ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

カテゴリ: > ミステリー

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ブルース・ウィリス主演の同名の映画とは違う。映画は肉体がアンブレイカブルだが、本作のアンブレイカブルは不屈の精神をいう。

 読んでいて、ある作品を思い出した。それは桐野夏生著の「日没」である。本作と「日没」の共通なところというか、背景に流れるモチーフは国による、芸術や思想や文化への介入である。「日没」は近未来だが、本作は治安維持法でがんじがらめにされた、1920-40年代が舞台である。これらはいずれも現在の社会への警鐘と思って良いだろう。

 この作品は連作小説である。それぞれ主人公は違うが、いずれも官憲に屈しない、アンブレイカブルな精神の持ち主たちである。しかし、各編に共通の人物が登場する。それは特高を仕切る、内務省のクロサキなる人物である。ウイキでしらべたが、黒崎なる内務省の役人はいたが、本作のクロサキのモデルにしては経歴があまりに違うので、クロサキは特高の代表と云うことで、架空の人物だと思う。ちょうど映画「ゼロダーク・サーティ」でジェシカ・チャスティンが演じたマヤのような存在かもしれない。まあこれは私の思い込み。
  
 各章はタイトルがあって、各章にはアンブレイカブルな実在の人物が登場する。
  雲雀→小林多喜二
  叛徒→鶴彬(川柳師)
  虐殺→和田喜太郎(中央公論の編集者)
  矜持→三木清(哲学者)
 いずれもクロサキが投じた仕掛けとそれに応ずるアンブレイカブルな男たちを描く。反体制運動を取り締まる治安維持法により標的だった共産党は壊滅して、法の役割は終焉したと思われたが、反体制思想や人物の逮捕のノルマに追われるようになるまで、特高の役割が変化してゆく様が怖ろしい。クロサキなる人物の内面をもう少し見て見たい気がするが、それが本作の目的ではないだろう。法は執行者によって変容を遂げるさまが主人公なのだから。一気読みの小説だ。


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 主人公は白石と云うもと家庭裁判所の調査官、ゆえあって、退職し今は妹の家に居候して、主婦業に徹している。
そこへ同期で茨城県警の捜査一課に勤める和井田が訪ねてくる。かつて白石が担当した薩摩治郎と云う青年がホテルで刺殺されたという。和井田は調査官時代の薩摩治郎についての情報収集に来たのだった。
 しかし事件は思わぬ方向へ流れてゆく。薩摩治郎の自宅を調べたところ、地下室に女性を監禁していたのだという。しかも彼女以外にもう一人いて、その女性はすでに亡くなっているというのである。すでに現役をひいている白石だが過去のつながりから、和井田に協力して、治郎の周囲について調べ始る。しかしこの事件は思わぬ様相を呈して、事件は混とんとしてくる。

 この作品はDVの連鎖、DVの連続である。次から次へといろいろなDVが登場して気持ちが悪くなるくらいだが、それが主題である。つまり、DVを受けたものがDVをする、DVの源流を暴いたものだといえよう。

 一気読みしてしまったが、今少し不満を言えば、主人公たち例えば白石や和井田、治郎の父親など多くの登場人物が今ひとつリアリティに欠けるように感じた。あえていえばステレオタイプか。地獄の底をのぞくような人間の心までは描き切れていないように思った。

 

2020年3月5日
「Iの悲劇」米沢穂信著、文芸春秋
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著者の作品はすべて読んでいるとは言わないが、どれも興味深い、最初に読んだのが「満願」で本作のような連作集であり、とても面白かったのを覚えている。あれはたしかNHKでドラマ化されたんじゃなかったかな?
 それはさておき、本作もプロローグとエピローグつきの6作の連作である。くれぐれもエピローグは先に読まぬことだ。
 日本の県は分からないが、雪国にのようで、山林業で栄えたというから中部地方の山の中のようだが場所は特定できない。そこの「南はかま市」に設置された「甦り課」の3人の課員の奮闘記である。南はかま市は3都市と合併させてできた合成市である。現飯島市長政権以前の市長のもと膨張政策をとったため、赤字垂れ流し状態となったのを、新市長飯島が緊縮財政を展開し財政状態が回復化にあるころ、市長肝いりで一つのプロジェクトが立ち上がる。それは市のはずれにある村民ゼロの實石に公募した人々を移住させるというIターンプロジェクトなのだった。それを担当するのが3人の役人西野課長、中堅公務員万願寺、新人の観山嬢である。

 先日テレビを見ていたら九州のある都市で同じようなことをしており、(そこは人口ゼロ地区ではなく過疎地区だったが)、都会から移住を公募、住居の補助や転居費の補助、教育費医療費の無料化などを歌っていた。このIプロジェクトも同じである。
 しかし、不思議なことにこの南はかま市のプロジェクトでは住民同士のトラブルや事故、事業の失敗などが相次ぐのだ。その都度3人の課員が天手古舞、その奮闘記を描いたドラマかと思いきや、主題は全く別のところにあったという、米沢らしいひねりたっぷりの作品だったり。
 過疎化や限界集落が喧伝される中、地方と大都市の格差がますます広がる、そういう中でも人々一人一人の営みはやめるわけにはいかない。どこで生活するかは自由とは言え、そうことほどさようには簡単ではない。では与えられた天地で本当に幸せになれるのか、そのための条件はなにか、それにたいして、国や公共団体は何をするべきかを鋭く問題提起している。いずれにしろ人は生きるしかないのだが、ミステリー仕立てのドラマとして面白く読んだ。





2019年9月3日
わだち

「罪の轍」、奥田英朗著、新潮社
帯封に、これぞ犯罪ミステリーの最高峰、とあるが、これは誇大でも何でもなく、まさにその通りと云いたい。私が今年読んだあまたの作品のなかでも面白さは傑出している。ただこの本のレビューはとても難しい。帯封に書いてあることですら読者に予断を与えてしまうのだ。だからこのブログではストーリーについては何も語らないことにする。それ以外の面白さもすごいのだ。

 まず、時代感が良い。舞台は先のオリンピックの前年の昭和38年である。本書では食事代や交通運賃やその他この時代を彷彿とさせる事象について実にきめ細かく記述してあり、その時代高校生だった自分にとっても、まったく同時代感を違和感なく味わうことができる。この時代への懐かしさで胸がいっぱいになる。
 また本作の舞台の地理的なスケールが魅力だ。北は北海道の礼文島から始まり東京へ舞台が移る。礼文島の記述の同時代感も興味深い。犯罪者のルーツを訪ねて礼文島を訪れる刑事たちはまるで「砂の器」のようだ。さらに東京の描き方が良い。特に山谷の描き方が生き生きしている。
 そして本作の登場人物の造形の深さも読みどころだろう。主人公の落合刑事は当然として、その他キャバレーの女一人一人、また山谷の旅館の経営者一家(帰化した朝鮮人)、街の子供たちなど、それぞれが生き生きとその時代を生きているさまが描かれている。
 ただ、捜査一課の刑事たちの描き方が少々ステレオタイプなのが少し物足りないがこれは警察の組織の表現と思って素直に受け入れるしかないだろう。
 これではなんだかよくわからないという方もおられるかもしれないが、まあ騙されたつもりでお読みなさい。決してがっかりはしないでしょう。


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