ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

カテゴリ: > サスペンス

Lou
久しぶりの新作映画。このところ映画は見るがブログを書く気がしない作品ばかり。例えば邦画の「決戦は日曜日」など。

  本作はB級サスペンスだがすぐ底を見せない、面白さを買う。
  ルーは主人公の名前(アリソン・ジャネイ)、アメリカのおそらく西海岸の島にひっそりと住んでいる。老女である。町の人との交流はあまりないようで、わずかに保安官が比較的親しい。自分の土地にシングルマザー親子、ハンナ(ジャーニー・スモレット)と娘のヴィーを住まわしている。要するにルーの店子である。
  ルーは鹿を撃ったり、行動が粗野で老女には見えない機敏なところもある。得体のしれない女性。しかし映画の導入ではレーガン大統領とイランの映像にルーを被せて見せているあたり、彼女の過去のヒントを指し示している。

  ある日、ヴィーがじつの父親(死んだと思われていた)フィリップに誘拐されてから、この平和の島がざわつくのだ。ハンナとルー(なぜ赤の他人のルーが同行するのかは後でわかる)はフィリップを追跡する。
  まあ後は書けないが、この映画の不満は、ルーとフィリップの過去を出しおしみするようにしか出さず、しかも結局はっきり見せない。この映画は107分だが、もう10分延ばしてそこを映像化すればこの愛憎劇の背景がよくわかるのに残念だ。
  ある意味では、面白い陰謀劇になりえたのに、少々遠慮して小作りな映画に収めてしまったのは残念だったとも思うが、主演のジャネイの存在感は相当なものでそこが見どころなのだろう。女性を追うサイドに置き、男性が追われるとは、いかにも今日的。

Icameby
見終わった後、口の中がざらっと来るような苦味、後味の悪さ。悪が勝つといったような後味の悪さではないのだが!
  題名の「I CAME BY」とは字幕では「参上」と訳されていた。二人の落書きペインターが、壁に書くだけでは飽き足らず、有名人(成功している人々)の豪邸に忍び込み、ひそかに室内に「I CAME BY」と書いて消え去る。しかし二人の内、移民の青年は恋人に子供ができ、抜けてしまい、トビーと云う青年だけで行うようになる。その彼が聖人と云われていたブレイク卿(元判事)の家に忍び込んだ際に、とんでもないものを見つける。それが発端で悲劇が起きる。
  聖人君子の皮をかぶった男は実は差別主義者であったという話だが、次々と人々が彼の魔手に掛かるというのは、実に不気味な話である。それが苦味の源泉かもしれない。〆

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1996年にタスマニア島で起きた、銃乱射事件を描いた。
犯人はニトラムというあだ名の27歳の青年、父親と母親と3人暮らし、定職ナシ。芝刈りの移動セールスぐらい。あとは花火のいたずらをしたり、一言でいうと心を病んでいる。薬は離せない。友達はいない。
  しかし、芝刈りを機縁に、ヘレンと云う富豪の女性と、と親しくなり、家を出てヘレンと暮らすようになる。心の平和を得たかのように見えたが、ニトラムとヘレンに悲劇が訪れる。そして再び心は乱れ、情緒は不安定になる。そして1996年の事件を迎える。
  この作品はその事件までの過程を詳細に描く。しかし事件についての描写もなく、また裁判などの場面もなく、具体的な動機については明らかにされていない。つまりこれはそこへ行くまでの過程が、この事件の動機であり、引き金であるということとして見なさいということだ。だからアクション映画として見るとがっかりするだろう。
  ニトラム(NITRAM)はMARTINの反対読みで、子供のころからそう呼ばれ、馬鹿にされてきた。ケイレブ・ランドリーという人が演じて2021年のカンヌ映画祭の男優賞を受賞している。

  この事件後オーストラリアでは銃規制が厳しくなったそうだ。しかし映画の中でニトラムが銃砲店にいって、銃を物色するが、その店の販売している中の銃の多さには驚くほかはない。表だけでなく、裏に回るとさらに強力な銃があり、しかも無免許で購入できたのだ。また相対での取引もあって、アメリカ以上に銃についての規制は甘かったようだ。国の成り立ちから云ってしかたがないかもしれないが、この銃砲店の映像には実にたまげた。


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ネットフリックスを時々チェックするが、大体連続ドラマが多く、いわゆる劇場映画は古いものが多く、新作が少ない。元が取れない。
  ただ本作のように珍作に当たるときがあるから、チェックは欠かせないのだ。これはマレーシア製のアクション・サスペンスだから珍しい。おそらくマレーシア映画と云うのは初めてだと思う。
  主人公はゾフィクで無実の罪で麻薬売買の重罪で10年の刑を受ける。2年後に妻と息子が何者かに惨殺される。出所後友人のサムの経営している企業に雇われるが、復讐の念は消えない。ひそかに調べていると奇妙な人物に付きまとわれる。何やら気味の悪い笑い声のフェロスと云う男だった。彼はゾフィクの妻の従妹だという。二人は調べを共同で行うようになるが!

  いわゆる多重性性格ものだが、そうしなくともストーリーは案外面白い。ちょっと複雑にし過ぎの感がある。もう少しマレーシアの町の映像が多いと、もっとよかったのにと思う。

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長浦 京は「リボルバー・リリー」で度肝を抜かれた。そのあとも何作か読んで、本作である。
面白さから云うと、リボルバー・リリーと甲乙つけがたいが、私は本作プリンシパルを推す。それは本作はハードボイルドとしての面白さ+昭和の戦後10年の歴史をたどる面白さの2重の面白さがあるということだ。

  プリンシパルとは「頭」と云う意味である。やくざの水嶽組が戦後衣替えをし、水嶽商事として建設・運輸だけでなく多角化経営で、日本経済の中でも重きを得るその過程を描いている。
  昭和20年、終戦の年、水嶽組の親分、水嶽玄太が亡くなる。しかし息子3人のうち2人はいまだ戦地に、次男は心を病んでおり、後継ぎがいない。やむなく女学校の教員をしている長女の綾女を会長・社長として、幹部会は据えた。綾女はいやいや跡を継いだが、しかし敵対勢力はこの機に水嶽組をつぶそうと綾女を襲撃、綾女は子分の青池家にかくまわれるが、そこが襲撃され、青池家の家族が惨殺される。綾女は生き延びるが、このことがトラウマにになり、彼女は水嶽組の戦後の混乱を乗り切ろうと決意する。

  綾女の辣腕ぶりは痛快だがさらに面白いのは、彼女に政界の2人の大物旗山(おそらく鳩山)と吉野(吉田)がからみ、さらにGHQのウィロビーやダレスが実名で登場、芸能界では美波ひかり(おそらく美空ひばり)なども登場。さらには長男の戦地からの帰還により骨肉の争いになるなど物語の展開はめまぐるしい。。

  昭和20年から30年までのやくざ企業の勃興とそれに絡まる人々の歴史の面白さも興味が尽きないが、その中で苦悩し、父親のやくざとしての濃い血を感じながら、水嶽組(商事)支える綾女の奮闘ぶりがなんと言っても本書の魅力。めくるページが止まらない。面白かった。




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