ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

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バブル経済の折、大阪の 北浜の天才相場師と云われた、尾上 縫をモデルにし、社会派ミステリースタイルにした小説。かなり実在の尾上を思わせる記述もあるが、創作部分がかなり多いので小説のジャンルだろう。

 面白いのは小説のスタイルである。著者と思しき人物が、コロナ禍の現在、尾上 縫を題材に作品を書こうと、尾上にまつわる人物たちをインタビューする。そういうインタビュー形式で次第に尾上の素性を明らかにしてゆく。ここで登場するインタビューを受ける人物たちの造形が面白く、尾上が主人公だろうに、わき役のような印象すら受ける。ただその造形は小説的に見て面白いのであって、リアリティと云う意味では少々物足りない。ノンフィクションにしてはその面白みが消えるので、小説にしたのは正解だろう。しかしこの尾上なる人物、小説にしてもノンフィクションにして魅力的な人物であることは間違いあるまい。
 最後でこの作品がミステリー仕立てであることがわかるという寸法。なかなか凝った作品だ。好みとしてはノンフィクションで読んでみたい。〆


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タイトルのディア・スナイパーのディアは鹿の意、デニーロのディア・ハンターという名作とは似て非なるタイトルだ。邦題をディア・ハンター としなかったのは、主人公のリード(トム・ベレンジャー)はハンターであり最終的にはスナイパーになるからだろう。ただし原題は「BLOOD AND MONEY]である。

 リードは老齢のハンター、鹿狩りを生きがいにしている。小型のキャンピングカーに乗り、メイン州の北部の森(入林には申告がいる)に分け入り、鹿を追っている。妻とは別れ、息子とも1年以上あっていない。娘は死別している。天涯孤独で悠々自適の生活を追っていた。
 彼の狙いは牡鹿で、それを追い求めていた。ある日鹿を追跡して、狙いをつけ、撃つが、死体のそばにきてびっくり仰天。それは若い女性だったのだ。驚愕のリード。

 このリードの誤射事件とカジノ強盗事件とを結びつけた後半はリードの追跡劇となる。

 おそらく、トム・ベレンジャーの「スナイパー」シリーズに触発された作品だと思う。安易ではあるが、ベレンジャーがよたよたのハンター&スナイパーを好演しているのでまあみられたものになっている。脇役が何となく地味なので少々もったいない。もう少し予算を奮発すればさらに面白かったかもしれない。ベレンジャーのスナイパーシリーズをお好きな方は見ても損はないだろう。

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シルクロードというと、最近ではNHKの番組の「シルクロード」が印象的だ。最近と云ってももう半世紀近く前の映像だが、リマスター版を昨年再放送していたので私には記憶が新しい。あのテーマ音楽と冒頭の遊牧民がラクダととぼとぼ歩く姿が何とはなしにもの悲しく、郷愁を誘う。楼蘭など地に埋もれた国ぐにの栄枯盛衰を思うと、夢のようでもあるし、幻想的な世界と云っても良いくらいの神秘的なものを感じる。

 しかし、本書ではそういう感傷的な部分はほぼない。そこにあるのは世界の4大文明を生んだユーラシア大陸(エジプトは違うが)に挟まれた中央ユーラシア民族の歴史的な重要性を強く描き切った骨太の世界だ。
 著者の世界史の立場は西洋(ヨーロッパ)が世界を築いたような物言いの今日の「世界史」に対しての視線が冷たいということだ。むしろ中国に代表される東洋の世界史における重要性に焦点を当て、その東洋と西洋を結び付けた中央ユーラシアの民族の世界史的意義を強調している。
 中央ユーラシア民族は西洋と東洋を結び付けたというが、それは無償の行為ではなく、ある時暴力と略奪によって成し遂げられている。それはあたかもコロンブス以降の西洋がアメリカ大陸やアジアからの収奪によって世界を治めたのと対比的だという。そして中央ユーラシア民族がそれができたのは、騎馬による戦闘集団の確立による。世界で最も戦闘集団がそこにいたのである。それは中国(漢民族)も欧州も西アジアの諸王朝もかなわなかったのである。
 しかし、暴力と略奪がすべてではなく、平時的にはいわゆるシルクロードは絹馬の道として機能していたのである。そしてそれを媒介したのはウイグル人でありソグド人である。

