ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

カテゴリ:映画 > 日本映画

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昔、テレビでヒッチコック劇場というのがあって、30分ものなのだが、毎週楽しみにしてみていた。そのなかで印象に残っているのは、ある男が魂を売ることによって、自分の欲望をなんでもかなえることができることになった。最初は楽しんでいたが、人間と云うのは天邪鬼なもので、なんでも自由になることに不満を覚える。そこで元に戻りたいと思うが、そうは問屋は降ろさないというお話だった。

 こういう話は古くはゲーテのファウストも似たようなものだが、数多ある。ファウストは悪魔に魂を売るが、結局福音書と女性の犠牲で魂が救済されるというもの。おそらくヒッチコックもそういう、古典に触発されたに違いない。

 この映画も根っこはそういうことだ。借金に追われている男やDV男から逃げられない女とか、この世の中で行く場のない人々が、一枚の書類にサインすることによって、ある町に連れてゆかれる。そこは団体生活だが、個人は自由、好きなだけセックスはできるし、好きなだけ食べられるし、仕事は何もない。
 中村倫也扮する青年もそういう一人。しかし彼は義務として時々狩り出されて選挙に投票に行かされて自分とは関係ない名前で投票させられることに次第に疑問を持つ、この集団を組織している黒幕は誰なのか?そして、この何でも自由になる世界の閉塞感に耐えられなくなる。
 この映画では人々は魂を売るのではなく、戸籍を売るのである。したがってもし彼らがこのユートピア?から脱出できたとしても、戸籍も、住民票も、保険証も何もない。

 魂と戸籍とはレベルがずいぶん違うが、現代社会では生きて行けないという意味では同等なのだろう。〆

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大河ドラマ主人公の吉沢 亮主演の青春ドラマ。
 電脳(AI)将棋対プロ棋士との対決をクライマックスにしている、将棋を題材にした映画である。実際に電脳対プロ棋士は2015年にこのドラマのタイトルとなっているAWAKEというソフトで対戦があったそうだが、それを題材にしたわけではなく、基本的には監督によるオリジナルストーリーだそうだ。

 2003年、将棋の奨励会に入会した数少ない少年たち、そのなかでも浅川(若葉竜也)と清田(吉沢亮)は注目されていた。60人の少年の中から1年に数人しかプロになれない狭き門。結局清田は競争に敗れ、別の道を歩むことないなる。
 浅川は順調に勝ち進み、プロ棋士となり最年少で新人王を獲得する。
 一方、清田は21歳で大学を受験し、入学するが、悶々とした学生生活を送っている。そんななか電子知能研究会と云う同好会のチラシを見つける。そこで磯野(落合モトキ)という電子オタクと知り合い、人工知能にはまり込む。やがてAWAKEという将棋ソフトを開発して、アマチュア棋士たちと対戦、無敵を誇るようになる。
 マスコミも注目し、プロの棋士との対戦を企画する。そして白羽の矢が当たったのは、なんとその当時7段になっていた浅川だった。この因縁の勝負に、大いに盛り上がるが、決着は思いがけない方向となった。

 吉沢亮は渋沢栄一役では大根かと思っていたが、この清田と云う、少々陰のある、ぶきっちょな男を好演している。時折光る彼のまなざしの鋭さは怖い。面白い映画だ。



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オダギリジョー初の監督作品。130分を超える長尺ものである。静かな映画で、こういうのを芸術映画と云うのだろうか?
 時代はおそらく明治から大正にかけてか?映画の中ではヒントも出ないが、建設中の橋の映像から想像するとそうなるのかもしれない。まああまり時代は関係なく普遍的な題材を描いている。舞台は地方の山間の村を挟んだ川である。主人公はその川の船頭である。およそ200mばかりをわずか5厘の船賃で一日何往復かして生計を立てている。船着き場の岩場に掘っ立て小屋を建てて生活をしている。名をトイチという。また何を生業にしているかわからないが、源蔵と云う男が唯一腹を割って会話ができる。
 舟をこいでいる間乗客から何を言われても聞いているのか聞いていないのか、何を言われても柳に風。しかしそういう毎日の繰り返しの中、ある日、船に何かがぶつかった。それは気を失った少女だった。彼女はいくつかけがをしていて、意識をとりもどしてもしゃべらない。トイチはそんないわくのある少女を守ろうとする。やがて橋ができる。

 この映画のモチーフは2つあると思う。1つは橋に代表される文明。それは今まであったものを破壊してゆく。破壊される対象として自然、ここでは蛍がシンボルとなる。そしてもう一つトイチの船頭としてのアイデンティティが破壊されるのだ。
 もうひとつ、生を受けた人間としての役割。医師である橋爪功はいう。生を受けたからには一つくらいは学ばなくては、そして次に生まれ変わるときに、それを役立てよと!
 トイチは果たして、この変わらぬ生活で何を学ぶ(生きがい)のか?彼にとって人生はNOTHINGしかしEVERYTHINGなのだ。何を言われていても彼は自らを無にしているが、こころの中では焔が燃えさかっているのである。橋ができても知らん顔していたトイチは実は怒っていたのである。
 
