新・絶望的音楽三昧の、第2週はオペラ編で息が切れ、昨日は中断、本日「その2」として再開します。
NHK/BSで通し狂言・南総里見八犬伝が放映され、視聴した。これは実に面白かった。
里見八犬伝はとても懐かしい。小学校のころ講談や講談本にはまり、そのなかで少年用に書かれた里見八犬伝はとりわけ面白く、貸本屋から何度も何度も借りて読んだ。たしか1冊10円だったと思う。そのころは扇谷定正やら古河公方などさっぱり意味が分からなかったが、お家再興のため8つの珠をもった犬の文字のついた名前を持つ、八剣士が死力を尽くす物語に感動したものだった。
今回歌舞伎でこれを見て、その頃を思い出した。講談本とのイメージとはずいぶん違ったがこの歌舞伎3時間半ほどあっという間であった。この公演を見て歌舞伎と云うのは実に様式美の芸術なのだなあと改めて強く感じた。欧州のオペラはその様式美を破壊して今日に至っているが、歌舞伎は少しづつ変わってきているのだろうが、様式美が基本にあるのは変わっていないように思う。
一つ一つのシーンの最後に必ず見えを切るその形の美しさ、花道を退場する姿の型の均整の取れた美しさ。例えば尾上松緑の演じた犬飼現八の退場シーンなどの、見事さは感動ものであった。
役者の中で印象に残ったのは尾上菊之助の気品のある犬塚信乃、坂東彦三郎のダイナミックな犬田小文吾、松緑の現八の小気味よさ、などである。これをみるとまた歌舞伎座に行きたくなる。
続いて本を2冊。
原題の「FUCKED at BIRTH」は「生まれたときからどん底」と云う意味である。この作品はアメリカにおけるコロナの現状をルポしたものではない。そうではなく、コロナによってさらに格差社会が促進されているということを、西はカリフォルニアから東はラストベルトのオハイオまでかつて自分が通った道をたどったものである。
これを読むと、アメリカの格差社会は過去数世紀にわたるふるいによって今日に至っていると思わざるを得ない。最初は人種差別、これは通奏低音のように続き、その中でWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)が国の頂点に立つ。
二次大戦戦後高度消費社会を迎え多くのミドルクラスを生み、生活水準も上がった。しかし製造業から金融業と云う産業シフトといくつかのバブル崩壊などの不況により、大きくふるいにかけられる。ふるいに掛けられた人々は多くの場合もう戻れない。まさに「生まれたときからどん底」の人々を大量に生み出してゆく。
そしてとどめはコロナである。労働者階級だけでなく、高い教育を受けた人々もコロナ失業でふるいにかけられる。そして行き着くところはホームレス。本書で紹介された何人かのホームレスへの転落ステップの事例は読んでいて恐怖すら感じる。自助の国アメリカだから、政府はほとんど知らん顔?
日本のような生活保護制度はないようだ。アメリカの行きつく先はどこなのか?
一度落ちてしまうと敗者復活戦にすら登れない社会。だから生まれたときからどん底なのだ。これは夢の国と思っていたアメリカを世界の多くの人が幻滅するであろう衝撃の作品だ。
これは日本版「生まれたときからどん底」だ。無国籍の人々15人が篤志家の実業家により家と仕事を与えられる。国籍がないということはかつては、住民票、健康保険、年金、パスポートなどが手に入らなかったのだ。つまり社会ではどん底としてしか生きてゆけない。だから彼らはその狭いコミュニティをユートピアとして、大切に思い、生活している。
しかし、そんな生活から外の世界に興味を持つ人も現れてくる。そして外の社会で異性と接し。結局傷害事件に及んでしまう。そこで初めてこのコミュニティが外界から異物を迎え入れざるを得ない状況に陥る。外界の代表が本作の主人公の森垣里穂子部長刑事である。はたしてこの15人はいかなる経緯で無国籍になったのだろうか?次第にその謎が解き明かされてくる。
この話の発端は幼児虐待である。どうもこの幼児虐待と云うのは苦手で、そういうつもりで本書を買ったわけではなかったが、読み始めて、しまったなあとおもったが最後まで読んだ。結局主題は格差社会のようだから案外とまともの作品だった。
ここからは映画。
ちょっと重たい読書の後にこういう脳天気な映画を見るとホッとするが、それにしてもこのTVの長寿番組「科捜研の女」を劇場版にする理由はどこにあるのかがよくみえない。これではTVを大画面で見ているのと同じである。
すべて主人公の思うように物語の進行する安直さはTVではよいだろうが、劇場用の映画としてはもう少しつくり込が欲しい。
この作品も底が浅い。これは日本では女総理は誕生しないだろうと云っているのか、誕生してほしくないといっているのか、誕生してほしいといっているのか、作品の立場が分からない。ただたまたま大企業のぼんぼんの結婚した相手が、直進党という政党を立ち上げ、総理になっちゃった。あら大変。旦那は大慌てと云うストーリーを面白おかしく描いたもの。コメディとして見ればよいのなら、それはそれで面白いが、でもちょっと食い足りないなあ。もう世界各国では決して驚くべきことではないのだから、それがなぜ日本ではこう大騒ぎになるのか?そこを深堀してほしいと思うのだが!田中圭も中谷美紀も好演しているのに、もったいない。
最後はドキュメンタリー。「相撲道」
境川部屋と高田川部屋にカメラを持ち込み、力士たちの凄絶なけいこを迫力の映像で見せる。これでも昔から比べれば大人しくなったというのだから、かつてはどれだけの稽古をしていたのだろう。
ただ、後半不祥事をおこした竜電がクローズアップされるが、これは監督も予期せぬ出来事だったろう。親方や竜電のインタビューが少々虚しい。〆
