ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

カテゴリ: その他

2018年12月28日

今年もあとわずか、この一年に聴いた音楽を振り返ってみたい。

 今年年間スケジュールをとしあけに見たとき、あまり目玉はないなあとおもったが、80回ほどのコンサート、予想外に充実した音楽を聴くことができたというのが正直な気持ちである。まずベストコンサートを、10選んでみた。番号は一応順位付けであるが、目安程度でもある。

1.シューマン交響曲全曲演奏会 10/31,11/1(サントリーホール)
  指揮:ティーレマン、管弦楽:ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

2.ボーイト「メフィストーフェレ」(演奏会形式) 11/16(サントリーホール)
  指揮:バッティストーニ、管弦楽:東京フィルハーモニー管弦楽団
  バッティストーニは神奈川県民ホールでのアイーダも優秀、また東フィルではミュンフン指揮で
  「フィデリオ」もあった。これも演奏だけ言うと新国立の「フィデリオ」と甲乙つけがたい素晴らしい  演奏だった。

3.ベートーベン交響曲全曲演奏会、6/2~3、5~7(サントリーホール)
  指揮:ウェルザー=メスト、管弦楽:クリーブランド交響楽団

4.ヴェルディ「椿姫」、9/12(東京文化会館)
  ローマ歌劇場公演
  「マノン・レスコー」も聴いたが演出の差で「椿姫」とした

5.バッハ「ヴァイオリン協奏曲第一番、第二番」、12/12(東京オペラシティ)
  ヴァイオリン:ヒラリー・ハーン、指揮:パーヴォ・ヤルヴィ、管弦楽:ドイツ・カンマーフィル

6.プッチーニ「三部作」9/7 (新国立劇場)
  二期会公演
  指揮:ベルトランド・ビリー、管弦楽:東京フィルハーモニー

7.モーツァルト「ドンジョバンニ」6/30(日生劇場)
  ニッセイ・モーツアルトシリーズ
  指揮:サバティーニ、管弦楽:東京シティフィル

8.ストラヴィンスキー「春の祭典」、6/12(東京オペラシティ)
  指揮:ロト 管弦楽:レ・シュクル

9.マーラー「交響曲第五番」、3/14(サントリーホール)
  指揮:スヴェーデン 管弦楽:ニューヨークフィル

10.マーラー「交響曲第三番」、4/10(サントリーホール)
  指揮:大野和士 管弦楽:都響

次点。新国立劇場のオペラ公演
   印象に残ったのはカルメン(11/25)、魔笛(10/8)、トスカ(7/8)
   フィデリオ(5/27)、アイーダ(4/8)
次点。ラフマニノフ「交響曲第二番」を含むジョナサン・ノットの公演
次点。ベートーベン「交響曲第四番」ブロムシュテット/N響

少し書き加えたい。ティーレマンのシューマンは迷わず今年のベストだ。ドイツ音楽の凄味を指揮者とオーケストラでこれだけ示した演奏はそうざらに聴けるものではない。
 2位のバッティストーニと3位のウェルザー=メストは比べるのもどうかとおしかりを受けそうだ。しかしこれらの演奏会から受けた感銘度から判断した。バッティストーニの、この滅多に演奏されないオペラを演奏会形式ながら東フィル定期に持ってくるという、卓抜な発想が素晴らしい。ライブで初めて聴いたこの「メフィストーフェレ」は、もっと国内のオペラ団体でも取り上げるべき名曲だということを改めて証明した名演である。

 ウェルザー=メストのベートーベンはすべて気に入ったわけではなく、私の物差しではばらつきが多かった。しかし2番、4番、7番などツボにはまった時、このベートーベンの演奏のきらめきは何物にも代えられまい。
 ローマ歌劇場の2演目は素晴らしい歌唱で魅了したが、総合的に「椿姫」を上位にした。オポライスのマノン、クンデのデ・グリューは素晴らしいが、マノン・レスコーの舞台・装置の貧弱さががっかりさせたのだ。ヒラリー・ハーンのバッハにこの順位をこの順位を与えることは迷ったのだが、あの時のバッハの愉悦に満ちた音楽が忘れられない。ヴァイオリンではパリ管と共演したファウストのベートーベンも良かったが、あまりにも研ぎ澄まされすぎていて、私には少しきつかった。

