ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

カテゴリ: その他

2015年12月29日

2015年を振り返って、ブログにしたものから音楽、映画そして本の各ジャンルのベストを10作ほどリストアップした。順位付けは難しいがやっと音楽だけは付けて見たが、実際それほど大きい差があるわけでないので参考値である。

「音楽編」
今年も音楽会はかなり行ったがそれぞれ立派なもので凡演はほとんどなく、どの演奏もなにかしらの感動やら印象を与えられた。そのなかで次の10本+1をあげて見た。

1.「シベリウス作品集」
 11/26,12/4、交響曲一番、五番、六番、七番、ヴァイオリン協奏曲、カレリアから。オスモ・ヴァンスカ指揮、読響。特に五番は今年聴いた中で最も深い感銘を受けたもの。というか、ここ数年でこれだけのインパクトを受けた演奏はない。

2.リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」
 新国立劇場の公演。指揮はシュテファン・ショルティス。5/30,6/4
 新国立劇場は今年も好調でどの公演も素晴らしいものであるが、この「ばらの騎士」をその中の代表で選んでみた。特に元帥夫人の歌唱には深い感銘を受けた。

3.モーツァルト「ドン・ジョバンニ」
 ロイヤルオペラ公演。9/20
 パッパーノ指揮。マクベスも聴いたがどちらを選ぶかと云えば歌手の魅力でこちら。特にディドナートのドンナ・エルヴィーラが素晴らしい。

4.バッティストーニのオペラ
  プッチーニ「トゥーランドット」5/7
  ヴェルディ「リゴレット」2/9
  いずれも歌手には若干の不満はあるがバッティストーニの指揮には脱帽である。それは真にイタリアのオペラの醍醐味を味あわせてくれたからである。輝かしいオーケストラ、音楽の素晴らしい推進力は何ものにも代えがたい。

5.マーラー「交響曲第四番」
 ハイティンク指揮ロンドン響、9/28
 今年はハイティンク再発見の年だった。このほかCDでマーラーとブルックナーの選集を聴いたがいずれも自然でスケールの大きい演奏だった。

6.山田和樹のマーラーチクルス「交響曲一番、二番、三番」
 それぞれ1/24,2/22,2/28に聴いた。オーケストラは日本フィルである。若きマエストロにマーラー全曲を託した企画に座布団をあげたい。初振りの曲が多いそうだが若さがそれを補って余りある。特に力こぶの入り過ぎない二番が素晴らしい。

7.ブルックナー「交響曲第八番」
 ヤノフスキー指揮、ベルリン放響。今年はヤノフスキー再発見の年でもある。このブルックナーは一聴、味もそっけもないようであるが、その底に流れる自然な音楽の流れはまさに今日のブルックナーに相応しい演奏である。このほか東京春祭でワルキューレを振ったが、好みでブルックナーをとった。

8.マーラー「交響曲第三番」
 東京交響楽団/ノットのコンビの熟成を思わせる演奏である。9/12
 今年はこの曲を何回か聴いたがこの演奏がもっともオリジナリティの富んだ感動的な演奏だった。決して熱くならないこのマーラーは新発見である。ノット/東響ではその他パルジファル抜粋が良かった。

9.モーツァルト「レクイエム」
 ダイクストラ指揮、都響10/16
 珍しいジュスマイヤー版による演奏。スエ―デン放送合唱団が素晴らしい。

10.マーラー「交響曲第七番」
 大野和士指揮、都響4/8
 大野の就任コンサート一環である。このほかベートーベンやベルリオーズも素晴らしい。

番外
 ワーグナー「トリスタントイゾルデ」
 バイロイト2015ライブ映像
 ティーレマンの指揮が圧倒的な感銘を与える。演出も比較的まともなのが良い

その他、ロト/読響の幻想、新日本フィルの青ひげ公、N響/ヤルヴィのショスタコーヴィチの五番、、ドゥダメル/ロスフィルのマーラー六番、二期会のダナエの愛なども忘れられない音楽会だった。