 そこに現れた少女、トイチは彼女を守ることを、EVERYTHINGにしようと決心する。果たしてトイチの人生の行方は?
 130分の静かな画面の動きは残念ながら退屈な部分もないとは言えない。しかしここで面白いのはトイチよりも船に乗る村人や町の人々の情景だろう。演じる人々も見事。それを見る映画だろうが、オダギリの狙いとは違うだろう?


sijinnsou
 ベストセラーになった、今村昌弘の原作を映画化したもの。小説も読んでいるが、細部は別としておおむね原作に近いと思う。
 原作もつまらなかったが、映画もつまらない。
 原作のつまらなさは、かつてブログに書いた通り。トリック先行、人間存在希薄。ちゃらちゃらした学生たちの内容のなさ。トリックの面白さだけの作品で、これがミステリーでベストセラーとは読後驚いた次第。謀略物を期待した読み始めは、ゾンビの登場で興ざめ。ゾンビと殺人事件を絡めるアイディアは新鮮だが、もうゾンビ物は飽き飽きした。ゾンビと絡めなくとも、人間ドラマとして
描いて、殺人トリックと組み合わせればそれはそれで思い白いと思うのだが、若い人はそれでは満足しないのだろう。

 映画も同様のつまらなさである。それはまず全体がアニメ風であることで、実際、生身の人間を使う意味が全くないと思わざるを得ないことだ。登場人物は斬れば血が出るが、絵の具で塗りたくったような血を連想させるだけ。役者の稚拙さはそれに輪をかけている。わざとらしいずっこけ方や意味の分からないぬぬぬぬなどといった、アニメの吹き出しのようなせりふ?
 これは小説と同じで別に人間ドラマを描いたわけではないので、そう目くじらを立てることもないのだが!
 途中でやめようかと思ったが、もったいないので最後まで見た。


記憶
 先日、ベルルスコーニをモデルにしたイタリア映画を見たばかりで、政治ものが続いている。しかしあの映画はベルルスコーニをロロ・トマシ(映画・LAコンフィデンシャルを参照)として描いており、この三谷版政治ドラマのコメディ仕立てとは肌合いが違う。
 ちなみにロロ・トマシとは悪いことをしているのにうまく逃げている人物の総称だという。ガイ・ピアース、ケヴィン・スペイシーがその名前を出している。あれがLAコンフィデンシャルのテーマなのだろう。
 まあ、これは余談だが、三谷幸喜によるこのドラマはそういう深刻なテーマは抱えていないように感じた。
 現職の首相・黒田啓一(中井貴一)は支持率2.3%の過去最悪の首相と呼ばれ、国民から総すかん、家族からも総すかんの悪役であるが、演説会で石をぶつけられなんと記憶喪失になってしまう。子供時代の記憶はあるが、政治家になってからの記憶は全く失われてしまった。妻(石田ゆり子)も認識できない。普通なら辞職だろうが、なんと秘書官(ディーン・フジオカ、小池栄子ら)に助けられ実務を少しづつこなし始める。
 やがて、黒田は政治に覚醒する。果たして首尾は如何に?
 このドラマはそういう単純なストーリーで、スリルもサスペンスもない。へらへら笑ってみていればよいわけで、それじゃつまんないという方もおられよう。
 しかしこの映画の私なりの見方は、そういう変容を遂げる黒田を取り巻く人物の緻密な描写が肝なのではあるまいか?
 大体これだけの役者をそろえればどんな映画でも作れそうだけれど、まあそう思えるくらい役者ぞろい。特に女優陣は個性的で面白い。
 秘書役の可愛いけれどしっかり者の小池栄子、まるでどこかの総理夫人みたいな、石田ゆり子、総理官邸のお手伝い斉藤由貴、第二野党党首の吉田羊の怪女ぶり、アメリカ大統領がなんと日系2世の女性大統領の木村佳乃、そして通訳の富沢エマのとぼけた味、愉快なのはアナウンサーの有働由美子が超厚化粧で、アナウンサー役として登場、これが最後まで誰だか分からないほどの怪演と云った具合で、みなそれぞれ楽しみながら芝居をしている風で実に楽しい。
 それに比べると、男性陣は少々演技がオーバーアクションでそれが作り物(まあわざとそうしているのだろうけれど)めいていて今一つ笑えない。特に官房長官の草刈や政治ごろの佐藤浩市など。男性陣で唯一楽しんでいそうなのは、田中圭の交番の警官でSP志望の男。いやあのびのびやっていたなあ。
 この映画で唯一辛口なセリフは官房長官がはく、政治信条、「つまり如何に長く政治家であり続けるか」が目標と云う発言だろう。政治家になるということが目的化になっていることが、わが国の政治風土を不毛のものにしているにちがいない。これがこの映画の肝だと思う。
 
 どう見ても現政権のパロディだろうが、当事者が見たら笑えるだろうか?

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