 二期会も健闘したがなかでも、プッチーニの「三部作は」歌手も、演出も立派なもので滅多に3つは一度に演奏されないだけにうれしかった。二期会はその他魔弾の射手などもあったが、演出に難があり、はずした。オペラでは日生劇場でのモーツァルトシリーズも健闘した。なかでも「ドン・ジョバンニ」はサバティーニの指揮、歌手、演出とも秀逸で大いに楽しんだ。そのほかコジや後宮からの逃走なども聴いたがいずれも演出が稚拙なのが難点。レ・シュクルとロトの「春の祭典」は初演時を再現するという試みが成功して、今まで聴いたことのない響きを聴くことができた。スヴェーデンのマーラーは大昔ショルティ/シカゴで聴いた、巨艦主義的な大マーラーで懐かしくて残した。ここで聴く響きは日本のオーケストラは絶対出せないだろう。なお別の日に聴いた「春の祭典」もギルバート/都響の演奏をぶっ飛ばす巨砲だった。
 日本の定期公演では大野/都響のマーラーが印象に残った、これはおそらく日本人でしか創造できない世界だろう。
 次点から新国立劇場の公演を挙げた。このなかでは「アイーダ」と「トスカ」の演出と舞台を評価した。読み替え流行の現在、伝統的なスタイルを守っている、この2曲の舞台は万人に愛される舞台ではなかろうか?11月に聴いたカルメンもそうである。
 ブロムシュテットのベートーベンには驚かされている。ここでの四番はかつてのブロムシュテットとはまるで別人のような演奏に聴こえる。90歳になっても成長を遂げる音楽家と云うのはなんと素晴らしいことだろう。ジョナサン・ノットも東響との定期でいくつかの名演を聴かせてくれた。私にはラフマニノフが印象に残ったが、ブルックナーの九番も良い。

今年も元気に良い音楽を沢山聴きました、来年はクルレンティスがきけるというお年玉があります。
みなさん、良い音楽を沢山聴きましょうね。

2017年12月24日

今年は例年に比べると音楽を聴きに行った回数は少なかったが、外来のオーケストラなどの充実もあって、どのコンサートもそれぞれ満足のゆくものだった。順位付けはなかなか難しいが、とりあえずベスト3のみ順位付けをし後は印象に残った音楽界を列記したい。

 今年のベスト3
 1.ライプチッヒ・ゲヴァントハウス/ブロムシュテット(11/12,13)
   シューベルトのグレイト交響曲とブルックナーの七番がメインのコンサートを聴いた。オーケスト
   ラの作り出す音と指揮者の融合がこれほど素晴らしい例はそう体験できまい。特に輝かしくも
   高貴なシューベルトには深い感銘を受けた。
 2.新国立劇場公演10/8、12/4、3/21
   10/8は神々の黄昏
   12/4はばらの騎士
   3/21はルチア
   いずれも今年の新国立の水準を感じさせる名公演である。特に神々はいままでのリング
   チクルスのなかでもっとも満足のゆくものだった。飯守の指揮、フリードリヒの演出   
   いずれもチクルスではベストの出来栄え。
    ばらの騎士、ルチア、いずれも歌い手が傑出しており満足の公演だった。
 3.ジョナサン・ノットと東京交響楽団のいくつかの公演
   12/11ドン・ジョバンニ演奏会形式
   5/12ブルックナー交響曲第五番
   7/16マーラー交響曲第二番
   12/3交響曲第三番
   ジョナサン・ノットは名ばかりの常任指揮者の多い中、精力的に来日し、ドイツ系の音楽を沢山
   聴かせてくれた。現代音楽が得意と聴いていたがそれを抑えて、日本人の好きなプログラムを用意
   してくれている。在京の定期公演では私は東響が最も好きなのはそういうことも理由だ。
   評論家ばかり喜ばせるようなプログラムを用意する楽団もあるが、お客は離れてゆくだろう。
   ノットも時にはそういう曲を混ぜるが、そのあとにごちそうを用意しているのが良い。
   以上余談です。
   ノットの公演は上記のどれも素晴らしいが、なかでもドン・ジョバンニは傑出していると思う。
   古楽流+伝統の響きの融合が素晴らしい。現代に生きるモーツアルトが聴けた。