「映画編」
ゴーン・ガール、アメリカン・スナイパー、リスボンに誘われて、マップ・トウ・ザ・スターズ、ドラフト・デイ、マッド・マックス、、RUSH、ビッグ・アイズ、、バードマン、フォックス・キャッチャー、イミテーション・ゲームの11本
 今年の映画は特にどうしてもという映画がなかった。ほとんどの映画がレンタルで見たものだ。映画館という限られた場所、限られた時間を消費してまで見たいと云う意欲がわかない。11本の作品に共通するのは(マップ~を除く)男の心である。友情であったり、愛情であったり、悔恨であったり、憎しみであったり、挫折であったり、憧れであったりである。

「読書編」
 今年から本のブログも始めた。これはなかなか難しい。今回はやっと10本を選んだがどれも面白い本ばかりだ。

「鬼神の如く」葉室 麟
黒田騒動のの物語である。これも男のドラマである。逆賊か忠臣かの評価の分かれる人物の描き方が面白い。

「レコードはまっすぐに」ジョン・カルショー
デッカの名プロデューサーの自伝的作品である。新作ではないが古本サイトで見つけたので読んで見た。当時の音楽家たちが赤裸々に描かれていて面白い。

「ゲルマニア」ハラルト・ギルバート
1944年のベルリンを舞台にした一種の警察小説である。親衛隊がユダヤ人の元刑事を雇って捜査をさせるという設定が面白い。

「武士の碑」、「負けてたまるか」伊藤 潤
前者は村田新八、後者は大鳥圭介をモデルにした時代小説である。どちらかというと表舞台に出て来ない男たちである。その人生を克明に描いている。

「若冲」澤田瞳子
異色の画家、伊藤若冲の物語である。絵が目に浮かぶような作者の筆致が素晴らしい。私は「流」よりもこちらが直木賞に相応しいと思った。彼女の作品では「与楽の飯」という奈良の大仏に関わる男たちの物語も面白い。

「六度目の大絶滅」エリザベス・コルバート
六度目の絶滅期を迎えていると云う地球の実態を克明に描いた力作

「夢はまことに」山本兼一
鉄砲鍛冶の国友一貫斎をモデルにした時代小説。江戸時代に生まれた科学的精神が克明に描かれる。同系の書物では西條奈加氏の「六花落落」が面白い。

「胡椒、暴虐の世界史」マージョリー・シェーファー
胡椒に踊らされた人類、なかんずく欧米人の物語、欧米による纂奪の物語である。ヨーロッパ人がいなければ世界はもっとずっと違った形になったろうと思わせる本だ。

「狗賓童子の島」飯島和一
飯島の久しぶりの作品だ。大塩平八郎の乱の生き残り西村履三郎の息子の常太郎が主人公であるがむしろ幕末期の民衆の生き様や彼らによって引き起こされる隠岐の島の乱の描写が面白い、熱い小説だ。

2015年5月13日

国技館での相撲は毎場所1回は見に行くようにしている。今場所もピアで発売日に申し込みをしたが、凄まじい相撲人気で後半戦の椅子席は後ろの方しか取れないので、今日、4日目を観戦することになった。

 今日も満員御礼である。外国のお客も多い。特に2階席はそうである。なぜ急にこのように大相撲が人気になったのだろう。遠藤人気もあるし、その他中堅力士の活躍も頼もしい。しかし最も大きいのは外国力士がもう相撲界では異分子ではなく、完全に日本の相撲に同化したことではないだろうか? 歓声を聞いていると、別に日本人ばかりを贔屓しているわけではないのだ。皆それぞれ自分の好きなスタイルの相撲を応援しているのである。それには照ノ富士と逸ノ城の存在は大きい。彼らのキャラはかつての朝青竜のような悪役イメージはない。もうほんのちょっと言葉に違和感があるだけで、日本の相撲に溶け込んでいるのである。特に照ノ富士にはそういうことが云えよう。日本の相撲がモンゴルにのみ込まれたのではなく、日本の相撲がモンゴル人やその他の海外の相撲をのみ込み、同化させたのではないかと思うのである。

 さて、今場所、初日から見ていると怪我人が実に多い。包帯やサポーターをしていない人が少ないくらいである。豪栄道や逸ノ城なども場所前に痛めたところがあるらしい。遠藤に至っては痛々しい限りである。今日も遠藤は全く相撲になっていない。もう気の毒で見ていられない。本人の意思で出場を決めたらしいが、医者の診断や親方の判断はないのだろうか?遠藤は今場所全休するとおそらく十両に落ちてしまうから出場を決めたと思っているが、栃ノ心や北大樹の例もあるのだから、完全に治してから出直して欲しいものだ。それにつけても公傷制度をなぜ復活させないのか不思議でしょうがない。年間の場所数が多い昨今、相撲取の体への負荷は相当なものである。ここは性善説にたって復活を検討してもらいたいものだ。

