ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

カテゴリ: その他

2014年12月24日

             2014年の音楽会を振り返って

2014年も昨年並みのおよそ90回の音楽会に臨み、それぞれ、忘れがたい音楽体験をした。今年の音楽会を振り返ってようやく以下の20本の心に残った音楽会を選んだ。残りの音楽会もそれぞれ記憶に残るものばかりだが、ここであげた20本は特に印象が強かった。感動的なもの、ユニークなもの、歴史的にエポックになるようなもの、いろいろ切り口があるにしろ、強く心に残ったものばかりだ。ベスト3は一応順位を付けたが、残りの17本には結局順位は付けられなかった。

今年の音楽会ベスト3
1.ワーグナー「パルジファル」 10/6、10/9
  飯守/トムリンソン/ヘルリツィウス/フランツ/シリンス/新国立劇場
2.ヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」 5/31
  ムーティ/ペティアン/プラット/ベロセルスキー/ローマ歌劇場
3.インバル/都響によるマーラーチクルス
  3/9 交響曲第八番
  3/16、3/17 交響曲第九番
  7/20 交響曲第十番

 この3つの音楽会は私にとって今年のベスト3というよりも、この前後の年の音楽会の中でも忘れがたいものになるであろう。
 「パルジファル」は日本でこのような水準の演奏が聴けるというだけで記念碑的な演奏だろう。飯守の指揮はすでに二期会でこの曲を聴いていて、今回の新国立でも大きく変わっていない。滔々と流れる大河の様な音楽だ。いま、世界でこのようなワーグナーを指揮できる指揮者は何人いるだろう。歌手たちもみな世界的な第一人者で素晴らしいが、なかでもヘルリツィウスのクンドリーは、ティーレマンのライブCDでのマイヤーに勝るとも劣らぬ歌唱。これほどの苦悩と絶望感を背負った女性はいないだろう、ということを強く感じさせた。
 「シモン・ボッカネグラ」は魅力的な音楽の充満した曲だが、凡庸な指揮と演出に当たると、これほど退屈なオペラはないだろう。ムーティの「潮の香り」を感じさせる誠にデリケートな指揮に感動した。例えば2幕冒頭、3幕冒頭の音楽の素晴らしさ、かつて聴いたアバド/スカラ座の来日公演に勝るとも劣らぬ演奏だった。
 インバル/都響によるマーラーチクルスは日本ではこれで2サイクル目だと思うが、今回のほうが私は素晴らしいと思う。今年聴いた3曲もそれぞれ心に残る名演奏である。特に九番の再生を感じさせる4楽章や、十番の五楽章は忘れがたい。

