ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

カテゴリ: > 歴史


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毛利元就と陶晴賢との厳島合戦を描いた大作である。合戦のみを描いたものではなく、中国地方の戦国時代の終結に向けた最後の戦いとそれにともなう武将たちの脳髄を絞りぬいた戦略と謀略を克明にえがいているために400ページを超える大作になったといえよう。

  竹内はこの厳島合戦の以前の中国地方の覇者、尼子経久を主人公にした、これまた対策を描いており、中国地方の戦国初期から戦国中期までをこの2つの作品を読むことにより、大略把握できることになる。念のため戦国末期の中国地方には織田信長(羽柴秀吉)が進出して毛利と対峙する。結局中国の覇者になった毛利は最終的には豊臣秀吉の幕下に下る。そして中国地方の戦国時代も終えんを迎えるのである。それはまた別の話。

  さて、この「厳島」は当然ながら仕掛けた毛利元就とその息子たちが主人公になる。そして敵役には大内義隆を下剋上で打ち滅ぼし中国地方の覇者を目指す陶晴賢になる。
  なお、本書では中国地方では大内義隆の悪政が民衆にもしわ寄せを与えていて、評判が悪かったので陶の行為は、主殺しの悪業とは思われておず、むしろ他の地域での陶の評判は至極悪くとなっていると述べているのは興味深い。

  ただ大内義隆の直系の家臣の弘中隆兼は陶の主殺しに批判的で、いわゆる古典的な武士として描かれている。そして権謀術数で中国地方に勢力を張ってきた毛利の行為についても大いに批判的であった。いまの大内家のリーダーである陶晴賢に従いつつも、不満を持ち、かといって毛利に対しても卑怯者扱いをしている弘中は、戦国の世でも特異の人物で、陶や毛利とは対極の清廉な人物として描かれている。

  本書の面白いのは一つはこの主人公たちの描写が至極面白いことだろう。さらには毛利の3人の息子の描写やこれらに人物の妻子にわたる描写にリアリティがあることだ。
  もう一つのそして最大の面白さは、合戦の描写の迫真性だろう。個々の戦闘の精緻な描写に加えて、元就の立案した作戦、弘中が立案して作戦、陶が採用した作戦の精細さはそれ以上に面白い。
  ただ一つだけ不満を言えば、そういう作戦の微細な部分をより理解するための地図が少々物足りない。少なくても厳島の中での細部にわたる戦闘図は欲しかった。さらに言えばそれぞれの海軍の動きも欲しかった。

  まあそれは文章とは関係ないので、私の好みだから仕方がない。いずれにしろ昨年発売になった歴史小説の中で本書は抜きんでて面白いのは間違いない。
  繰り返すが「謀聖・尼子経久」を合わせて読むことをお勧めする。

                                           〆
  

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一気読みの作品。読み始めたら止まらない。

  主人公は絵師金蔵、生涯いくつか呼び名を変えるが江戸で狩野派の絵画を学び、師匠の名をもらい、「林洞意美高」というのが土佐藩の表絵師としての正式名称。晩年は絵金さんとか雀翁とか呼ばれていた。

  幕末の土佐で生まれ明治8年に死す。貧しい髪結いの長男として生まれる。幼くして画才を発揮、篤志家の支援もあって絵画を学ぶ(土佐狩野派)、やがて江戸への遊学が認められ、帰国後土佐藩表絵師として仕えるが、スキャンダルに巻き込まれ、晩年はフリーで依頼された絵を多数書いて人気を博した。

 まあこういう人物で、正直この画家の存在は本書で初めて知った。本書を読んでいるとこの人は悲惨な目にあったことがないのではないかと思える。大体芸術家と云うのは日本でも世の中に認められるまでは、(認められない場合もある)辛酸をなめるが、また成功しても生活に困窮したり、苦難の道を歩むというのが相場である。
  ご多分に漏れず、この金蔵も少年のころは父親に疎まれほとんど勘当同然で江戸に遊学に行ったほどの悲惨な少年時代だった。また藩の絵師になってからも贋作騒ぎに巻き込まれあわや打ち首とというところまで追いつめられるが、しかしそういう場面に遭遇すると誰かが手を差し伸べてくる。
  要するに見た目は苦労人のように見えるが、実にそういう労苦を人に見せない人生でなんともスムースに見える。おそらくこう云う人物だからこそ文章にすると、いつも険しい道をすいすいと乗り越えてゆくように見えて、読み手にストレスを感じさせない。なんとも読後感がさわやかな作品なのだ。
  これは美術を愛する人も、幕末に生きた人物の生涯に興味を持った人にもおすすめの佳作である。
とても面白かった。武市半平太や山内容堂、人斬り以蔵なども登場する。        〆
 
                                      〆

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帯の通り、直木賞受賞作である。垣根涼介は「室町無頼」が面白かったので、ずっと注目している小説家である。
  本作は室町幕府(足利幕府)樹立への道を足利尊氏、足利直義、高師直とそれをとりまく武将たちの、政争劇として描いたものである。帯やタイトルからみると征夷大将軍であるから足利尊氏が主人公の様に思えるが、私にはむしろ弟の直義が主人公のように感じた。尊氏が将軍として政治家らしく活動し始めるのは晩年からだと本書では描いているので余計そのように感じたのだろう。