 今場所も大関への期待は大きかったはずだ。初日に白鵬が敗れたので余計期待が増したはずなのだが、今日の大関の3番のひどさは筆舌尽くしがたい。琴奨菊はなぜ闘牛の様に無暗に前に出るのか、稀勢里と豪栄道はなぜああも簡単に土俵際で転ばされるのか?特に豪栄道は安易に大関に昇格させた相撲協会の責任は相当重い。関脇時代からわきの甘さが指摘されていたし、相撲の型のなさも云われていた。それを敢えて大関にしたのだ。一番苦しんでいるのは豪栄道だろう。

 今日の期待の相撲は照ノ富士×逸ノ城戦だろう。過去2戦続けて水入りだから余計期待は大きい。しかし相撲の呆気なさよりも、立ち会いの不愉快さが先にたった一番だった。責任の過半は逸ノ城にある。2回立ち会いが合わなかった。逸ノ城が手をつかなかったからである。2回目は照ノ富士が仕切るのを自分から放棄してしまったほど逸ノ城の駆け引きが目立った。相撲はほとんど立ち会いで決まると云って差し支えない。その一瞬の呼吸の立ち会いが勝負なのである。それを逸ノ城はわかっていないのか、親方は指導していないのか?要は逸ノ城の相撲の精神年齢が幼いと云うことだろう。その前の遠藤も一回で立ち切れなかった。怪我をしている上に立ち会いに迷うとは、負けて当然の勝負だった。

 今日、印象に残った相撲が何番かある。前半戦で遠藤に次いで声援が大きかったのは勢だが、魁聖にあっけなく負けてしまった。全勝同士なのに期待外れ。勢も力をつけているが、こういう大きな相撲に対してはまだまともにいっては勝てないと云うことだ
 宝富士と北大樹戦も興味深かった。両者とも地味なお相撲さんだが地力をつけている。しかし今日は宝富士の地力が北大樹を圧倒したようだ。立ち会い左を差して、攻め立て、土俵際でさっとすくうなんて技は力の差がないとできない。
 結びの佐田の海は取り直しで日馬富士に勝ったが、横綱のスピードに決して負けていないところが素晴らしい。初日に見せた粘りと合わせて今後見逃せない相撲だ。
 白鵬は土俵入りの迫力が従来以上だ。すり足で体を起こす場面は凄まじい気迫の土俵入りだ。結び前の豊ノ島戦では危なかったが、立ち会いの綺麗さが目を引いた。逸ノ城はこう云う先輩を見習うべきである。

2014年12月24日

             2014年の音楽会を振り返って

2014年も昨年並みのおよそ90回の音楽会に臨み、それぞれ、忘れがたい音楽体験をした。今年の音楽会を振り返ってようやく以下の20本の心に残った音楽会を選んだ。残りの音楽会もそれぞれ記憶に残るものばかりだが、ここであげた20本は特に印象が強かった。感動的なもの、ユニークなもの、歴史的にエポックになるようなもの、いろいろ切り口があるにしろ、強く心に残ったものばかりだ。ベスト3は一応順位を付けたが、残りの17本には結局順位は付けられなかった。

今年の音楽会ベスト3
1.ワーグナー「パルジファル」 10/6、10/9
  飯守/トムリンソン/ヘルリツィウス/フランツ/シリンス/新国立劇場
2.ヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」 5/31
  ムーティ/ペティアン/プラット/ベロセルスキー/ローマ歌劇場
3.インバル/都響によるマーラーチクルス
  3/9 交響曲第八番
  3/16、3/17 交響曲第九番
  7/20 交響曲第十番