                忘れがたい名演奏

以下順位ではなく日付順にワンポイントの感想を記して見よう。

1. ベートーベン「交響曲第三番・英雄」 2/26
   山田和樹/読響
   若い指揮者による「英雄」はさぞや力こぶの入ったものだろうと想定したが当てが
   外れた。今までに聴いたことのない繊細な、女性的とも云うべき「英雄」だった。
   ずっとこのままと云うことはないだろうが、このユニークネスは捨てがたい。将来
   の指揮者だ。来年からのマーラーチクルスを期待したい。
2. マーラー「交響曲第七番」 3/23
   シャイー/ライプチッヒ・ゲヴァントハウス
   どこかふらふらと飛んでゆきそうなこの交響曲だが、シャイーはしっかりと埒を
   あかせているところが素晴らしい。音色の素晴らしさは云うまでもないだろう。
3. コルンゴルト「死の都」 4/23
   ギズリング/ケール/ミラー/新国立劇場(フィンランド歌劇場制作)
   美しい歌がちりばめられたこのオペラの楽しさを余すところなく伝えた名公演だ。
   フィンランドの舞台をそのまま移植した演出だが、すでに発売されているDVD
   とほぼ同じ舞台を見られるというのもうれしい。DVDではフォークトが主人公を
   歌っていたが、この公演のキールも負けていない。
4. プッチーニ「蝶々夫人」
   4/24 二期会公演
   6/28 藤原歌劇団公演
   いずれも純国産に近い公演である。演出が両公演とも日本人で、舞台装置を含めて
   所作や動きに不自然さがなく、誠に安心して見ていられる公演だった。歌手たちの
   水準の高さも立派だ。先日聴いたキエフオペラの「トゥーランドット」の歌手たち
   より数段うまい。この上はさらに突き抜けた、私たち聴き手のハンカチをびしょ
   びしょにするくらいの歌唱を期待したい。
5. レオン・カヴァルロ「パリアッチ」 5/17
   パルンボ/グスターボ・ポルタ/新国立劇場
   久しぶりに素晴らしいカニオだった。ポルタは初めての歌手だが、おそらく新国立
   歌ったカニオのなかでは最高だろう。
6. ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」 6/21
   ハーディング/ファウスト/新日本フィル
   2楽章の対話の様な音楽の素晴らしさ。両端楽章の生き生きとした音楽。この曲の
   素晴らしさを改めて教えてくれた演奏だ。
7. マーラー「交響曲第一番・巨人」 6/23
   ヤニク・ネゼ・セガン/フィラデルフィア
   セガンのマーラーは今まで聴いたことのない、悪く云えばはちゃめちゃな演奏だが
   これだけ聴いていて面白い「一番」はあまりないだろう。まさにやりたい放題だ。
   同じ日に演奏したモーツァルトもモダンオーケストラの良さを十分感じられるもの
   だ。4楽章の荒れ狂う様もすごい。しかしこの極上の響きは忘れがたい。
8. アファナシエフによるシューベルトプログラム 6/25
   ピアノソナタ第21番、3つの小品(D946)
   アファナシエフの茫洋としたシューベルトはいつも聴いている内田、最近聴いた
   ポリーニやバレンボイムとは全く違う世界だ。3つの小品の2曲目の流れの悪い
   演奏は不思議なことに大きな感動を私にもたらした。
9. オッフェンバック「ホフマン物語」 7/7
   大野/チョーフィ/カバルボ/アルバロ/リヨン国立歌劇場
   オペレッタ作曲家の作品と馬鹿にしていたが、カ―セン演出のパリオペラの公演
   を映像で見てから変わった。最後のアポテオーズはいつも感動する。リヨンの公演
   はカ―センほど面白い演出ではないがそれなりに説得力があった。チョーフィーの
   4役の熱演が錦上花を添えた。
10.モーツァルト「フィガロの結婚」 8/31
   ヴィッラ・ディ・ムジカ公演
   オール日本人による公演。第一生命ホールという小さなホールでのセミ演奏会形式
   による。眼前で飛び跳ねながら歌う歌手たちの生き生きとした姿が印象的。決して
   超一流の歌唱とは思わないが、これがオペラの楽しさの原点ではないかと思わせる
   様な演奏だ。
11.ヴェルディ「マクベス」 10/1
   METライブビューイング/ルイージ/ネトレプコ/ルチッチ/パーペ
   ネトレプコのマクベス夫人は今まで聴いたことのない新しい夫人像を作り上げた
   ように感じた。是非はあろうが私は大変興味深く聴いたし、感動的でもあった。
   ルイージの棒も素晴らしい。
12.ベートーベン「ミサ・ソレムニス」 10/3
   メッツマッハー/新日本フィル
   このコンビの成熟を感じさせる演奏。速いテンポでぐいぐい迫る音楽は圧倒的
   であった。
13.モンテヴェルディ「ポッペーアの戴冠」 10/16
   カヴィーナ/マメリ/ロトンディ/マイアー/ヴィターレ/ラ・ヴェクシアーナ
   歌手たちの素晴らしさは云うまでもないが、カヴィーナのチェンバロの統率のもと
   、ラ・ヴェクシアーナと歌手たちのハーモニーが素晴らしい。この団体による
   CDを聴いているが、ライブではCDより小編成なのに実にふんわりとした魅力的
   な音を出す。オペラシティの音の響きの素晴らしさを改めて感じた。日ごろ滅多に
   聴かないモンテヴェルディだが深い感銘を受けた。
14.ロジャー・ノリントン/N響によるシューベルトプログラム 10/25
   交響曲第七番「未完成」、交響曲第八番「グレイト」
   いずれの演奏もN響とノリントンとのコンビの成熟を感じさせるものだ。
   ヴィブラートを排した弦の響きもピュアで美しい。ノリントンの指揮も円熟と
   云ったら怒られるだろうが、ベートーベンで感じさせる、よく云えば破壊的な、
   悪く云えばちょっとやんちゃな音楽とは違い、部分的には伝統的な演奏の響きを
   感じさせた。青白く燃え上がったシューベルトのように思った。
15.ブラームス「ピアノ協奏曲第一番」 11/25
   ヤンソンス/ツィメルマン/バイエルン
   この演奏の2楽章の音の移ろいの素晴らしさは忘れがたい。身悶えするような前半
   から、夢を見るような音楽に変わってゆく様は深い感動を呼ぶ。これは今から
   思ってみると、若者の感情でもあるが、一方ではその様な感情を懐かしく、
   うらやましく思う、私の気持ちを大きく揺さぶる。
16.シューマン「交響曲第三番・ライン」 11/28
   カンブルラン/読響
   このコンビの最高の演奏。伝統的な重量感あふれるシューマンとは異なるが、
   速いテンポでぐいぐい迫るこの迫力には何ものも抗しえないだろう。ラトル/
   ベルリンのCDと同様、21世紀に生きる切れば血のでる、実にフレッシュな
   シューマンだ。同時に演奏された英雄も伝統的なベートーベンとは異なる
   新鮮な姿を聴かせてくれた。
17.ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィル・ブレーメンによるブラームスクロノロジー
   交響曲全曲、協奏曲全曲、悲劇的序曲、大学祝典序曲、
   ハイドンの主題による変奏曲
   12/10,11,13,14
   13,14両日の交響曲第三番、四番が特に素晴らしい。
   ヤルヴィと云う指揮者は私にはまだどういう指揮者かつかめない。原典主義とも
   思えるところは多々あるが、時には手あかにまみれたけれんみを感じさせる部分
   もあるから一筋縄ではいかない。この両面をうまく接合させた曲は成功している
   ように感じたが、そうでない一番や二番の交響曲は私には違和感があった。最近
   シャイーとティーレマンの全く対照的なブラームスの交響曲全曲をCDで聴いたが
   両者のスタンスの明確なこと、私の様な素人でもよくわかる。この2つのセットを
   聴いた後ヤルヴィを聴くとどうも彼の演奏のスタンスが私にはどっちつかずの
   よいとこどりの様に感じる部分もあって、この指揮者の素性が掴めないのである。
   そういう意味では過渡的な演奏ではないかと思う。しかし4日間で上記のブラーム
   スの管弦楽のからむ曲を一人の指揮者で聴いた体験は貴重なものであった。
   なお、協奏曲ではフォークトによるピアノ協奏曲2曲とテツラフ兄妹による
   ダブルコンチェルトは大いに楽しめた演奏だった。