以下はその他印象に残った音楽会である。
 まず、オペラからバイエルン国立歌劇場の来日公演を聴いた。9/29「タンホイザ」ー、9/30「魔笛」である。タンホイザーは昔から聴いているスタイルと演奏も演出も違い面食らったが、魔笛でエファーディングのもう古臭いというべき演出では涙した。魔笛での音楽と舞台の一致は当然だが聴き手を置いてけぼりにするような昨今の舞台に対する批判ともいうべき公演だろう。魔笛については新聞なども全く触れていない。批評家たちは何しにコンサートに行っているのだろう。
 続いてマッシモ・パレルモ劇場の「椿姫」だ。ランカトーレ、ヌッチ、ポーリの歌唱は傑出しており、やはりオペラは歌である。
 国内の団体では藤原の「ノルマ」が良かった(7/2)、マニエッラ・デヴィーアの素晴らしい歌唱が特に感動的。二期会では「トスカ」(2/18)がよかった。カバドッシを歌う樋口には大いに期待している。変わり種ではサリヴァンの「ミカド」(8/28)、日本語の歌が違和感があったが、なによりも園田隆一郎の作り出す音楽に魅了された。このオペレッタが600回以上もロングランを続けたのもわかった。演出と歌い手にもう一段の水準があればと惜しまれる。演奏会形式だがバッティストーニ
/東フィルの「オテロ」も彼の将来性を感じさせる好演だった。来シーズンはボイートの「メフィストフェレ」を聴かせてくれる。楽しみだ。

 次にオーケストラコンサートだ。11/21と22にロイヤル・コンセルトヘボウを聴いた。マーラーの四番とブラームスの一番がメインのプログラムだ。私にはガッティという人の演奏がいまひとつまだるっこしい。深く感銘をするというレベル、こころがわきたつレベルまでには連れて行ってくれないような気がする。彼のオペラでもそうだ。もう少し聴き続けてみたい。
 ネルソンズ/ボストン(11/20)はラフマニノフが実に素晴らしい名演だった。特に2楽章、3楽章は体ごとどこかへ持っていかれそうだった。マーラーの一番も聴いたがこちらはあまりしっくりこない。チェコフィルのドヴォルザークもよかった(10/5)これほど素晴らしい弦が聴けるとは、たまげてしまった。
 国内のオーケストラではエッシェンバッハの指揮したN響の公演(10/21)がとてもよかった。特にブラームスの三番の交響曲。N響があれほどしっとりした音を出す例は滅多にない。同じN響ではヤルヴィのシューベルトのグレイト(7/1)がよかった、これはブロムシュテットとは真逆の明るくまぶしい演奏だが、若々しさを感じさせてくれた名演だと思う。その他ショスタコーヴィチの十番(2/17)も印象に残る。
 山田和樹/日本フィルのマーラーチクルスも最終年である。七番と九番(6/29)を聴いた。好きな曲だけに九番が心に残る。山田のマーラーは当然のことながら時系列的に良くなっていたように思った。残念ながら都響は定期会員だが印象に残る演奏はなかった。あえて挙げるとするとスペシャルでインバルが指揮した「大地の歌」くらいだ。(7/18)

 器楽はほとんど行かなかったが5/10のカツァリスのシューベルトはよかった。器楽は正直言って自室で自分のオーディオ装置で聴いたほうがよいように思う。

 来年はウエルザーメスト/クリーブランドのベートーベンチクルスやいま話題のクルレンティス/ムジカ・エテルナも来日するそうだから楽しみである。

2016年12月26日

今年を振り返って、音楽、映画そして本の印象に残った作品をあげてみた。

「音楽編」クラシック今年のベスト演奏

1.ウィーン国立歌劇場来日公演
ナクソス島のアリアドネ、ワルキューレ、そしてフィガロの結婚の3作品を鑑賞
したが、どれも素晴らしかった。特にオペラでの管弦楽の重要性をこれらの作品で知ることができたのは最大の収穫。3作品では演出の面白さからアリアドネが一番印象に残った。フィガロはやはりポネルの演出がインパクトが大きい。読み替え全盛の中でこの演出が今まで生き残ったのは忘れてはならない。ワルキューレは新国立のほうが面白く、あまり印象に残らなかった。