 この3つの音楽会は私にとって今年のベスト3というよりも、この前後の年の音楽会の中でも忘れがたいものになるであろう。
 「パルジファル」は日本でこのような水準の演奏が聴けるというだけで記念碑的な演奏だろう。飯守の指揮はすでに二期会でこの曲を聴いていて、今回の新国立でも大きく変わっていない。滔々と流れる大河の様な音楽だ。いま、世界でこのようなワーグナーを指揮できる指揮者は何人いるだろう。歌手たちもみな世界的な第一人者で素晴らしいが、なかでもヘルリツィウスのクンドリーは、ティーレマンのライブCDでのマイヤーに勝るとも劣らぬ歌唱。これほどの苦悩と絶望感を背負った女性はいないだろう、ということを強く感じさせた。
 「シモン・ボッカネグラ」は魅力的な音楽の充満した曲だが、凡庸な指揮と演出に当たると、これほど退屈なオペラはないだろう。ムーティの「潮の香り」を感じさせる誠にデリケートな指揮に感動した。例えば2幕冒頭、3幕冒頭の音楽の素晴らしさ、かつて聴いたアバド/スカラ座の来日公演に勝るとも劣らぬ演奏だった。
 インバル/都響によるマーラーチクルスは日本ではこれで2サイクル目だと思うが、今回のほうが私は素晴らしいと思う。今年聴いた3曲もそれぞれ心に残る名演奏である。特に九番の再生を感じさせる4楽章や、十番の五楽章は忘れがたい。

