ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

カテゴリ: > ミステリー

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今年の江戸川乱歩賞、受賞作品。著者の三上幸四郎氏は脚本家で本作が処女作。
  この本を読み始めたときはなんだこれはミステリーじゃないよな?文芸ものか?そういう予想がちらっとよぎった。しかしミステリーでないものが江戸川乱歩賞を取るわけがない。そしてなるほど殺人事件は起きるし、その謎解きもほぼ定番の進行。はてさて行方は如何に?
  しかし本書の最大の魅力はその謎解きもさることながら、3人の女主人公の魅力によるものだ。後ろの参考文献を見ると3人とも実在であり、文筆家として作品も残っている。
  メイン主人公は田中古代子(こよこ)。鳥取市から電車でちょっとの日本海沿いの浜村と云うところが舞台であり、彼女の出身地。父親が運送業で成功、今は故人で弟が事業を継いでいる。彼女は新聞社に勤めていて、小説を書いていて、それが入選、上京しようとしている。そういう中で殺人事件に巻き込まれる。彼女が探偵となるわけだけれど、著者の書く「こよこの」魅力は読み進むほどわかってくる。小さくておとなしく引っ込み思案の「こよこ」が活動の弁士になるシーン、そんな弱虫「こよこ」が女性の存在価値について演説をぶつ感動的な場面。これが小説のクライマックスかと見まごうばかり。その熱気に打たれ読み手もジーンとくる。

  なおこの作品の時代は1924年、大正末期である。
  もう一人の女性は、実は娘の千鳥である。彼女も実在で、7歳ながら作品を残している。この少女の詩の素晴らしさもこ小説を豊かにしている。彼女は「こよこ」以上に名探偵ぶりを発揮する。
  3人目の女性も文筆家で「こよこ」と同郷である。尾崎翠という。彼女はけっして物語の流れには主流とはならないが、「こよこ」や千鳥との交流を描くことで、この小説を単なるミステリーに終わらせない、ふくらみをもたらす。彼女も実在の人物。その他娼妓の恵津子、「こよこ」の内縁の夫、社会主義者の涌島など登場人物の造形が素晴らしい。
  読後はミステリーの謎解きの面白さもさることながら、大正末期に生きた女性文筆家の生きざまが素晴らしく、深い感動をもたらす。


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歌舞伎作者の河北黙阿弥の半生を描いた超力作である。歌舞伎ファンは必見の書である。

  江戸時代末期1840年からこの小説は始まる。この時代の歌舞伎作者は歌舞伎役者に従属していて、ほぼ言いなりで、黒子だった。作者の名前でお客を呼ぶなんてことはまずありえなかった。
  少し違うがロッシーニやヴェルディが歌い手たちが勝手に歌うのを禁じ、オペラ舞台に作者の規律をもたらしたと同じように、河北黙阿弥(若いころは芳三郎、のちに新七)は作者の名前でお客を呼ぶ作家になりたいと夢見た。本書はその黙阿弥の歌舞伎役者たちの邂逅を描いたものである。登場するのは海老蔵、小團次、左團次、田之助らである。

  面白かったのは関西弁が抜けない左團次が黙阿弥の指導を受けて、苦労して言葉の壁を克服して成長をしてゆく過程が感動的。もう一つ、舞台上の不慮の事故がもとで壊疽となり、手足が切り取られて、両足がなくなっても、舞台に上がる、役者魂! 実に感動的である。
  もう一度言うが、歌舞伎をよく知っている方々は面白くて止まらないだろう。参考文献を見ると、本書の重厚なつくりが一層わかるだろう。
                                       〆

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スケールの大きいストーリーだ。
望月氏の作品で読んだのはこのシリーズに当たる「蟻の棲家」だったがそれも興味深い作品であったが今作も同様。
  主人公はフリーランスのノンフィクションライター木部美智子であるのは「蟻の棲家」と同様。評価の高い雑誌「フロンティア」の看板作家である。
  事件の発端はいくつかあって、一つはあるジャーナリストが豪雨の中おぼれ死んだこと。そしてもう一つは5000円札の両替が頻発したこと。その紙幣は汚れていたが、それは血痕の後だった。
  この一見何の関係のない事象が、やがて伊方原発やその近辺で起きた殺人放火事件、さらには満州開拓団にまで大きく展開して、読んでいて底知れぬスケールに、ページをめくる手がとまらない。

