメーカーは決めていたが部屋も6畳であるし比較的小口径のケンジントンという型名を第一候補にオーディオ店に行った。そこでいろいろ店員のアドバイスをもとにして決めたのが今のラインアップである。
 タンノイのどこが魅力か?生の音のどの部分に焦点をあてて装置のイメージを作るかであるが私の場合はオーケストラから金管の咆哮やティンパニの炸裂が、またオペラのテノールやソプラノがオーケストラをぶち破って、耳に届くそのイメージを我が家で出したい、それも全体としてはホールの中央よりやや後ろで聴くイメージを残してである、それにはいまのところタンノイがふさわしいと思う。

 部屋にいれたばかりのタンノイは実に厳しい音がする。高音はきんきんするし、低音は出ない。しかしそこでへこたれてはタンノイの美酒は味わえないのだ。じっくりとエージングしないといけないのだ。それとセッティングが重要である。ミリ単位で追い込む必要がある。我が家の場合スピーカーの角度を試行錯誤した結果自分の聴く位置よりほんのわずか外に振った点がベストだ。
 もう一つ重要なのはスピーカーコードとコネクターである。現在バンデンハルのコードとWBTのコネクターをバイワイヤリング接続で聴いている。さらにタンノイ社付属のスペーサーで指定どおり三点支持させている。
 しかしスピーカーからの距離が1.5M程度なのでやはり近すぎるせいかソースによっては耳触りな音がするので四年前にST200というタンノイ社のスーパースイーターで16KHZ以上を受け持たせている。それにより高音はさらになめらかになりなんと不思議なことに低音までよく出るようになったのである。
 このようにチューンアップして聴いているが音の直進性に優れているタンノイは広がりというか奥行というかの点になると最近のスピーカーにはかなわない。いろいろこのごろの新しいスピーカーを試聴している。いずれは買い替えかと思う瞬間もあるが今しばらくはこの音に浸りたい。

 さてこれに組み合わせるアンプであるが私はタンノイとベストコンビのウエスギというメーカーの真空管のアンプを使用している。ウエスギは神戸にある上杉研究所というところで作られていてそれぞれの機種は台数限定で作られている。それはメンテナンスを考えてのことだという。設計者はオーディオ評論家としても著名な、研究所の代表者でもある上杉氏本人である。何より良いのは何かトラブルや不明点があっても直接上杉氏に聞けることだ。大メーカーでは考えられない。他のアンプでは聞いたことがないので比較しようがないが今のところベストマッチとしか言いようがない。

 CDの再生はトランスポートにソフトンという業務用の製品を使っている。これはメカはフィリップスのものを使っておりさらに武藤製作所がかなりのバージョンアップをしているたとえばクロックや配線やコンデンサーなど部品である。見た目はあまりよくないが音は良い。すすめられたオーディオ店で何台も視聴したがこのトランスポートが最も良い音であった。
 またD/Aコンバーターはマークレヴィンソンの36SLというかなり古い製品を使っている。最初はジョブスというスイスのメーカーのを使っていたがオーディオ店からすすめられてこれに切り替えた。音の奥行と拡がりが違う。ただCDプレーヤーも最近は一体型でアキュフェーズ、デノン、ラックスなどそこそこの値段で良いものがでているので将来は切り替えることも考えている。

 この組み合わせで聴くと最新録音はもちろん良いが古い録音が断然よい。今日カラヤンが66年に録音したベートーベンのミサソレムニスを聞いたが40年以上前の録音とは思えない拡がりとスケールで聴ける。ただ古さは否めなくたとえば合唱の盛り上がったところや独唱のテノールの一部でそれが露呈する。それは仕方ないでしょう。40年前なんですから。最新録音とは鮮度でどうしても差が出てしまうのは。
 ただ不思議なのは最近のCDで素材を変えたりしたハイクォリティ盤が何か空気が薄いというか密度が薄いというか今一つ物足りない。たとえばカラヤンの60年代に録音したベートーベンの合唱が新素材ということで18万円で売り出していたが全然よくなくむしろCD原盤のほうが拡がりで多少不満でも密度の濃さで優り私は好きである。オーディオの世界難しいですね。
                                〆

3月6日日本フィルハーモニー交響楽団定期
於:サントリーホール(20列32番)
雨のせいかお客の入りが少ない。8割程度か?シーズンチケットは上述の席しか取れなかったのに当日中央ブロックにもかなり空席があったのはいかなるわけだろうか?察するに昨今のコンサートはスポンサー付きがほとんどで良い席はそちらに回っているように思う。そのチケットはスポンサー会社内や関係先に配布される、大体ただでもらったものは義務感もないから雨が降ったら行かないとなる、というのは僻みか?

それはさておきこの日の曲目は二つ。
最初はベートーベンのバイオリン協奏曲、バイオリンは渡辺玲子、指揮はJoseph Wolfeというイギリス人。どういうわけか出だしから冴えない。最初の主題の提示、オーケストラ、は好きなところだがさらっと終わってしまいがっかり。何かおそるおそる演奏をしているようだ。オーケストラが気になってバイオリンに集中できないで一楽章は終わってしまった。
 二楽章もそんな感じかなあと思ってぼーっと聞いていたらものすごく美しいバイオリンが耳に入ってきた。やっとベートーベンがはじまった。この楽章は本当に良かった。渡辺の音はふっくらとして暖かい。ちょっとそれるが最近バティアシビリというグルジアのバイオリニストの演奏を聞いた。N響の定期でジンマンと協演しショスタコビッチを弾いたがこれは鮮烈といおうかすさまじい美音で圧倒されてしまった。その後CDでベートーベンを弾き振りしているのを買って聞いた。レコ芸ではあまり評判はよくなかったが録音もよく美音を楽しめるので愛聴している。今まではベートーベンはハイフェッツとミュンシュで決まりと思っていたが。
また話がそれるがカルミニョーラも目を離せない。来日時紀尾井ホールでオールヴィバルディプロをやったがこれも素晴らしい音楽会。特に後半カルミニョーラが登場してからは息もつけないほど素晴らしかった。CDもどんどんだしておりアバドと協演したモーツアルトやムローバと協演したヴィバルディのバイオリン協奏曲集などどれも見逃せない。
 三楽章はオーケストラも眠りから覚めたかバイオリンに相呼応して盛り上がった。

 二曲目はエルガーの交響曲一番、初めて聞く曲。1908年初演という。マーラーの七番の初演の年だそうだ。イギリスの作曲家はなじみがすくない。ホルストの惑星があればいいやと思っていたからこの曲はひそかに楽しみにしていた。一楽章冒頭の主題が全体をカバーして、各楽章で顔を出す。第四楽章の最後もこれで盛り上がるところはブルックナーのようだが肌合いは大分ちがう。少し淡白なようだ。アングロサクソンとゲルマンの違いか?シューベルトから始まってブルックナー、マーラーの系譜は時々聞いていてそのしつこさに辟易する瞬間があるがエルガーはそこはマイルドである。逆にそれが物足りなさでもあるから人間はあまのじゃくだ。美しいメロディがそこここちりばめられており再聴してみたい曲だ。
                                            〆

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