2019年11月19日
於:東劇

METライブビューイング2019-2010、オープニング公演(公演日10月12日)

プッチーニ「トゥーランドット」
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:フランコ・ゼッフレッリ

トゥーランドット:クリスティン・ガーキー
カラフ:ユシフ・エイヴァゾフ
リュー:エレオノーラ・ブラット
ティムール:ジェイムズ・モリス
メトロポリタン歌劇場管弦楽団、合唱団

トゥーランドットを楽しむには、やはりこのような絢爛豪華な舞台と演出がふさわしいと思う。改めて痛感した。今年の新国立の新演出の陰惨な舞台と比べればよくわかる。両者を見比べれて気に入った舞台はどっちと投票したら、オペラファンだったらMETに票を入れるだろう。
 このゼッフィレッリの演出は1987年初演と云うから長命である。METにおける彼の演出でもっともロングランなのは「ボエーム」だそうな。なんと486回だという。別にこれはアメリカだからと云うことはない。先日見たウイーンのトスカは600回を越えているというから、良いものは残るのだ。今日よく見る一発芸的な演出はおそらく何百回も公演されることは期待してないのだろう。あのバイロイトだって10年もすればガラッと演出は変わるのだから推して知るべしだろう。
 オペラに新鮮さを吹き込むための新演出ということなのだろうが、先日新国立の「ドン・パスクワーレ」を聴いたときに感じたのだが、同じ演出だが違う舞台のDVD映像と比較してみると歌手が全く違うためだろうか、印象が全然違うのだ。新鮮さを求めるのなら音楽で求めるべきだし十分可能だと、思うのである。もっとも新演出は演出家と評論家の雇用対策なら別の話だ(冗談です)。

 さて、ゼッフレッリは今年96歳でなくなったそうで、今回の公演は追悼でもある。舞台も歌もオーケストラも充実したもので久しぶりにまっとうな「トゥーランドット」に接することができた。特に2幕と3幕は総合芸術として傑出している。

言葉での説明は煩わしいので映像で見て見よう。これと次の画像は2幕の2場である。背景は古代の紫禁城。トゥーランドットがローリン姫の悲哀を歌う場面である。皇帝アウグストは正面上段の黒い衣装。手前は北京市民だがこの演出での群衆シーンは実に質量とも迫力がある。大官や腰元たちは一部京劇風の衣装とメイク。またピン・ポン・パンは歌がない部分では京劇の役者が演技する。
tu-rann2




to-rann1


この画像は最も感動的な場面。3幕のリューの自己犠牲の場面。後ろに立つのはトゥーランドット姫。
りゅー

これは3幕の幕切れ。舞台手前に姫とカラフが立つ。


720×428トゥーランドット_2cMarty-Sohl/Metropolitan-Opera

この何枚かの写真を見るだけでもオペラファンはワクワクするのではあるまいか?

さて、歌い手だが、私にはティムールのジェームズ・モリス以外は馴染みのない人ばかり。
素晴らしかったのはブラットのリューである。特に3幕の彼女の歌唱は涙なしには聴けない。リューの心情が深くにじみ出ていた。こうなると声がどうこう言う(もちろん声も立派)レベルではなく、その役をいかに歌で演じ切るというレベルになる。
 そういう意味ではエイヴァゾフのカラフは声は立派だが役つくりと云う意味では物足りなさも残る。2017年にネトレプコ(彼はネトレプコの夫君)と来日した時にマンリーコなどを歌ったが、軽業みたいな声ばかり耳に残った記憶がある。ただ、インタビューでこのMETに初登場した感激を、自分の過ぎ越し苦難の年と重ね合わせ、ここまで来るのに20年もかかった、とうれしそうに語っていた。なんともほろりとさせるではないか?初舞台の緊張がほぐれ、役も増えてくるにつれ、真価が出てくるのではあるまいか?ただ雑誌では欧州の舞台での活躍などを見るので欧州では評価されているのかもしれない。体形は2017年の熊みたいな風貌から大きく変わって、体重をかなり絞り、カラフらしいスリムな若者の体形になっていた。ネトレプコと二人でダイエットしているのだろうか?
 トゥーランドットのガーキーアメリカの人らしい。昨年ブリュンヒルデを歌った実力者。今日のトゥーランドット姫も声としては悪くはないが、姫のカリスマ性からすると、古今の名歌手たち同列と云うわけにはいかないだろう。特に2幕の姫は氷の心をもった女として歌ってほしいが、聴いた印象ではもう氷が解けてしまっているように聴こえた。モリスは来年でMET50周年だそうだ。かつてウオータンなども歌ってきた。ティムールも立派すぎるくらい立派な歌唱だった。
 ピン・ポン・パンは2幕はあまり哀愁が感じられないのが物足りない。3幕のほうがずっと宦官らしい。
 セガンの指揮はダイナミックだ。強弱緩急の隈取がきついが、作品の表現としては聴きにくいということはない。むしろその迫力はこの豪華な舞台と立派な歌手たちにフィットして、じつにゴージャスなトゥーランドットだった。〆