(ウエルザーメスト盤)
2022年のザルツブルグ音楽祭の公演、プッチーニの「三部作/IL・TRITTICO」が早くもDVDで発売になると聞いて早速タワーレコードに予約した。
この公演はいくつかの特徴があって、例えば演出家のクリストフ・ロイの指定で、通常は外套~アンジェリカ~ジャンニ・スキッキという上演順を変えて、ブッファの「ジャンニ・スキッキ」をはじめに持ってきていて、次に残虐な殺人の場面のある「外套」、そして最後に宗教的な救済劇ともいうべき「アンジェリカ」を持ってきている点である。
もう一つ上げると、多分これが最大の特徴だろうが、3部作の内、主役級のソプラノはすべてアスミク・グリゴリアンが歌っていることだろう。今までにこういう公演や録音に触れたことがなかったので興味深かった。だからこれはグリゴリアンの「三部作」とも言って良い。
ソプラノの負荷としてはホフマン物語のオランピアなど3人のホフマンの恋人を一人で歌う以上の難しさがあるかもしれない。それは結局ホフマン物語は技巧的には別にして、恋の物語である。しかしこのプッチーニの3部作は3作ともスタイルが全く違う。
ブッファの「ジャンニ・スキッキ」では「私のお父さん」と云う超有名な歌1曲だけで比較的負荷が軽いが、2つ目の「外套」倦怠期の夫婦に襲ってきた危機に、若き恋人ルイージが絡む。ジョルジエッタ/ミケーレ夫婦は愛していながら、ミケーレは嫉妬に狂いルイージを殺して,外套にくるんでジョルジエッタに示す。ジョルジエッタはルイージとの2重唱やミケーレとの2重唱の他、沖中仕とのやりとりなど芝居も歌も大変な役回り。
最後のアンジェリカに至っては一人芝居ともいうべき。不義により貴族の娘ながら贖罪のため修道院に入れられ、家族とも隔離されるが、叔母から子供が死んだと聞かされてから、平常心を失い、聖職者の身ながら、天国の息子に会うために毒を仰ぐが、最後はマリア様に救済されるという感動的な救済劇。3役まるで違うところにこの3部作のソプラノの難しさがある。
新国立でも3部作を始めたが細切れにしなければならないのはソプラノだけにしても歌い手をそろえるのが大変だからだろう。それにしてもかつて二期会が日本人だけでこの「三部作」を上演したのは誠に快挙だというべきであろう。
グリゴリアンはザルツブルグの「サロメ」に彗星のごとく登場、そしたらすぐにバイロイトで「さまよえるオランダ人」のゼンタを歌うという。いま欧州で最も生きのいいソプラノだろう。
さて、キャストは以下のとおりである。
指揮:フランツ・ウエルザー・メスト
演出:クリストフ・ロイ
ウエルザーメストは今年は体調不良でキャンセル続きだが、2022年はまだ元気で、(私には)彼には珍しいプッチーニを好演
演出のクリストフ・ロイは2020年のzルツブルグ音楽祭で「コシ・ファン・トウッテ」の演出を行ったがこれがすこぶるスピード感のあるもので、歌い手のよさもあってえらく気に入った。NHKで放映されたのでダビングして大事に取ってある。
ロイの特徴は写実的な舞台を目指しているのではなく、あくまでも歌い手の心理描写に重点を置いている。だからジャンニ・スキッキがブオーゾのまねをするわけだけれど、見ているとほとんど何もしていないので(衣装など)まったくブオーゾとはちがって、これでばれないのは不思議だと思うが、これはみんながスキッキをブオーゾと思い込んでしまえば、仮装は関係ないという発想なのである。
ただ「外套」ではヴェリズモオペラを踏襲しており、かなり具体的な歌い手の動きや衣装である。
アンジェリカは舞台転換が変わるはず(たとえば新国立では回り舞台でいろいろな場面を絵画的に見せていた)だが、ロイはあまりそんなことには頓着しない。
これはアンジェリカの冒頭である。これは礼拝堂のようであるが、アンジェリカの部屋のようでもある。左手にはアンジェリカが育てている植物がある。右手には見習い。中央に座っているのがアンジェリカ。舞台はこの場面だけだ。なお、左手上方には陽の差す大きな窓があり、その光がマリア様を暗示している。
さて、以下歌手である
まず、ジャンニ・スキッキ
ジャンニ・スキッキ:ミシャ・キリア
ラウレッタ:アスミク・グレゴリアン
ツィータ:エンケレイダ・シュコサ