                忘れがたい名演奏

以下順位ではなく日付順にワンポイントの感想を記して見よう。

1. ベートーベン「交響曲第三番・英雄」 2/26
   山田和樹/読響
   若い指揮者による「英雄」はさぞや力こぶの入ったものだろうと想定したが当てが
   外れた。今までに聴いたことのない繊細な、女性的とも云うべき「英雄」だった。
   ずっとこのままと云うことはないだろうが、このユニークネスは捨てがたい。将来
   の指揮者だ。来年からのマーラーチクルスを期待したい。
2. マーラー「交響曲第七番」 3/23
   シャイー/ライプチッヒ・ゲヴァントハウス
   どこかふらふらと飛んでゆきそうなこの交響曲だが、シャイーはしっかりと埒を
   あかせているところが素晴らしい。音色の素晴らしさは云うまでもないだろう。
3. コルンゴルト「死の都」 4/23
   ギズリング/ケール/ミラー/新国立劇場(フィンランド歌劇場制作)
   美しい歌がちりばめられたこのオペラの楽しさを余すところなく伝えた名公演だ。
   フィンランドの舞台をそのまま移植した演出だが、すでに発売されているDVD
   とほぼ同じ舞台を見られるというのもうれしい。DVDではフォークトが主人公を
   歌っていたが、この公演のキールも負けていない。
4. プッチーニ「蝶々夫人」
   4/24 二期会公演
   6/28 藤原歌劇団公演
   いずれも純国産に近い公演である。演出が両公演とも日本人で、舞台装置を含めて
   所作や動きに不自然さがなく、誠に安心して見ていられる公演だった。歌手たちの
   水準の高さも立派だ。先日聴いたキエフオペラの「トゥーランドット」の歌手たち
   より数段うまい。この上はさらに突き抜けた、私たち聴き手のハンカチをびしょ
   びしょにするくらいの歌唱を期待したい。
5. レオン・カヴァルロ「パリアッチ」 5/17
   パルンボ/グスターボ・ポルタ/新国立劇場
   久しぶりに素晴らしいカニオだった。ポルタは初めての歌手だが、おそらく新国立
   歌ったカニオのなかでは最高だろう。
6. ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」 6/21
   ハーディング/ファウスト/新日本フィル
   2楽章の対話の様な音楽の素晴らしさ。両端楽章の生き生きとした音楽。この曲の
   素晴らしさを改めて教えてくれた演奏だ。
7. マーラー「交響曲第一番・巨人」 6/23
   ヤニク・ネゼ・セガン/フィラデルフィア
   セガンのマーラーは今まで聴いたことのない、悪く云えばはちゃめちゃな演奏だが
   これだけ聴いていて面白い「一番」はあまりないだろう。まさにやりたい放題だ。
   同じ日に演奏したモーツァルトもモダンオーケストラの良さを十分感じられるもの
   だ。4楽章の荒れ狂う様もすごい。しかしこの極上の響きは忘れがたい。
8. アファナシエフによるシューベルトプログラム 6/25
   ピアノソナタ第21番、3つの小品(D946)
   アファナシエフの茫洋としたシューベルトはいつも聴いている内田、最近聴いた
   ポリーニやバレンボイムとは全く違う世界だ。3つの小品の2曲目の流れの悪い
   演奏は不思議なことに大きな感動を私にもたらした。
9. オッフェンバック「ホフマン物語」 7/7
   大野/チョーフィ/カバルボ/アルバロ/リヨン国立歌劇場
   オペレッタ作曲家の作品と馬鹿にしていたが、カ―セン演出のパリオペラの公演
   を映像で見てから変わった。最後のアポテオーズはいつも感動する。リヨンの公演
   はカ―センほど面白い演出ではないがそれなりに説得力があった。チョーフィーの
   4役の熱演が錦上花を添えた。
10.モーツァルト「フィガロの結婚」 8/31
   ヴィッラ・ディ・ムジカ公演
   オール日本人による公演。第一生命ホールという小さなホールでのセミ演奏会形式
   による。眼前で飛び跳ねながら歌う歌手たちの生き生きとした姿が印象的。決して
   超一流の歌唱とは思わないが、これがオペラの楽しさの原点ではないかと思わせる
   様な演奏だ。
11.ヴェルディ「マクベス」 10/1
   METライブビューイング/ルイージ/ネトレプコ/ルチッチ/パーペ
   ネトレプコのマクベス夫人は今まで聴いたことのない新しい夫人像を作り上げた
   ように感じた。是非はあろうが私は大変興味深く聴いたし、感動的でもあった。
   ルイージの棒も素晴らしい。
12.ベートーベン「ミサ・ソレムニス」 10/3
   メッツマッハー/新日本フィル
   このコンビの成熟を感じさせる演奏。速いテンポでぐいぐい迫る音楽は圧倒的
   であった。
13.モンテヴェルディ「ポッペーアの戴冠」 10/16
   カヴィーナ/マメリ/ロトンディ/マイアー/ヴィターレ/ラ・ヴェクシアーナ
   歌手たちの素晴らしさは云うまでもないが、カヴィーナのチェンバロの統率のもと
   、ラ・ヴェクシアーナと歌手たちのハーモニーが素晴らしい。この団体による
   CDを聴いているが、ライブではCDより小編成なのに実にふんわりとした魅力的
   な音を出す。オペラシティの音の響きの素晴らしさを改めて感じた。日ごろ滅多に
   聴かないモンテヴェルディだが深い感銘を受けた。
14.ロジャー・ノリントン/N響によるシューベルトプログラム 10/25
   交響曲第七番「未完成」、交響曲第八番「グレイト」
   いずれの演奏もN響とノリントンとのコンビの成熟を感じさせるものだ。
   ヴィブラートを排した弦の響きもピュアで美しい。ノリントンの指揮も円熟と
   云ったら怒られるだろうが、ベートーベンで感じさせる、よく云えば破壊的な、
   悪く云えばちょっとやんちゃな音楽とは違い、部分的には伝統的な演奏の響きを
   感じさせた。青白く燃え上がったシューベルトのように思った。
15.ブラームス「ピアノ協奏曲第一番」 11/25
   ヤンソンス/ツィメルマン/バイエルン
   この演奏の2楽章の音の移ろいの素晴らしさは忘れがたい。身悶えするような前半
   から、夢を見るような音楽に変わってゆく様は深い感動を呼ぶ。これは今から
   思ってみると、若者の感情でもあるが、一方ではその様な感情を懐かしく、
   うらやましく思う、私の気持ちを大きく揺さぶる。
16.シューマン「交響曲第三番・ライン」 11/28
   カンブルラン/読響
   このコンビの最高の演奏。伝統的な重量感あふれるシューマンとは異なるが、
   速いテンポでぐいぐい迫るこの迫力には何ものも抗しえないだろう。ラトル/
   ベルリンのCDと同様、21世紀に生きる切れば血のでる、実にフレッシュな
   シューマンだ。同時に演奏された英雄も伝統的なベートーベンとは異なる
   新鮮な姿を聴かせてくれた。
17.ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィル・ブレーメンによるブラームスクロノロジー
   交響曲全曲、協奏曲全曲、悲劇的序曲、大学祝典序曲、
   ハイドンの主題による変奏曲
   12/10,11,13,14
   13,14両日の交響曲第三番、四番が特に素晴らしい。
   ヤルヴィと云う指揮者は私にはまだどういう指揮者かつかめない。原典主義とも
   思えるところは多々あるが、時には手あかにまみれたけれんみを感じさせる部分
   もあるから一筋縄ではいかない。この両面をうまく接合させた曲は成功している
   ように感じたが、そうでない一番や二番の交響曲は私には違和感があった。最近
   シャイーとティーレマンの全く対照的なブラームスの交響曲全曲をCDで聴いたが
   両者のスタンスの明確なこと、私の様な素人でもよくわかる。この2つのセットを
   聴いた後ヤルヴィを聴くとどうも彼の演奏のスタンスが私にはどっちつかずの
   よいとこどりの様に感じる部分もあって、この指揮者の素性が掴めないのである。
   そういう意味では過渡的な演奏ではないかと思う。しかし4日間で上記のブラーム
   スの管弦楽のからむ曲を一人の指揮者で聴いた体験は貴重なものであった。
   なお、協奏曲ではフォークトによるピアノ協奏曲2曲とテツラフ兄妹による
   ダブルコンチェルトは大いに楽しめた演奏だった。