2.ヤナーチェック:「イエヌーファ」(3/18)
新国立劇場の公演である。今年も名演奏を楽しんだが、イエヌーファが忘れられない公演の筆頭だ。演出、歌手すべてにわたってゆきとどいた舞台だった。その他ではワルキューレ(10/8)とウエルテル(4/9)が印象に残った。

3.ジョナサンノット/東京交響楽団のいくつかの公演
まずファウストと共演したベートーベンのヴァイオリン協奏曲(10/16)、私が聴いたライブ演奏では最高の演奏だろう。ついでシューマンの交響曲第二番(12/3)、そしてブラームスのドイツレクイエムが素晴らしい。いずれもノットの個性あふれる演奏が印象に残る。オペラでは演奏会形式のコジファントゥッテも素晴らしかった。東響ではその他シモーネ・ヤングとのブラームス交響曲第四番とナクソス島のアリアドネ(二期会)が忘れられない。

4.クリスティアン・ティーレマン/シュターツカペレドレスデン来日公演
アルプス交響曲(11/22)を聴いたが、ドイツの歴史と伝統を感じさせる音の響きが忘れられない。その直前にサンフランシスコ交響楽団を聴いただけにこのドレスデンの音がより鮮明になった。ティーレマンは一時私には停滞を感じさせが、この演奏でやはり現代を代表する指揮者の一人だと改めて印象付けられた。

5.ズービン・メータ/ウィーンフィル来日公演
シューベルトの交響曲八番が素晴らしい響きで魅了された。ブルックナーも聴いたが、シューベルトの方がウィーンフィルの力を感じさせる演奏だった。

6.バレンボイム/シュターツカペレベルリンのブルックナー
五番、七番、八番、九番を聴いたが、基本的には1970-80年代にシカゴと録音した演奏とあまり変わっていないのに、音楽がすみからすみまでスケールアップしているのには驚かされた。

7.スクロヴァチェフスキー/読響のブルックナー八番(1/23)
またブルックナーだがマエストロの音楽が停滞していないのが凄い。何年か前に録音された演奏と比べても更にスケールアップしているのは驚くべきことだ。

8.二期会による「トリスタントイゾルデ」(9/19)
演出と音楽が一体となった幻想的な舞台。特に第二幕は忘れられない。

9.ヤコブ・フルシャ/都響によるマーラーの交響曲第一番(12/14)
交響詩の様な物語を感じさせるフレッシュなマーラーである。都響の充実した響きは流石である。

10.パーヴォ・ヤルヴィ/N響のマーラーの八番(9/8)
NHKホールという劣悪な音響の場で、あれだけの素晴らしい音を出すというのはやはりヤルヴィの力だろう。サントリーでの三番よりもこの演奏のほうが好きだ。

次点
その他セガン/フィラデルフィアのブルックナー四番、カンブルラン/読響のマーラー五番、プレトニョフ/東フィルのペールギュント全曲、新国立劇場のバレエからロミオとジュリエット、ラトル/ベルリンフィルのベートーベン(一番、三番)が記憶に残る。
 その他映像で見たものではメトロポリタンのライブビューイングでのオポライスのマダムバタフライとマノン・レスコーの歌と演技、今年のバイロイトのパルジファルの公演が忘れられない。
 以上あげつらったが、今年のクラシック音楽界の水準の高さを改めて強く感じた。しかし結局印象に残った演奏のほとんどが独墺系というのは自分の進歩のなさを感じる。


「映画編」
自分の好きなジャンルでは今年はそれほどめぼしいものはなかった。ちょっとさびしい
一応列挙する
オデッセイ、ブリッジオブスパイ、アメリカン・ドリーマー、ナイト・クローラー
チャイルド44、サンドラの週末、独裁者と小さな孫、日本の一番長い日
マネー・ショート、スポット・ライト、レヴェナント

