ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

カテゴリ: > サスペンス

013ce8c16640cb1b

アメリカではオピオイドの依存症が問題になっていて、訴訟問題にまで波及している。ここまでくると社会問題だが、本作はオピオイド関連の薬害にかかわる3人を柱にして、この問題を浮き彫りにしている。「トラフィック」のように社会に警鐘を鳴らす作品といえよう。

 ブラウア博士(ゲーリー・オールドマン)はデトロイトの大学で生物学を教えているが、一方研究資金の確保のため大手の医薬品メーカーからの受託業務を受けている。現在は、オピオイド系の依存性の強い薬を改善した、依存性の少ない鎮痛剤の臨床試験を受託している。すでにFDAの認可を得るために薬品メーカーは申請済でブラウア博士の検査結果を待っている。しかし、結果は芳しいものではなく、バウアーは医薬品メーカーとの間で板挟みになる。

 一方、DEA(麻薬取締局)のジェイク(アーミー・ハマー)は麻薬売人のアルメニア人の組織に潜入、カナダの麻薬の元締めの「マザー」とともに、カナダ警察と連携して一網打尽にすべく暗躍している。マザーは餌に食いつき、捜査は大詰めを迎える。

 もう一人の主人公は、ケイマン夫人(エヴァンジェリン・リリー)である。彼女は建築家で一人息子と暮らしている。過去に鎮痛剤として使ったオピオイド系の薬剤の依存症に苦しんだ経歴がある。今では回復して、息子と二人で平穏な暮らしを送っている。しかし彼らを災危を襲う。息子が事故で亡くなるのだ。死因に疑問を持ったケイマンは調べると、息子は死の直前に薬物を多量に摂取されていることがわかる。彼女は埒のあかない、警察を無視して、独自に息子の行動を調べてゆく。

 いずれもオピオイド系の薬物に関連した、人々だ。彼らはそれぞれ、別個に、薬物問題に取り組んでゆく。3つの線がつながるかどうかは見てのお楽しみ。3人の役者の演技も楽しめる佳作だが、トラフィックほど重厚感がないのは、話の進展が少々せわしないことだ。もう少し細部を丁寧に描いて欲しい。でも面白かった。



 81FWX8b-jdL._AC_UL320_

久しぶりに著者の作品を読んだ。彼女の「OUT]は衝撃的だったが、本作はまた違う意味で衝撃だ。ジャンルはサスペンスとしたが、社会派ドラマとしたほうが良いかもしれない。それくらい今の日本のみならず世界の社会情勢を将来を見て俯瞰した小説である。近未来小説といってもよいかもしれない。まあそういう分類はどうでもよろしい。
 私のような小説でも映画でも主人公に感情移入しながら見てゆくものにとって、この小説は実に恐ろしい。なまじのホラーなぞ足元にも及ばない。その怖さは、絶望的な怖さである。救いのない怖さ。それが著者の主題ではないにしても、私は主人公が感じる絶望感を共体験するべく、ページをめくるのだ。それは怖いもの見たさでもある。次に主人公はどんな恐ろしい思いをするのだろうか・・・・

 主人公はマッツ・夢井という、まあちょっと売れた女流小説家である。純文学的と云うより世相に合わせた、少々反社会的な描写、それは暴力や差別やもろもろの行動をとる主人公を置いた小説を書いている。しかし彼女・マッツ自身はコンブという5歳の雌猫を飼っている、ごく普通の女性である。劇団をやっている弟と痴ほうで入院している母親が数少ない家族である。
 彼女にある日総務省・文化局・文化文芸倫理向上委員会から出頭するよう手紙をもらう。読者からの提訴に基づき事情聴取するという内容で、JR線の房総の突端の駅に来いと云う。しかし彼女は心当たりがない。弟や出版社に相談するも、だれも何のことやらわからないのだ。仕方なく宿泊指定のためその用意をして現地に赴いた。
 しかしそこは一種の療養所であり、そこでマッツ・夢井の小説の矯正が行われるという。彼女は大いに抵抗するが、次第に閉塞感に陥ってしまう。これ以上は書くまい。