 2015年は海外の公演も多くあるが、国内のオーケストラも指揮者の充実を期待できる。カンブルラン/読響、ノット/東響、大野/都響、メッツマッハー/新日本フィル、
そして、ヤルヴィ/N響である。特にノットは年末に指揮したマーラーやブルックナーに新鮮さを感じた。大いに期待したい。
                                     〆

2014年7月28日

名古屋場所も昨日で終わった。後半は満員御礼が続くなど盛況だった。これも最後まで優勝争いが続いたことによるのだろう。
 そういう意味では功労者は琴奨菊、豪栄道、高安だろう。特に琴奨菊はカド番からの復活だから、だれもこんな大勝ちをするということは予想できなかったと言ってよい。大関昇進した時のあの馬力が復活したのだ。怪我で悩まされたこの数場所だが、少しは良くなったのだろう。
 豪栄道も前半戦を見た限りでは、先場所並みかと思っていたら、なんと後半追い上げて大関のかかった一番でも、実力を出し琴奨菊に圧勝してしまった。こういうところは人の持つ運命の様なものを感じる。万年横綱候補の稀勢里などはなんどもこれで勝てば横綱という相撲に遭遇しながら、それをつかみ損なっている。今場所はそういうプレッシャーがないにもかかわらず、前半で取りこぼしてしまった。強い時と弱い時との差が大きすぎる。白鵬には滅法強いが他の上位力士には刃が立たない。今場所はそれと立ち腰がきになった。多くの解説者も指摘しているとおり。ちょっと話題はそれたが、高安はここまでさがったのだから当然と云えば当然だ。今場所を面白くしたのは弱い2横綱というのも皮肉な話だ。最年長金星が話題になること自体が、横綱のレベルの低下を物語っている。

 私の御贔屓の妙義龍も今場所はやっと実力を発揮した。来場所は上位に上がるだろうから、大関・横綱戦が楽しみだ。勢は残念ながら上位の壁に跳ね返されてしまった。横綱・大関戦では見るべきものがあったが、同じ格の相撲には合わせていったためか脆かった。しかし最終盤での2番は来場所の期待を抱かせる安定感のある相撲だった。右からの当たり一辺倒をとやかく云う解説者もいるが、やはり私はこの戦法で固めた方が良いと思う。解説者もいい加減なもので、いろいろな引き出しをもつべきだというものもいれば、型を作らなくてはいけないとか、いろいろである。やはり稽古で、自分で良く考えて得意の取り口を編み出すしかないだろう。

 さて、今場所前半を盛り上げたのは大砂嵐だろう。残念ながら負け越してしまった。彼もかちあげ一辺倒では勝ちきれないとわかったろう。来場所はどう戦うか興味深い。というのは彼のかちあげは少々危険技ではないかと思われるからである。立ち会いの初めから腕を相手の首などにぶち当てるのは本来のかちあげではないらしい。一度がつんと当たってから腕を跳ね上げるのを云うそうだ。ある解説者の弁であるからどうだかは分からない。ただ私の印象ではあれはプロレスである。そしてあれ一発に賭けているから、上位でちょっと動きの良い人は簡単にずらして対抗していた。逆にあれをまともに食らう相撲のほうがとろいというべきだろう。遠藤も大人気だ。しかし人気先行になり、どうもプレッシャーを感じて、相撲が遅く、小さくなってしまっていたのが気になった。その良い例が照ノ富士戦である。右まわしの良い位置をとったのにずるずると相手の術中にはまってしまった。以前ならとった瞬間に右を引きつけて、相手を起こして左おっつけで寄り切っていたろう。このまま小さく固まる人ではないだろうが、もっと大きい、上位の人、それと苦手の押し相撲の人と稽古をして、速く、スケールの大きなお相撲さんになって欲しいものだ。