「読書編」
映画に反して、小説・ノンフィクションとも今年は選り取り見取りの素晴らしさ。
以下列挙する
ゲルマニア:ハラルト・ギルバート著
ロンドン狂らん:中路啓太
典獄と934人のメロス:坂本敏夫
与楽の飯:澤田瞳子
1493:チャールス・マン
たまたまザイール、またコンゴ:藤田真知
家康、江戸を建てる:門井慶喜
サピエンス全史:ユヴァル・ノア・ハラリ
でっちあげ:福田ますみ
残り物:朝井まかて
ドナ・ビボラの爪:宮本昌孝
料理通異聞:松井今朝子
とりわけノンフィクションの1493と小説の料理通異聞は私の今年のベスト本である。

なお、以上音楽、映画、読書で取り上げた作品の寸評はブログで確認できます。

2015年12月29日

2015年を振り返って、ブログにしたものから音楽、映画そして本の各ジャンルのベストを10作ほどリストアップした。順位付けは難しいがやっと音楽だけは付けて見たが、実際それほど大きい差があるわけでないので参考値である。

「音楽編」
今年も音楽会はかなり行ったがそれぞれ立派なもので凡演はほとんどなく、どの演奏もなにかしらの感動やら印象を与えられた。そのなかで次の10本+1をあげて見た。

1.「シベリウス作品集」
 11/26,12/4、交響曲一番、五番、六番、七番、ヴァイオリン協奏曲、カレリアから。オスモ・ヴァンスカ指揮、読響。特に五番は今年聴いた中で最も深い感銘を受けたもの。というか、ここ数年でこれだけのインパクトを受けた演奏はない。

2.リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」
 新国立劇場の公演。指揮はシュテファン・ショルティス。5/30,6/4
 新国立劇場は今年も好調でどの公演も素晴らしいものであるが、この「ばらの騎士」をその中の代表で選んでみた。特に元帥夫人の歌唱には深い感銘を受けた。

3.モーツァルト「ドン・ジョバンニ」
 ロイヤルオペラ公演。9/20
 パッパーノ指揮。マクベスも聴いたがどちらを選ぶかと云えば歌手の魅力でこちら。特にディドナートのドンナ・エルヴィーラが素晴らしい。

4.バッティストーニのオペラ
  プッチーニ「トゥーランドット」5/7
  ヴェルディ「リゴレット」2/9
  いずれも歌手には若干の不満はあるがバッティストーニの指揮には脱帽である。それは真にイタリアのオペラの醍醐味を味あわせてくれたからである。輝かしいオーケストラ、音楽の素晴らしい推進力は何ものにも代えがたい。

5.マーラー「交響曲第四番」
 ハイティンク指揮ロンドン響、9/28
 今年はハイティンク再発見の年だった。このほかCDでマーラーとブルックナーの選集を聴いたがいずれも自然でスケールの大きい演奏だった。

6.山田和樹のマーラーチクルス「交響曲一番、二番、三番」
 それぞれ1/24,2/22,2/28に聴いた。オーケストラは日本フィルである。若きマエストロにマーラー全曲を託した企画に座布団をあげたい。初振りの曲が多いそうだが若さがそれを補って余りある。特に力こぶの入り過ぎない二番が素晴らしい。

7.ブルックナー「交響曲第八番」
 ヤノフスキー指揮、ベルリン放響。今年はヤノフスキー再発見の年でもある。このブルックナーは一聴、味もそっけもないようであるが、その底に流れる自然な音楽の流れはまさに今日のブルックナーに相応しい演奏である。このほか東京春祭でワルキューレを振ったが、好みでブルックナーをとった。

8.マーラー「交響曲第三番」
 東京交響楽団/ノットのコンビの熟成を思わせる演奏である。9/12
 今年はこの曲を何回か聴いたがこの演奏がもっともオリジナリティの富んだ感動的な演奏だった。決して熱くならないこのマーラーは新発見である。ノット/東響ではその他パルジファル抜粋が良かった。