 総務省のよりどころは、ヘイトスピーチ法でそれの拡大解釈で多くの文芸人を強制して政府の都合の良い作品を書かせるというなんとも恐ろしい話だが、世界中を見ればそういうことが通っている国だってあるのだ。ソ連のかつてのスターリン時代を思わせる話でもある。表現の自由とその限界はそういう時代の国の問題だけでなく、先日起きたフランスでのイスラムに対する表現など枚挙のいとまがない。
ひるがえって、果たして日本ではそういう不安はないのか?これが著者の問題提起である。
 これは久しぶりに読んだ骨太のりきさくである。


16948869a8f74c4f
 アーロン・エッカートの扮する中年警察官フランク・ペニーの 獅子奮迅の活躍を、プライベートな放送局の素人アンカーが密着取材をして、ライブで流すという今日的な枠組みのサスペンスだ。ありえないと思える映像でも納得させられるというのは、やはりデジタル技術の進歩が裏打ちしていると感じるからだろうか?

 警察署長の娘が誘拐され、身代金の受け渡しの場面から映画が始まる。しかしそれに失敗、犯人は逃走。ペニー巡査もその通信を聞き犯人を追う。ペニーは放送局のディレクター曰く「彼は西部開拓時代のカウボーイよ」なのである。執拗に犯人を追いかける、その愚直さが真骨頂。エッカートがうまく出している。
 一方その無線を傍受した施設放送局のアンカーウーマン、エイヴァもそれを追う。いろいろあって、ペニーとエイヴァは犯人を追い、誘拐された娘の居場所を突き止めようとする。それをエイヴァのカメラで撮りそして流しながらの追跡行、娘には64分しかないのだ。

 ペニーとエイヴァの弥次喜多捜査はこの映画の柱の一つだろう、世代も親子ほど違う二人だが、お互いの仕事に対するリスペクトを次第に高めてゆく過程は、いかにもアメリカ映画だ。
 アーロン・エッカートはもう過去の人かと思ったら、なかなかタフなやんちゃなカウボーイ中年刑事を好演。結構面白かった。〆

2020年5月26日
51nxBgL5iTL._SX339_BO1,204,203,200_

多くの著名人から、絶賛と驚愕を浴びた作品。作者はもともとメキシコの交換誘拐からヒントを得て、短編を書いたが、それを温めて今回長編にまとめたということだ。

 とにかくこれほど、残酷で恐ろしい犯罪は珍しい。そしてそれを作品にする作者のイマジネーションの豊かさ?まあそういっておこう。常人ではこんな話は書けない。

 主人公はレイチェル、哲学の教師、バツイチ、そして離婚し、今は愛する娘と二人暮らし。乳がんになったが、手術と放射線治療で今は元気である。その家族に恐怖が襲い掛かる。娘のカイリーが誘拐されたのである。しかしカイリーの解放の条件は奇妙なものでビットコインで金を納めろと云うのは良いが、レイチェル自身が新たに子供を誘拐しろというもの。その条件を提示したのはチェーンを運営する人物と、レイチェルに直接電話してきた女。実はその彼女自身も子供を誘拐されており、その子供の解放条件は自分らも子供、ここではカイリー、を誘拐してこいという条件を付けられているのである。つまりこの連鎖は永遠に続くのである。だれかがFBI にでもたれこまない限り!しかしチェーンの運営者は誘拐者に対して誘拐するターゲットの選別まで指導するのである。つまりそこそこお金があって、こういう危機に立ち回れる知恵があって、しかも子供を深く愛しており、FBIなどには決して電話しない人間を選別するのである。
 恐ろしいことに、レイチェルの次のチェーンが立ち切れたときにはレイチェルが誘拐した子供を殺し、また新しい子供を誘拐しなければならない。

 果たして、レイチェルはこの苦境をいかに脱出するか、そしてチェーンの運営者は果たして何者なのか?息もつかせぬサスペンス。途中でいやになる人もいるだろうが、独創的な話の結末を知りたい人がほとんどだろう。

↑このページのトップヘ