 2015年は海外の公演も多くあるが、国内のオーケストラも指揮者の充実を期待できる。カンブルラン/読響、ノット/東響、大野/都響、メッツマッハー/新日本フィル、
そして、ヤルヴィ/N響である。特にノットは年末に指揮したマーラーやブルックナーに新鮮さを感じた。大いに期待したい。
                                     〆

2014年7月28日

名古屋場所も昨日で終わった。後半は満員御礼が続くなど盛況だった。これも最後まで優勝争いが続いたことによるのだろう。
 そういう意味では功労者は琴奨菊、豪栄道、高安だろう。特に琴奨菊はカド番からの復活だから、だれもこんな大勝ちをするということは予想できなかったと言ってよい。大関昇進した時のあの馬力が復活したのだ。怪我で悩まされたこの数場所だが、少しは良くなったのだろう。
 豪栄道も前半戦を見た限りでは、先場所並みかと思っていたら、なんと後半追い上げて大関のかかった一番でも、実力を出し琴奨菊に圧勝してしまった。こういうところは人の持つ運命の様なものを感じる。万年横綱候補の稀勢里などはなんどもこれで勝てば横綱という相撲に遭遇しながら、それをつかみ損なっている。今場所はそういうプレッシャーがないにもかかわらず、前半で取りこぼしてしまった。強い時と弱い時との差が大きすぎる。白鵬には滅法強いが他の上位力士には刃が立たない。今場所はそれと立ち腰がきになった。多くの解説者も指摘しているとおり。ちょっと話題はそれたが、高安はここまでさがったのだから当然と云えば当然だ。今場所を面白くしたのは弱い2横綱というのも皮肉な話だ。最年長金星が話題になること自体が、横綱のレベルの低下を物語っている。

