ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

カテゴリ: CD

友人からCD2枚が送られてきた。ダブって買ってしまったので聴いて欲しいとのこと。ありがたく頂戴し早速聴いてみた。
2枚のCDは以下の通り
  ガリー・ベルティーニ指揮 マーラー交響曲第4番(ソプラノ:カミラ・ニールンド)2004
               マーラー交響曲第6番 1973
                     管弦楽:ベルリンドイツ交響楽団
        4033008907404

もう1枚はクラウス・テンシュテット指揮 ショスタコーヴィチ交響曲第5番他
いずれもライブレコーディングである。いずれもWEITBLICKという聞いた事のないレーベルである。

 さて、このなかでえらく興奮させられたのがベルティーニの演奏したマーラーの6番である。1度聴いて、ちょっと信じられなくて、翌日もう1度聴きなおしてしまった。それほど今まで聴いた事のないマーラーだった。
 ベルティーニと云えばマーラーのスペシャリストと云われ、日本でも都響などとの公演で知られている名指揮者であるが、今日ではもうほとんど触れられることのない指揮者である。例えば時々音楽の友では音楽評論家たちに音楽家別の楽曲の順位をつけるが、かつてはベルティーニのマーラーは常連だったのに、レコード芸術5月号での特集、新時代の名曲名盤500の中では、ベルティーニのマーラーは1曲も入っていない。余談だが、マーラーで選ばれているのは1位だけ記すと以下のようだ。(指揮者のみ)

   一番 ロト
   二番 バースタイン新盤
   三番 ロト
   四番 T.トーマス
   五番 ロト
   六番 Kペトレンコ
   七番 ヴァンスカ
   八番 ショルティ
   九番 バースタイン(ライブ)
   大地の歌 クレンペラー
 まあ、こんな具合で驚き桃ノ木だ。昔から定番と云われたのは、八番と九番、そして大地の歌くらいで、あとは新しい演奏家が軒並みだ。かつてはバーンスタインがほぼ独占していたような世界だったが、変わるものだ。トーマスやヴァンスカなど、かつてはアメリカのオーケストラなどほとんど入り込めなかったのが、ランク入りしているのも特徴だろう。ただしこの投票は結構いい加減で、盲目的に信じてはいけない。たとえばベートーヴェンやブラームスのランキングでは発売されたときにはあまり話題にならなかった、私が発売以来一押しのシャイー盤が最近ではランク入りしたりしているのである。選者やまあその時のレーベルの勢いのようなものも関係しているのかもしれない。
 と云うことで、私はマーラーは相変わらず、バーンスタインの新、旧盤、ハイティンク、ショルティ、インバルなどが愛聴盤である。

 この六番ではバーンスタインを聴くことが多い(新旧とも)が最近ではハイティンクが気に入っている。さて、これらの愛聴盤と比べて、ベルティーニのマーラーの六番は実に破天荒なものと云わざるを得ない。これほど荒れ狂う、暴力的なマーラーと云うのは過去どの曲でも(マーラーの)聴いた事がない。この曲の一瞬の安らぎのアルマのテーマやここでは3楽章に置かれている緩徐楽章にも、無条件では浸れないほど落ち着かない。
 そして、外見的に云えば、これほど速く演奏されたマーラーの六番と云うのは初めてである。およそ73分である。おそらくもっとも演奏時間が長いのはバーンスタインの88分である。違いはなんと15分である。なお、私の聴いた限りでは(CD)80分を切る演奏時間はアバドとバースタイン旧盤である。それもわずかに80分を切る程度だ
 ベルティーニ盤の楽章ごとの演奏時間をバーンスタインと比較してみよう。なおカッコ内はバースタインの新盤である。
    1楽章16’35’’(23’00)
    2楽章13’18’’(14’15’’)
    3楽章15’39’’(17’20’’)
    4楽章27’53’’(33’10’’)
特に、両端楽章の時間差の大きさに驚くし、聴いてみて、そのすさまじさにたじろぐほどである。
1楽章の第1主題の軍靴が響くような音楽はすさまじく、この楽章の全体を支配してしまう。アルマのテーマがそれを優しく包み込もうとしても、一蹴されてしまうのである。恐るべき音の行進であり、洪水である。
 4楽章はさらに緩急の差が大きいので聴いていて、まるでジェットコースターに乗っているようだ。精神的な揺さぶりと、生理的な揺さぶりの相乗効果は、このマーラーによる英雄の生涯が、シュトラウスが描いた理想とはかけ離れたことを示している。要するに、この演奏はまるで死に急いでいる「英雄」を描いたように思える。ハンマーは一撃だけである。2つ目のハンマーは私の装置では聞きとれない。シンバルの音だけだ。当然3つ目のハンマーはない。終結前の絶望的な盛り上がりは、もう胸がいっぱいになってしまう。実に悲劇的だ。

 この曲の3楽章のアンダンテ・モデラートで、聴き手は慰謝を得ようと思うが、それすら許さないのだ。美しい旋律は2度波のように襲い掛かるが、最初の波は、油断をさせてくれない、それは不気味な低減のうなりとドラムの響きの強調を伴っているからだ、わずかに、2度目になって、やっと息をつける。
 2楽章はもう形容しがたい音楽だ。私の耳にはもう普通聴いているマーラーの響きとはあまりも違うので、受け入れられない。ベルティーニ46歳のライブ、当日の観客はどう受け止めたのだろうか?
なお、録音は思ったより良い。今日のライブ録音のような広大な音場は聴こえなくて、引っ込んだような音場だが、それなりにまとまっている。レコ芸でいえば90点だろう。

 なお、カップリングのマーラーの4番は6番から30年後だけに随分と演奏の雰囲気が違う。勿論4番そのものが持つ性格にもよるだろう。しかし全体に温和な響きは少々今度は生ぬるく感じる。