 遠藤のライバルになるのは、大砂嵐だけではない。照ノ富士、逸ノ城の2人のモンゴル勢だろう。体の大きなことも凄いがバランスが良い。照ノ富士はどんな苦しい形になっても盛り返してくる、何とも不気味なお相撲さんだ。

 今場所異例のことながら、中日前に汗ふき励行の指示が相撲協会から出た。以前から指摘していたように、白鵬の汗は目に余るものがあったが、やっと協会も動き出したようだ。日経では白鵬と大砂嵐を名指しで指摘していた。しかし大砂嵐はきちんと拭くようになったが、白鵬は相変わらず、時間一杯になってタオルをもらっても腹をちょっと祓う仕草をするだけで、胸前はびしょびしょだ。あれでは押し相撲はとりにくいだろう。驚いたことに通達がでてから数日、NHKのテレビ放送では白鵬の時間一杯の場面を正面から映さなくなった。これは故意だろうか?故意だとしたらそこまでおもねる必要はあるのだろうか?
勝負審判も解説者も白鵬の汗についてはまったく触れていないのも面妖な話だ。協会のいっぺんの通知はまったく横綱には無視された格好になってしまっている。勝負審判はきちんと横綱に汗を拭きなさいと指示をすべきである。〆

2014年7月14日

5月場所が終わったと思ったらもう名古屋場所。お相撲さんも大変だと思う。昨日の名古屋場所の初日は満員御礼で誠に結構なお話。
 しかしテレビ解説者も話していたが、印象に残る激しい攻防の相撲が非常に少ない。ラリーのないテニスみたいなもので、先につっかけて引いたりはたいたり、一歩的に押したりの相撲ばかり。もちろん相撲の醍醐味はこの立会一瞬の面白さにあるだろうが、駆け引きの様なものばかり目立つ昨今の立ち会いの味気なさ。勝てばいいんだろうと云わんばかりの相撲では、プロレスなど同じ単なる格闘技になってしまう。
 まあそれはそれとして、横綱のラスト2番の相撲の後味の悪いこと。
日馬富士×碧山の1戦。横綱が一方的に押したのは良い。しかし勝負がついているのに、あの無駄な駄目押しは何だ。こういう品のない横綱がいるから、とにかく勝てばよいんだろうという風潮になってしまうのだ。解説者も流石にこれはひどいと苦言を呈していた。マスコミもこういう横綱に対して甘い。今朝の新聞には全く触れられていない。スポーツ記者はどこを見ているのだろう。
 もっとひどいのは白鵬×安美錦戦だ。立ち会い待ったをした安美錦に対して土俵中央で肘でかちあげるのいかがなものか?あいてが待ったしようが、何しようが泰然自若としているのが横綱だし、今の白鵬の力ならそういう姿勢を容易に貫けるのに、誠に品のないことをする。それと白鵬は全く汗を拭かない。稽古をしているのならわかるが、本番でびしょびしょのままで勝負に向かうのは相手に失礼ではないだろうか?しかし相撲協会もマスコミもこれら横綱には何も言えないのが嘆かわしい。

 今日一番の歓声は遠藤×照富士戦。なんと平幕同士に懸賞が16本と言うのは驚きだ。まあ他の相撲が如何に面白くないかの証明だ。しかしこの期待の一番の遠藤の相撲の消極さが気に入らない。以前なら右の前みつをもっと引きつけて相手を浮かしてから、寄るか、上手投げを寸時に打っていたろう。照富士はいかに大きくて、腰が重いといってもそれは言い訳。これから横綱を目指す大器であれば、それくらいスケール大きな相撲を期待したい。遠藤は場所を追うごとに相撲が悪くなっているような気がする。例は悪いがちょうど常幸龍が入幕したばかりの時は何と凄いやつだと思ったが、今では普通のお相撲さんになってしまった。遠藤もそうならないように祈る。〆

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