  いろいろな人物が出てくるが主人公の女性ライター木部の造形が最も印象深い。
  話は変わるが最近の海外を含めたこういうミステリー小説や映画で女性が主人公の多さに驚くばかり。
  昔はミステリーやサスペンスと云えば男が主人公だった。古くはホームズ、ポワロなど、しかも相棒も男。ハリー・キャラハンに女性の相棒ができたとたんに死んでしまうなんて展開もある。
  しかし例えば今よく読んでいる、カリン・スローターの作品などでは、女性が主人公だったり(彼女のかけら)、トレントシリーズでは相棒が個性的な女性だったりする。もうこのジャンルで男女の差は全くない。

  話はそれてしまったが、本小説の場合も木部がすべてを支配するといって良いが、他の男のジャーナリストたちが少しありきたりというか、ステレオタイプというのは仕方がないことだろう。
                                          〆

この連休は音楽会もなく、音楽ブログは開店休業。読書とDVDでの映画ばかり見ていた。そのなかでベスト本はこの作品。

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「罪の声」塩田武士の最新作である。罪の声は実際の事件をあたかもノンフィクションかの如く、小説化した傑作。映画にもなり、今のところ塩田の代表作といえよう。

  本作「朱色の化身」これはまた、「罪の声」とはことなる新境地。罪の声は実際の事件を題材にしていて、登場人物も実在の人物が多い。しかし「朱色の化身」はたしてモデルがあるのかどうか、登場人物はおそらくすべて実在しない。しかしここで描かれる人々はまさにリアリズム。その人々の生きているさまを「人々」ではなく「一人に人」として描く。

  これを見ていて閃いたのはこれはまるでブリューゲルの農民画のようである。

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これはブリューゲルの農民画である。ここでは精密な農村描写を背景に農民を描く。しかしよく見るとこの人たちは農民と云う一般名称ではくくれない。彼らはそれぞれ家庭があり、家族があり、悩みがあり、苦しみや喜びがある。一人一人の顔を見てゆくとそういう一人の人(農民)としてのリアリティ、存在感が見えてくる。
  「朱色の化身」もそうだ。インタビューで多くの人々からヒアリングした内容を積み重ねてゆくとある一人の人間の生きざまが見えてくるのだ。

  この作品の主人公は大路 亨というジャーナリスト。関西系の大手の新聞社を勤め、いまは小さなメディアに属しながら、丹念なリサーチでルポを書いている。発端は彼が書いた記事。あるゲームソフト会社の優秀なプランナーである、辻 珠緒と云う女性の記事である。しかし、珠緒はそれから間もなく行方不明になる。ソフト会社の社長から珠緒の行方の調査を依頼される。
  一方、これを本線としてもう一つの流れとしては、彼の祖母のまだ若いころ、彼の祖母は辻静代と云う女性の行方を調べていて、その興信所の調査記録が残っていた。それを亨の父親が持っている。父親が亨に辻静代を調べてくれと依頼する。
  この二つの流れが交差する。

  この小説のミソほとんどがインタビューと亨の推理で成り立っていることだ。証言の積み重ねで事件を浮かび上がらせる手法はよくあると思うが、大体それは、リアルさのための一種の装飾であり、実は嘘っぽいのが多い。しかし本作では小道具の素晴らしさでリアリティを勝ち取ってゆく。つまりインタビューをする場所の設定、描写がじつに細密であり、このインタビューは本物ではないかと思わせるのだ。そういやって事実の積み重ねで、次第に一人の人物の決してハッピーとは言えない人生が浮き彫りになる。

  この作品では多くの時代背景がこれも精密に描かれる。最大の事件は昭和31年の芦原温泉大火である。これらの時代背景の描写の精密さ・緻密さは本書のリアリズムの根源になっていて、ここに登場する人物の運命を左右する。
  ここで描かれるある女性の3代の生きざまは昭和史の断片でもあるが、その悲惨な運命には胸が締め付けられる思いだ。これは「罪の声」以上の傑作だ。多くの人に薦めたい。