NHK/BSで通し狂言・南総里見八犬伝が放映され、視聴した。これは実に面白かった。
里見八犬伝はとても懐かしい。小学校のころ講談や講談本にはまり、そのなかで少年用に書かれた里見八犬伝はとりわけ面白く、貸本屋から何度も何度も借りて読んだ。たしか1冊10円だったと思う。そのころは扇谷定正やら古河公方などさっぱり意味が分からなかったが、お家再興のため8つの珠をもった犬の文字のついた名前を持つ、八剣士が死力を尽くす物語に感動したものだった。
今回歌舞伎でこれを見て、その頃を思い出した。講談本とのイメージとはずいぶん違ったがこの歌舞伎3時間半ほどあっという間であった。この公演を見て歌舞伎と云うのは実に様式美の芸術なのだなあと改めて強く感じた。欧州のオペラはその様式美を破壊して今日に至っているが、歌舞伎は少しづつ変わってきているのだろうが、様式美が基本にあるのは変わっていないように思う。
一つ一つのシーンの最後に必ず見えを切るその形の美しさ、花道を退場する姿の型の均整の取れた美しさ。例えば尾上松緑の演じた犬飼現八の退場シーンなどの、見事さは感動ものであった。
役者の中で印象に残ったのは尾上菊之助の気品のある犬塚信乃、坂東彦三郎のダイナミックな犬田小文吾、松緑の現八の小気味よさ、などである。これをみるとまた歌舞伎座に行きたくなる。
続いて本を2冊。
原題の「FUCKED at BIRTH」は「生まれたときからどん底」と云う意味である。この作品はアメリカにおけるコロナの現状をルポしたものではない。そうではなく、コロナによってさらに格差社会が促進されているということを、西はカリフォルニアから東はラストベルトのオハイオまでかつて自分が通った道をたどったものである。
これを読むと、アメリカの格差社会は過去数世紀にわたるふるいによって今日に至っていると思わざるを得ない。最初は人種差別、これは通奏低音のように続き、その中でWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)が国の頂点に立つ。
二次大戦戦後高度消費社会を迎え多くのミドルクラスを生み、生活水準も上がった。しかし製造業から金融業と云う産業シフトといくつかのバブル崩壊などの不況により、大きくふるいにかけられる。ふるいに掛けられた人々は多くの場合もう戻れない。まさに「生まれたときからどん底」の人々を大量に生み出してゆく。
そしてとどめはコロナである。労働者階級だけでなく、高い教育を受けた人々もコロナ失業でふるいにかけられる。そして行き着くところはホームレス。本書で紹介された何人かのホームレスへの転落ステップの事例は読んでいて恐怖すら感じる。自助の国アメリカだから、政府はほとんど知らん顔?
日本のような生活保護制度はないようだ。アメリカの行きつく先はどこなのか?
一度落ちてしまうと敗者復活戦にすら登れない社会。だから生まれたときからどん底なのだ。これは夢の国と思っていたアメリカを世界の多くの人が幻滅するであろう衝撃の作品だ。
これは日本版「生まれたときからどん底」だ。無国籍の人々15人が篤志家の実業家により家と仕事を与えられる。国籍がないということはかつては、住民票、健康保険、年金、パスポートなどが手に入らなかったのだ。つまり社会ではどん底としてしか生きてゆけない。だから彼らはその狭いコミュニティをユートピアとして、大切に思い、生活している。
しかし、そんな生活から外の世界に興味を持つ人も現れてくる。そして外の社会で異性と接し。結局傷害事件に及んでしまう。そこで初めてこのコミュニティが外界から異物を迎え入れざるを得ない状況に陥る。外界の代表が本作の主人公の森垣里穂子部長刑事である。はたしてこの15人はいかなる経緯で無国籍になったのだろうか?次第にその謎が解き明かされてくる。
この話の発端は幼児虐待である。どうもこの幼児虐待と云うのは苦手で、そういうつもりで本書を買ったわけではなかったが、読み始めて、しまったなあとおもったが最後まで読んだ。結局主題は格差社会のようだから案外とまともの作品だった。
ここからは映画。
ちょっと重たい読書の後にこういう脳天気な映画を見るとホッとするが、それにしてもこのTVの長寿番組「科捜研の女」を劇場版にする理由はどこにあるのかがよくみえない。これではTVを大画面で見ているのと同じである。
すべて主人公の思うように物語の進行する安直さはTVではよいだろうが、劇場用の映画としてはもう少しつくり込が欲しい。
この作品も底が浅い。これは日本では女総理は誕生しないだろうと云っているのか、誕生してほしくないといっているのか、誕生してほしいといっているのか、作品の立場が分からない。ただたまたま大企業のぼんぼんの結婚した相手が、直進党という政党を立ち上げ、総理になっちゃった。あら大変。旦那は大慌てと云うストーリーを面白おかしく描いたもの。コメディとして見ればよいのなら、それはそれで面白いが、でもちょっと食い足りないなあ。もう世界各国では決して驚くべきことではないのだから、それがなぜ日本ではこう大騒ぎになるのか?そこを深堀してほしいと思うのだが!田中圭も中谷美紀も好演しているのに、もったいない。
最後はドキュメンタリー。「相撲道」
境川部屋と高田川部屋にカメラを持ち込み、力士たちの凄絶なけいこを迫力の映像で見せる。これでも昔から比べれば大人しくなったというのだから、かつてはどれだけの稽古をしていたのだろう。
ただ、後半不祥事をおこした竜電がクローズアップされるが、これは監督も予期せぬ出来事だったろう。親方や竜電のインタビューが少々虚しい。〆