9.モーツァルト「レクイエム」
 ダイクストラ指揮、都響10/16
 珍しいジュスマイヤー版による演奏。スエ―デン放送合唱団が素晴らしい。

10.マーラー「交響曲第七番」
 大野和士指揮、都響4/8
 大野の就任コンサート一環である。このほかベートーベンやベルリオーズも素晴らしい。

番外
 ワーグナー「トリスタントイゾルデ」
 バイロイト2015ライブ映像
 ティーレマンの指揮が圧倒的な感銘を与える。演出も比較的まともなのが良い

その他、ロト/読響の幻想、新日本フィルの青ひげ公、N響/ヤルヴィのショスタコーヴィチの五番、、ドゥダメル/ロスフィルのマーラー六番、二期会のダナエの愛なども忘れられない音楽会だった。


「映画編」
ゴーン・ガール、アメリカン・スナイパー、リスボンに誘われて、マップ・トウ・ザ・スターズ、ドラフト・デイ、マッド・マックス、、RUSH、ビッグ・アイズ、、バードマン、フォックス・キャッチャー、イミテーション・ゲームの11本
 今年の映画は特にどうしてもという映画がなかった。ほとんどの映画がレンタルで見たものだ。映画館という限られた場所、限られた時間を消費してまで見たいと云う意欲がわかない。11本の作品に共通するのは(マップ~を除く)男の心である。友情であったり、愛情であったり、悔恨であったり、憎しみであったり、挫折であったり、憧れであったりである。

「読書編」
 今年から本のブログも始めた。これはなかなか難しい。今回はやっと10本を選んだがどれも面白い本ばかりだ。

「鬼神の如く」葉室 麟
黒田騒動のの物語である。これも男のドラマである。逆賊か忠臣かの評価の分かれる人物の描き方が面白い。

「レコードはまっすぐに」ジョン・カルショー
デッカの名プロデューサーの自伝的作品である。新作ではないが古本サイトで見つけたので読んで見た。当時の音楽家たちが赤裸々に描かれていて面白い。

「ゲルマニア」ハラルト・ギルバート
1944年のベルリンを舞台にした一種の警察小説である。親衛隊がユダヤ人の元刑事を雇って捜査をさせるという設定が面白い。

「武士の碑」、「負けてたまるか」伊藤 潤
前者は村田新八、後者は大鳥圭介をモデルにした時代小説である。どちらかというと表舞台に出て来ない男たちである。その人生を克明に描いている。

「若冲」澤田瞳子
異色の画家、伊藤若冲の物語である。絵が目に浮かぶような作者の筆致が素晴らしい。私は「流」よりもこちらが直木賞に相応しいと思った。彼女の作品では「与楽の飯」という奈良の大仏に関わる男たちの物語も面白い。

「六度目の大絶滅」エリザベス・コルバート
六度目の絶滅期を迎えていると云う地球の実態を克明に描いた力作

「夢はまことに」山本兼一
鉄砲鍛冶の国友一貫斎をモデルにした時代小説。江戸時代に生まれた科学的精神が克明に描かれる。同系の書物では西條奈加氏の「六花落落」が面白い。

「胡椒、暴虐の世界史」マージョリー・シェーファー
胡椒に踊らされた人類、なかんずく欧米人の物語、欧米による纂奪の物語である。ヨーロッパ人がいなければ世界はもっとずっと違った形になったろうと思わせる本だ。

「狗賓童子の島」飯島和一
飯島の久しぶりの作品だ。大塩平八郎の乱の生き残り西村履三郎の息子の常太郎が主人公であるがむしろ幕末期の民衆の生き様や彼らによって引き起こされる隠岐の島の乱の描写が面白い、熱い小説だ。

2015年5月13日

国技館での相撲は毎場所1回は見に行くようにしている。今場所もピアで発売日に申し込みをしたが、凄まじい相撲人気で後半戦の椅子席は後ろの方しか取れないので、今日、4日目を観戦することになった。