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1939年ナチスが台頭、ポーランドに侵攻し、世界大戦の前夜のベルリンを描いた、ミステリーでもあり、歴史小説でもある。

  歴史小説と云う面は、1939年のベルリンの社会を克明に描いていることである。この当時もうすでに灯火管制をしていたり、食物は配給券が必要だったり、もうこの時点では総力戦の様相を呈している。戦争はこのあと1945年まで続くのである。社会的・政治的にはすべての組織はナチスに組み込まれてゆく。特に役人はプレッシャーが激しく、党員でない人物は極端には異端的にみられる、さらには出世しようと思うと、組織の一員であっても親衛隊に入隊して軍隊的な階級、例えば大佐などを付与されることまで、暗黙の強要になっている。この時代背景描写が面白いし新鮮だった。遅れたがもちろんユダヤ人への迫害のこれはまだ初期と云えようが、それでもドイツ人のユダヤ人蔑視の厳しさは少々唖然とさせられるほどだ。その部分の描写もうまい。

  さて、このような社会の中でのミステリー。これがすこぶる面白い。主人公はクリミナルポリス略称クリポ(犯罪警察)の有能な警部補。中流貴族の出身、元モーターレーサーと云う異色のキャリア、ただ負傷して今は刑事のいわゆる班長だ。刑事は自分の天職と考えている。一方勢力を至る所に張ってきている(もちろん警察組織にも)ナチスにはおもねらず、入隊していないので組織では異分子とみられている。かの有名なカナリス提督の姪を恋人にしている。名前はホルスト・シェンケ。

  発端はゲシュタポのミュラー大佐から一本の電話。元女優のゲルダ惨殺事件の捜査を指示されたことから始まる。本来の職制を飛び越えて指示だった。その代わりゲシュタポからのお墨付きを得ての捜査となった。シェンケの捜査は現代の警察ものと変わりがないので、今のミステリーを読む感覚、しかし時代は1939年。この時代と物語の複合がこの小説に重厚感とリアリティを与えている。近来まれにみる面白い警察小説。
 なお、最近の日本のミステリー小説の類はメッセージ性が露骨で辟易させられるが、本小説はそのメッセージがうまく埋め込まれている。寝不足必至。


  

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「地獄の黙示録」を思わせる展開だが、主人公はウイラード大尉ほどかっこよくない。
 主人公はそのかっこよくない八目 晃だ。風采も上がらず、頭もさほど良くない、名前まで「やつめ」で冴えない。八目はやっと大学を卒業し、コンピューター系の企業の派遣社員として働いている。職場では弱いものいじめのセクハラ野郎と云われている冴えない男。彼が光り輝いていたのは高校時代、野々宮空知というクラスメートと親しかったころだ。空知は晃とは正反対、美貌と容姿に恵まれ、しかも頭も抜群の出来。そしてさらには姉の橙子と妹の藍もそれに輪をかけたような美貌の持ち主。晃は野々宮家では実にハッピーだった。

 しかし、高校を卒業すると空知は美大に行き、そして海外に出て行方が分からなくなる。橙子も藍もいつの間にか不明になる。
 ある日、野々宮家の空知の父親の急死の報が入る、そして通夜に参列するが、その席で、わずかな弔問客のふたりから空知の行方を捜してくれと頼まれる。空知はカンボジアで行方不明になっていたのだった。晃は仕事もいやになっていたところから、わずかな報酬でその任務を引き受け、カンボジアに向かう。晃はほとんど手掛かりのない中、空知の行方を探る。そこからは晃は、実に多くの人物たちと遭遇しながら空知を追い求めることになるが、本編の大半は晃とそれらの人物との交流が描かれ、更にはそれを通じて晃が人間として成長してゆく様が描かれる。それで何が「地獄の黙示録」か?は最後まで読めばわかる。

 しかし本作の主題はタイトルの「インドラネット」にある。つまり「仏語のインドラの網とは、インドラ(帝釈天)が住む宮殿を飾っている網。その無数の結び目の一つ一つに宝珠があり、それらが互いに映じあって、映じた宝珠がさらにまた互いに映じあうとされるところから、世間の全存在は各々関係しながら、しかも互いに障害になることなく、存在していることにたとえたもの。」というところにある。第一級の読み物として、大変面白く読んだ。

 

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