 本書で興味深いのは民族ではソグド人、宗教ではマニ教に焦点を当てていることだろう。日本とのかかわりでの最終章の記述は誠に興味深い。
 
 わかりやすいところと突如として難解になる部分があるが、著者はあとがきで、読み飛ばしてくださいと書いていたので、遠慮なく読み飛ばした部分も多々あるので、読後感は自己流かもしれないが、知的好奇心を大いに書きたてられる本であることはまちがいない。〆


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重厚な絵巻物的な犯罪映画である。同じマフィア物でもハリウッド映画とイタリア映画とはずいぶん肌合いが違うものだ。要するに見る者にあまりおもねらない、真の犯罪組織の怖さを指し示す。
それは主人公の「裏切り者」の表情の変化を見ていると手に取るようにわかるのだ。150分の長尺ものだが、同じ長尺物でも、先日見たクリストファー・ノーランのちんぷんかんぷんな「TENET」より数等よくできている。イタリアアカデミー賞、カンヌ映画祭出展作品。

 主人公はトマジーノ・ブシェッタというシチリア・マフィア組織いわゆるコーザノストラの自称一兵卒だが、力はもっている。彼は麻薬組織化しているマフィアをまとめようとしたが失敗して 、ブラジルに戻る。もともとブラジルで成功し巨万の富を得ていた。しかし敵対組織からの攻撃で家族を失い、自身もブラジル政府に逮捕されてしまう。拷問にも耐えるが、このままでは家族を守れないと考え、取引に応じてイタリアに戻る。最初はかたくなブシェッタもファルコーネ判事と出会うことにより次第に自身の事を語りだす。 
 原題は「IL TRADITORE」つまり裏切り者ブシェッタのことである。彼の証言がイタリア犯罪界に大きな波紋を投げかけるだけではなく、政界にまで影響を与えたという。
 権力争いのあさましさが肉弾で感じられるが、しかしそれはこのマフィアの世界だけでなくいかなる組織でも、起きている、権力闘争と何ら変わることがなく、その縮図であることを示している。〆



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久しぶりに著者の作品を読んだ。彼女の「OUT]は衝撃的だったが、本作はまた違う意味で衝撃だ。ジャンルはサスペンスとしたが、社会派ドラマとしたほうが良いかもしれない。それくらい今の日本のみならず世界の社会情勢を将来を見て俯瞰した小説である。近未来小説といってもよいかもしれない。まあそういう分類はどうでもよろしい。
 私のような小説でも映画でも主人公に感情移入しながら見てゆくものにとって、この小説は実に恐ろしい。なまじのホラーなぞ足元にも及ばない。その怖さは、絶望的な怖さである。救いのない怖さ。それが著者の主題ではないにしても、私は主人公が感じる絶望感を共体験するべく、ページをめくるのだ。それは怖いもの見たさでもある。次に主人公はどんな恐ろしい思いをするのだろうか・・・・

 主人公はマッツ・夢井という、まあちょっと売れた女流小説家である。純文学的と云うより世相に合わせた、少々反社会的な描写、それは暴力や差別やもろもろの行動をとる主人公を置いた小説を書いている。しかし彼女・マッツ自身はコンブという5歳の雌猫を飼っている、ごく普通の女性である。劇団をやっている弟と痴ほうで入院している母親が数少ない家族である。
 彼女にある日総務省・文化局・文化文芸倫理向上委員会から出頭するよう手紙をもらう。読者からの提訴に基づき事情聴取するという内容で、JR線の房総の突端の駅に来いと云う。しかし彼女は心当たりがない。弟や出版社に相談するも、だれも何のことやらわからないのだ。仕方なく宿泊指定のためその用意をして現地に赴いた。
 しかしそこは一種の療養所であり、そこでマッツ・夢井の小説の矯正が行われるという。彼女は大いに抵抗するが、次第に閉塞感に陥ってしまう。これ以上は書くまい。

 総務省のよりどころは、ヘイトスピーチ法でそれの拡大解釈で多くの文芸人を強制して政府の都合の良い作品を書かせるというなんとも恐ろしい話だが、世界中を見ればそういうことが通っている国だってあるのだ。ソ連のかつてのスターリン時代を思わせる話でもある。表現の自由とその限界はそういう時代の国の問題だけでなく、先日起きたフランスでのイスラムに対する表現など枚挙のいとまがない。
ひるがえって、果たして日本ではそういう不安はないのか?これが著者の問題提起である。
 これは久しぶりに読んだ骨太のりきさくである。

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