  ここでの(本書の大半では)尊氏はむしろ茫洋として、大きなずたぶくろのような人物、確固とした政治理念を持っているわけでもなく、大きな時代の波に自然と乗って行ける武人であり政治家として描かれている。それに反して直義は幕府による中央集権政権を目指しており、それは常にぶれない。高師直は足利家の執事的存在だが、強大な権力を持ち、直義と二人三脚で政権を樹立した。したがって本作の中心には常に直義がいるのである。

  鎌倉幕府を打倒し、天皇家の親政をめざす後醍醐天皇との権力争いまでが特に面白い。しかし次第に直義と高師直との政権闘争になると、少々説明的になってきて、いささか教科書を読んでいる印象。
  本書は前半2/3までの尊氏、直義、師直の3人の描き方が抜群に新鮮で面白いので後半の尻つぼみぶりが少々残念。

  鎌倉幕府を倒し、足利幕府を樹立するその時代を描いた小説は案外多くない。と云うより、私は子供のころから吉川英治の「私本太平記」を愛読しており、吉川太平記が刷り込まれており、それ以外は読んでもすぐ記憶から消えて行ってしまうからだろう。
  垣根太平記は人物描写が吉川英治とは随分と違うので、まったく新しい視点でこの時代を見つめたという意味で、多分忘れられない小説になるような気がする。二度読みをしたくなる大変新鮮な歴史小説だった。
                                         〆

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歴史小説家の目利きのする鋭さにはいつも感心させられてしまう。この作品では徳川九代将軍、家重が主人公なのだけれども、しかしもう一人、この家重の影のような男が真の主人公であり、もしこのような人物が実在したとしたら。奇跡としか言いようがない。この時代の日本の高い教育を受けた階層の人物たちの矜持を見る思いだ。果たして今日このような政治家や実業家が何人いることだろう。大いに考えさせられた作品だった。

  家重は脳性麻痺(本作品ではへその緒が首に絡まったとなっている)のため、言葉が話せない、歩行もスムースには行かない、頻尿で歩きながら漏らしてしまい、跡がつくことから、まいまいつぶろ(かたつむり)とか小便将軍とか悪口を言われた。
  八代将軍は名君と云われ、享保の改革で幕府を立て直した吉宗だ。彼もそのような身体ハンディキャップを持った家重を次期将軍にするのをためらった。次男の宗武が聡明なだけに迷いは大きかった。また幕閣も宗武支持者が多く、家重廃嫡の声は澎湃と沸き上がったのである。
  しかし、そこに彗星の様に、家重の言葉が聴きとれる男が登場する。大岡越前守忠相にかすかに縁が続いている大岡忠光と云うその当時16歳の少年である。家重の言葉がわかるというだけで本来抜擢されることのない小姓にのぼり、家重を補佐する。
  幕閣の中には忠光が本当に理解しているのか?勝手にしゃべっているのではないか?と疑う人物もでてきたが、忠相や老中の酒井忠音らは忠光を支援し、家重将軍の誕生にこぎつける。

  忠光は家重が将軍の間中、将軍の「口」に徹し、みずからの意見などは一切交えることなく,通詞としてその職務を全うした。過去幕府の弊害になった側用人になるリスクはあったが、忠光の職務に対する忠誠と矜持はそうなることを自ら戒めたのだろう。
  今日の日本の組織で求められるのはそういうブレない人物だろう。興味深い作品だ。


  


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広辞苑によると、チャンバラとは「刀剣できりあうこと」だそうだ。本書はいわゆる剣豪小説。宮本武蔵が主人公である。武蔵は兵法を極め五輪書などの書物も残したが、結局彼がやって(戦って負けなしの歴史)きたことはただのチャンバラだったという話だ。

  剣豪小説と聞いただけで手が引っ込むところだが、佐藤賢一氏の作品と云うことで読み始めた。これを読んで初めて知ったのだが、武蔵には養父だが父親がいた。新免無二という、当理流の創始者で武蔵(無三四)の師匠でもある。
  本書は武蔵が少年時代からの果し合いの記録が連作小説の様に記され、具体的には8人+1集団との戦いの記録である。圧巻は吉岡清十郎、伝七郎そして吉岡一門との対決でクライマックスはあの伝説的な100人切りが描かれる3つのストーリーである。

  興味深いのは武蔵のような達人でも宍戸又兵衛のような刀でなく鎖鎌との対決ではひどく苦労する。つまりどんな名人でも土俵が変わるとそう簡単にはいかないということだ。

  結局武蔵の求めたのは単に剣術を極めることだったのか、はたまた単に仕官をめざしたのか、これは武蔵に聞かないとわからないが、私が読んだ印象では武蔵の目的は剣により仕官をすることのように感じた。
  ひとつひとつのチャンバラの描写の克明さが本書のユニークさだろう。剣道の知識がある人は読んでどういう印象を持たれるのだろうか? 酷暑の夜、こういう小説ですかっとする?のも一興だろう。

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今朝、いつもの散歩で神社に行ったら風鈴が数十個吊るしてあり、きれいな音色で涼しげだった。ここで一服だ。
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