 私の御贔屓の妙義龍も今場所はやっと実力を発揮した。来場所は上位に上がるだろうから、大関・横綱戦が楽しみだ。勢は残念ながら上位の壁に跳ね返されてしまった。横綱・大関戦では見るべきものがあったが、同じ格の相撲には合わせていったためか脆かった。しかし最終盤での2番は来場所の期待を抱かせる安定感のある相撲だった。右からの当たり一辺倒をとやかく云う解説者もいるが、やはり私はこの戦法で固めた方が良いと思う。解説者もいい加減なもので、いろいろな引き出しをもつべきだというものもいれば、型を作らなくてはいけないとか、いろいろである。やはり稽古で、自分で良く考えて得意の取り口を編み出すしかないだろう。

 さて、今場所前半を盛り上げたのは大砂嵐だろう。残念ながら負け越してしまった。彼もかちあげ一辺倒では勝ちきれないとわかったろう。来場所はどう戦うか興味深い。というのは彼のかちあげは少々危険技ではないかと思われるからである。立ち会いの初めから腕を相手の首などにぶち当てるのは本来のかちあげではないらしい。一度がつんと当たってから腕を跳ね上げるのを云うそうだ。ある解説者の弁であるからどうだかは分からない。ただ私の印象ではあれはプロレスである。そしてあれ一発に賭けているから、上位でちょっと動きの良い人は簡単にずらして対抗していた。逆にあれをまともに食らう相撲のほうがとろいというべきだろう。遠藤も大人気だ。しかし人気先行になり、どうもプレッシャーを感じて、相撲が遅く、小さくなってしまっていたのが気になった。その良い例が照ノ富士戦である。右まわしの良い位置をとったのにずるずると相手の術中にはまってしまった。以前ならとった瞬間に右を引きつけて、相手を起こして左おっつけで寄り切っていたろう。このまま小さく固まる人ではないだろうが、もっと大きい、上位の人、それと苦手の押し相撲の人と稽古をして、速く、スケールの大きなお相撲さんになって欲しいものだ。

 遠藤のライバルになるのは、大砂嵐だけではない。照ノ富士、逸ノ城の2人のモンゴル勢だろう。体の大きなことも凄いがバランスが良い。照ノ富士はどんな苦しい形になっても盛り返してくる、何とも不気味なお相撲さんだ。

 今場所異例のことながら、中日前に汗ふき励行の指示が相撲協会から出た。以前から指摘していたように、白鵬の汗は目に余るものがあったが、やっと協会も動き出したようだ。日経では白鵬と大砂嵐を名指しで指摘していた。しかし大砂嵐はきちんと拭くようになったが、白鵬は相変わらず、時間一杯になってタオルをもらっても腹をちょっと祓う仕草をするだけで、胸前はびしょびしょだ。あれでは押し相撲はとりにくいだろう。驚いたことに通達がでてから数日、NHKのテレビ放送では白鵬の時間一杯の場面を正面から映さなくなった。これは故意だろうか?故意だとしたらそこまでおもねる必要はあるのだろうか?
勝負審判も解説者も白鵬の汗についてはまったく触れていないのも面妖な話だ。協会のいっぺんの通知はまったく横綱には無視された格好になってしまっている。勝負審判はきちんと横綱に汗を拭きなさいと指示をすべきである。〆