 今日も満員御礼である。外国のお客も多い。特に2階席はそうである。なぜ急にこのように大相撲が人気になったのだろう。遠藤人気もあるし、その他中堅力士の活躍も頼もしい。しかし最も大きいのは外国力士がもう相撲界では異分子ではなく、完全に日本の相撲に同化したことではないだろうか? 歓声を聞いていると、別に日本人ばかりを贔屓しているわけではないのだ。皆それぞれ自分の好きなスタイルの相撲を応援しているのである。それには照ノ富士と逸ノ城の存在は大きい。彼らのキャラはかつての朝青竜のような悪役イメージはない。もうほんのちょっと言葉に違和感があるだけで、日本の相撲に溶け込んでいるのである。特に照ノ富士にはそういうことが云えよう。日本の相撲がモンゴルにのみ込まれたのではなく、日本の相撲がモンゴル人やその他の海外の相撲をのみ込み、同化させたのではないかと思うのである。

 さて、今場所、初日から見ていると怪我人が実に多い。包帯やサポーターをしていない人が少ないくらいである。豪栄道や逸ノ城なども場所前に痛めたところがあるらしい。遠藤に至っては痛々しい限りである。今日も遠藤は全く相撲になっていない。もう気の毒で見ていられない。本人の意思で出場を決めたらしいが、医者の診断や親方の判断はないのだろうか?遠藤は今場所全休するとおそらく十両に落ちてしまうから出場を決めたと思っているが、栃ノ心や北大樹の例もあるのだから、完全に治してから出直して欲しいものだ。それにつけても公傷制度をなぜ復活させないのか不思議でしょうがない。年間の場所数が多い昨今、相撲取の体への負荷は相当なものである。ここは性善説にたって復活を検討してもらいたいものだ。

 今場所も大関への期待は大きかったはずだ。初日に白鵬が敗れたので余計期待が増したはずなのだが、今日の大関の3番のひどさは筆舌尽くしがたい。琴奨菊はなぜ闘牛の様に無暗に前に出るのか、稀勢里と豪栄道はなぜああも簡単に土俵際で転ばされるのか?特に豪栄道は安易に大関に昇格させた相撲協会の責任は相当重い。関脇時代からわきの甘さが指摘されていたし、相撲の型のなさも云われていた。それを敢えて大関にしたのだ。一番苦しんでいるのは豪栄道だろう。

 今日の期待の相撲は照ノ富士×逸ノ城戦だろう。過去2戦続けて水入りだから余計期待は大きい。しかし相撲の呆気なさよりも、立ち会いの不愉快さが先にたった一番だった。責任の過半は逸ノ城にある。2回立ち会いが合わなかった。逸ノ城が手をつかなかったからである。2回目は照ノ富士が仕切るのを自分から放棄してしまったほど逸ノ城の駆け引きが目立った。相撲はほとんど立ち会いで決まると云って差し支えない。その一瞬の呼吸の立ち会いが勝負なのである。それを逸ノ城はわかっていないのか、親方は指導していないのか?要は逸ノ城の相撲の精神年齢が幼いと云うことだろう。その前の遠藤も一回で立ち切れなかった。怪我をしている上に立ち会いに迷うとは、負けて当然の勝負だった。

 今日、印象に残った相撲が何番かある。前半戦で遠藤に次いで声援が大きかったのは勢だが、魁聖にあっけなく負けてしまった。全勝同士なのに期待外れ。勢も力をつけているが、こういう大きな相撲に対してはまだまともにいっては勝てないと云うことだ
 宝富士と北大樹戦も興味深かった。両者とも地味なお相撲さんだが地力をつけている。しかし今日は宝富士の地力が北大樹を圧倒したようだ。立ち会い左を差して、攻め立て、土俵際でさっとすくうなんて技は力の差がないとできない。
 結びの佐田の海は取り直しで日馬富士に勝ったが、横綱のスピードに決して負けていないところが素晴らしい。初日に見せた粘りと合わせて今後見逃せない相撲だ。
 白鵬は土俵入りの迫力が従来以上だ。すり足で体を起こす場面は凄まじい気迫の土俵入りだ。結び前の豊ノ島戦では危なかったが、立ち会いの綺麗さが目を引いた。逸ノ城はこう云う先輩を見習うべきである。

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