リヌッチョ:アレクセイ・ネクリュードフ
ネッラ:ラヴィニア・ビーニ
ミッシャ・キリヤは巨漢であり、やせ型のブオーゾとは体形が違うのでそもそも入れ替えるのは芝居上は難しいが、音楽的には何の問題もない。ただスカラ座/シャイー/ヌッチ盤に比べるとブッファ的要素が少ないところが不満と云えば不満だ。スキッキが真面目に悪だくみに取り組もうとしているところが、少々いやらしく思える。ラウレッタの「私のお父さん」は感情過多にならず(大体そうなる)さらっと歌い切るところがグレゴリアンの面白さ。
ここはまだブオーゾがベッドにいる。多分亡くなっている。遺言書では財産全部を教会に寄付と聞き、がっかりしている親族たち
公証人を呼んで遺書を書きなおすシーン。ここでは偽ブオーゾ(スキッキ)が素顔で登場(ベッドの上)。ブオーゾの親族たちの一喜一憂振りがこのオペラの面白さになるだろう。
次は「外套」
ミケーレ:ロマン・ブルデンコ
ジョルジエッタ:アスミク・グレゴリアン」
ルイージ:ジョシュア・ゲレーロ
この3人の主役級の素晴らしさは特筆してよいだろう。なかでもグレゴリアンの運搬船の狭い居住に嫌気がさして、広い生まれ故郷を懐かしむ歌は心が動かされる。彼女はあの細い体のどこからこんな声が出るのか不思議でしょうがないくらい見事な歌唱を示す。合わせるルイージもマッチョぶりを発揮してこの2重唱は聴きごたえがある。ミケーレが泣いて、ジョルジェッタに愛を戻そうと歌うシーンは、男の未練がたっぷりでこういう経験のある人には共感を呼ぶだろう。
幕切れはルイージが外套の中で死ぬが、ジョルジェッタは生きて川岸のベンチに座って幕。外套の中で2人ともなぶり殺しに会うという演出もあるがこのロイの演出はスマートだ。
ジョルジェッタとルイージ
ミケーレの悲しい哀願の場面
最後は「修道女アンジェリカ」
アンジェリカ:アスミク・グリゴリアン
公爵夫人:カリタ・マッティラ
ジェノヴィエッファ:ジューリア・セメンツァート
修道院長:ハンナ・シュヴァルツ
三部作のいよいよクライマックスである。当然見せ場は公爵夫人との対面の後アンジェリカが毒を仰ぐシーンから幕切れまでである。
そしてこの場面のグリゴリアンの歌唱の精緻なこと、人間業とは思えないほど素晴らしく感動的である。公爵夫人にたいして攻撃的なアンジェリカは我が子が死んだと知り絶望的になり財産放棄に署名する。その後遺児の遺品が届けられる。しかもアンジェリカの私服やたばこなどまで差し入れされるのだ。その遺品の数々に触れながら歌うグリゴリアンの歌は涙なしには聴けない。多分だが修道女の一人は本当にもらい泣きをしていた。
そして、母はいつお前に会えるのだろうか?と歌い、自分の植物園で毒を仰ぐ。しかしその前に彼女は修道女の制服を脱ぎ、差し入れの私服に着かえる。聖職者から還俗して死を迎えたのかともとれる演出であるがどうだろうか?
毒を仰ぐアンジェリカは自らの眼をナイフで刺す、盲目となった彼女は、息子と再会して幕。最後は今一つすっきりしないが、グリゴリアンの歌唱の素晴らしさがすべてを消す。
そのほか、ゲノヴィエッファの感情移入の優れた歌唱は印象に残った。ハンナ・シュヴァルツはじめ女性陣の実に自発的な歌唱は、先日聴いた新国立の「アンジェリカ」とはえらく違った印象を持った。
アンジェリカが息子の消息を問い詰める。左の公爵夫人はなんとなく落ち着きがなく少々不満。
シャイー盤にはかなわない。
盲目のアンジェリカは天国の息子と対面する? シャイー盤では明らかに救済と云うことは分かるが、ロイの演出ではそこがわたしにはすっきりしない。
さて、この「三部作」はいままでは、「パッパーノ盤/ロイヤル・オペラ」と「シャイー盤/スカラ座」の2本(いずれもDVD)が私の中では標準だった。特にシャイー盤はフリットリ=アンジェリカ、ヌッチ=ジャンニ・スキッキの2人の歌唱が圧倒的で、パッパーノ盤のヤオとガッロをはるかに凌駕しているので、最近ではシャイー盤ばかり聴いてきた。しかしここにきてこのウェザーメスト盤が現れ、これは誠に甲乙つけがたく、この曲がお好きな方はシャイー盤とウエルザーメスト盤の両方を聴くべきでしょう。残念ながらパッパーノ盤は脱落。
〆
シャイー盤