2014年7月14日

5月場所が終わったと思ったらもう名古屋場所。お相撲さんも大変だと思う。昨日の名古屋場所の初日は満員御礼で誠に結構なお話。
 しかしテレビ解説者も話していたが、印象に残る激しい攻防の相撲が非常に少ない。ラリーのないテニスみたいなもので、先につっかけて引いたりはたいたり、一歩的に押したりの相撲ばかり。もちろん相撲の醍醐味はこの立会一瞬の面白さにあるだろうが、駆け引きの様なものばかり目立つ昨今の立ち会いの味気なさ。勝てばいいんだろうと云わんばかりの相撲では、プロレスなど同じ単なる格闘技になってしまう。
 まあそれはそれとして、横綱のラスト2番の相撲の後味の悪いこと。
日馬富士×碧山の1戦。横綱が一方的に押したのは良い。しかし勝負がついているのに、あの無駄な駄目押しは何だ。こういう品のない横綱がいるから、とにかく勝てばよいんだろうという風潮になってしまうのだ。解説者も流石にこれはひどいと苦言を呈していた。マスコミもこういう横綱に対して甘い。今朝の新聞には全く触れられていない。スポーツ記者はどこを見ているのだろう。
 もっとひどいのは白鵬×安美錦戦だ。立ち会い待ったをした安美錦に対して土俵中央で肘でかちあげるのいかがなものか?あいてが待ったしようが、何しようが泰然自若としているのが横綱だし、今の白鵬の力ならそういう姿勢を容易に貫けるのに、誠に品のないことをする。それと白鵬は全く汗を拭かない。稽古をしているのならわかるが、本番でびしょびしょのままで勝負に向かうのは相手に失礼ではないだろうか?しかし相撲協会もマスコミもこれら横綱には何も言えないのが嘆かわしい。

 今日一番の歓声は遠藤×照富士戦。なんと平幕同士に懸賞が16本と言うのは驚きだ。まあ他の相撲が如何に面白くないかの証明だ。しかしこの期待の一番の遠藤の相撲の消極さが気に入らない。以前なら右の前みつをもっと引きつけて相手を浮かしてから、寄るか、上手投げを寸時に打っていたろう。照富士はいかに大きくて、腰が重いといってもそれは言い訳。これから横綱を目指す大器であれば、それくらいスケール大きな相撲を期待したい。遠藤は場所を追うごとに相撲が悪くなっているような気がする。例は悪いがちょうど常幸龍が入幕したばかりの時は何と凄いやつだと思ったが、今では普通のお相撲さんになってしまった。遠藤もそうならないように祈る。〆

2014年5月22日
於:国技館(1階6列中央ブロック)

満員御礼が続く五月場所、12日目も中入り後後半から垂れ幕が下がった。15時半ごろ入場したがもうその時点で自由席は売り切れていた。

 しかし盛り上がるこの場所に水を差した相撲が二番ある。いずれも横綱戦と言うところが残念だ。
 まず白鵬×稀勢の里戦。なんと大関が2度も待った、しかも立った3度目も立ち会いあわず、大関が躊躇しているところに横綱が襲いかかって、大関はなすところなく敗戦。ともに1敗同士で今場所の優勝を左右する大一番にしては何とも情けない。待ったの責任は客観的に見て、大関の気負いにあった。大関は何であんなにはやったのか、まことに面妖なことで、これがこの人が横綱になれない理由の一つである。冷静さを保てないのだ。今日は目をぱちぱちしていないので見た目は落ち着いて見えたのだが、心ができていないのだろう。しかし白鵬側も責任がないわけではない、要は横綱にはあまり合わせるつもりがなかったように感じた。特に3度目は大関不十分だけに、横綱の駆け引き勝ちのように見え、ちょっと汚い印象を受けた。お互いにもっと綺麗に立って力相撲を見せようとなぜしなかったのか?要は勝てばよいという横綱なのだ。

 続いて鶴竜×豪栄道。なんと髷つかみの反則で横綱が勝った。なんとも後味が悪い相撲だった。流れも完全に豪栄道だったので、横綱は救われたと思ったろう。情けないことだ。豪栄道は悔しい一番だった。流れとは云え髷に手がかかったのは事実。しかし厳密にいえば故意でなければ反則ではないはずなのだが、あの一番を見て豪栄道が故意で髷をつかんなどとどうして云えるのだろう。流れの中で髷に指がかかったとしか私にはみえなかったのだが?
 しかしこれがもし反則なら、5日目の白鵬×宝富士戦の横綱はなぜ反則負けにならないのか?私の眼には完全に横綱の指が宝富士の髷にかかっていたように見えた。もしあれがなければ宝富士は白鵬の逆襲は食わないで、勝ったかもしれないのだ。掴まれてもあれだけの善戦をしたのだ。少なくとも物言いをつけて、明快な説明を審判はすべきではなかったか?宝富士は今日まで全敗(今日初日)だったが、もし5日目に横綱を倒していたらまた違った場所になったろうに!
豪栄道だから反則で、白鵬だと反則ではないというのはどうしても納得がゆかない。

 遠藤×大砂嵐戦は大砂嵐の気迫勝ちだ。大砂嵐も同じ次期に入幕をした相手があれだけ持ちあげられれば闘志が燃えるだろう。しかしびっくりしたのは、あの勝ちあげ一発で遠藤が真後ろにひっくり返ったことだ。云っては悪いが大砂嵐級の当たりで、あのざまでは上では辛いだろう。事実琴奨菊に負けてから横綱、大関戦全敗で全く歯が立たなかった。やはり立ち会いのスピードと力強さを身につけないと、ただの相撲にならないとも限らない。5日目まで、松鳳山戦を除けば完璧な相撲に見えた。これなら勝ち越しも夢ではなかろうと思ったら今日で7敗になり苦しくなった。この試練を何とか乗り越えて早く上にあがって欲しい。とにかく稀勢の里がこの調子なのだから、よほど奮起しないと横綱になれそうにないように思うからである。


追記(5/23)
23日の新聞を見たら、鶴竜の一番に物言いをつけたのは、なんと白鵬だそうだ。まあ驚きですね。自分を棚にあげて良くやるなあと呆れるばかりです。それにしても審判はなにをやっているのでしょうね?もし白鵬が物言いをつけなければ、豪栄道の勝ちと言うことだったのでしょうか?白鵬は今場所苦戦の鶴竜の応援をしたと見られてもしょうがない立場なのに、勇気あるものいいですね、と善意に思う人はいるでしょうが、まあ日本人ならしませんよね!〆

2014年5月15日
於:国技館(2階3列中央ブロック)

遠藤と鶴竜人気で連日にぎわっている五月場所だが、流石に取り組みに目玉のない今日は満員御礼と言うわけにはいかなかった。正面は流石に入っているが、向うから東西は空席が目立った。
 幕内力士の登場で遠藤という声がかかると、一瞬国技館の空気が変わるようなどよめきだ。その割には今日の遠藤×豊の島戦は凡戦。というか豊の島の衰えを感じ寂しかった。立ち会いぶつかるが、遠藤がほんのわずか体をずらし、豊の島の首を軽く押さえただけで、もう豊の島の体は空を切って、土俵の外。遠藤が強いという以前の取り組みだった。遠藤もこういうような楽をする相撲は止めて欲しい。常に鶴竜戦で見せたような真っ向相撲を期待したい。何しろ稀勢の里があのていたらくなのだから、日本人では金の卵というかダイアの卵の様な存在なのだ。失礼ながら今場所、人気先行の遠藤は勝ち越せまいと思っていたが、今日も勝ってもう4勝1敗、勝ち越しも視野に入ってきたようだ。

 横綱三番は皆横綱が勝ったが、白鵬×宝富士戦は後味が悪かった。立ち会い宝富士良い踏みこみ、横綱はちょっとかわすがその時指が髷をつかんでいたのだ。これはビデオで見てもそうだから間違いなく髷をつかんでいた。宝富士が力をつけたと思って目を見張ったのは、そのような横綱にめげず差し込んで攻めて云ったことだ。以前だったら髷をつかまれた時点で簡単に押し出されていただろう。そういう意味では収穫ありだが、横綱がたとえ故意でなくとも、こういう疑いをもたれるような相撲を取ってはいけない。こういう横綱にころころまけているのだから他の相撲は情けないとしか言いようがない。しかし審判はなにを見ていたのだろう。故意かどうかは別として、まず物言いをつけて確認すべきではないだろうか?

 中入り後を見ていてうれしいのは、けがなどでこのところ番付を落としている、私の贔屓の妙義龍、高安、勢がまずまずのできであることだ。特に妙義龍は好調時の相撲に戻ってきつつあるようだ。高安はまだ場当たり相撲だが、早く得意型を見つけて欲しい。勢は今日も勝ち好調だが、勝ちみが遅いのが難点、今日の様な相撲を毎日取って欲しい。
 その他怪我のせいだろうか調子が今一つの豊響と稽古嫌いの隠岐の海の調子が上がると私にとっては完璧の場所になるはずである。今場所は12日目にまた見にゆく予定、その時はどうなっているだろう。〆

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