 しかし3楽章のあの一撃はためにためたものが解放された感があり、ベルティーニの高揚した声が聞こえる。この「ため」は自然なのか、人為的なのかは、受け方は聴き手によって異なるだろう。
 なおカミラ・ニールンドはつい最近映像で元帥夫人を聴いたばかりなので、印象深かった。彼女がマーラーの4番というのは声質からどうかとも思うが、思ったほど違和感がない。ただこの曲のソプラノはボーイソプラノ(バーンスタインの新盤)とはいわないが、女っ気を感じる声より、中性的な声の方がフィットするように思う。例えばハイティンク盤のシルヴィア・マクネアーのような。
 なお、これは新録音(2004)なのに、おそらくTVの音のための収録だろうか、特定の楽器のクローズアップが強くて、ホール全体のオーケストラのサウンドは味わえない。




2021年4月14日

3月になってやっと音楽会を再開した。3月23日に新国立でワルキューレを聴いたときの感動は忘れられない。今月に入っても6回も行くように予定ができてしまった。蔓延防止法のさなか、びくびくものだが、会食もやめ、ジムもやめ、ゴルフもやめているのだから一つくらいお目こぼしいただきたいと、仏壇と神社にお祈りをしている。

 さて、とはいえ、そういう不安定な心理状態の中で聴く音楽は矢張り少々気が散るので、結局音楽生活の中心は、CDを聴くということになる。ということで今回も「絶望的音楽三昧」少々書いてみた。今回のお題は弦楽四重奏曲である。

 私の音楽生活の中で、弦楽四重奏曲が入り込むのはそう早くない。20代30代は交響曲や管弦楽曲、そしてそのさなか1972年のイタリア歌劇団の「トゥーランドット」を聴いてから、一気にオペラにのめりこむようになった。その後渡米した後も、シカゴシンフォニーの定期を聴きながら、やはりオペラは忘れられず、リリックオペラオブシカゴというシカゴの常設(半年)劇場で多くの作品を楽しんだり、ニューヨークのメトロポリタンへ行ったり、ザルツブルグやルツェルンまで行って、カラヤンの追っかけをやった。そういう私だから、ついこのあいだまでは音楽生活の半分はオペラ、半分が管弦楽曲だったのである。

 弦楽四重奏曲にのめりこむようになったのは、そういうことで、多分50歳代の後半か60歳代に入ってか、さだかではない。ただきっかけは覚えている。それは毎年大みそかにベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中期・後期全曲の通しの演奏会があったのだ。それはいつから聞き始めたのかは覚えていない。ただ毎年聴くたびに、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴くのが楽しみになったのだ。隣の大ホールではN響だったか、同じくベートーヴェンの交響曲全曲をやっているのをしり目に、マニアックだなあとおもいつつ通ったのだ。
 今は、毎年年末には孫が来るので聴くことはできないが、私の音楽体験では、忘れられないイベントだったのであるが、いつしか、弦楽曲といえばシューベルトの八重奏曲とか、五重奏曲くらいしか聴かなくなってしまった。弦楽曲の代わりに聞くようになったのはピアノ曲だが、それはまた稿を改めよう。

 その年末の演奏会で印象に残った団体はエクセルシオール弦楽四重奏団で、チェロのみ男性で、そのほかはすべて若い女性。若い女性だから聴いたわけではなく、このような若い彼らがなぜあのもじゃもじゃ頭の男の、辛気臭い、弦楽四重奏曲を演奏するのか信じられなかったのだ。私もその当時はそれほど弦楽四重奏曲なんて、決して好きではなく、半分勉強の意味で、少々苦痛を感じながら聴いてきたのだ。このエクセルシオールはその後、この年末には欠かさず出ており、私は彼らが勉強するように、彼らの演奏を聴いて勉強してきた気分になった。th


 さて、家庭の事情でその音楽会から遠ざかり、それとともに、弦楽四重奏曲から遠ざかったのだが、ある日、やけぼっくりに火が付いた。NHKのBSでときどき、室内楽(弦楽曲やピアノや声楽)の演奏会のライブを1時間放送する。そこでこのエクセルシオールの演奏した、ベートーヴェンのラズモフスキーの一番を聴いた。久しぶりに聴いてなんてすばらしい演奏だと思った。1楽章のさっそうと登場する主題の素晴らしさ、緩徐楽章のヴァイオリンのすすり泣くような音、映像で見る弦楽四重奏曲は各演奏家たちの細かい動きがよくわかってとても面白かった。

 さて、それからもう一度気を引き締めて、弦楽四重奏曲を聴こうと決めた。今では一日の音楽のスタートは、いろいろな人の弦楽四重奏曲から始まる。

 ベートーヴェンももう一度勉強しなおそうと、ブタペストの演奏とアルバン・ベルク、それと中期の実だがジュリアード(1982)の演奏それこそとっかえひっかえ毎日聴いてきた。
dubstorerecordmart_449114この古いブタペストの録音は私にとって、ベートーヴェンのクァルテットの規範である。どうしてもこれと比べて聴いてしまうのだ。ラズモフスキーの3曲や後期の13ー16までの演奏はおそらく、永遠に残る名演だろう。録音シーンを見ると、左に1,2ヴァイオリン、右にヴィオラとチェロがいて、ほとんど対面状態で録音されているようだ、しかも彼らはお互いの呼吸が聞こえるほど密接になって演奏をしているように思われる。これは録音を聴いてもそうで、あまりに近接ぶりにこちらも息が詰まるようだ。

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そういう時はアルバン・ベルクの演奏を聴くことにしている。またジュリアードの緊張感あふれるライブ演奏も忘れられない。とくにジュリアードのラズモフスキー3番の緊張感は、終演後の聴き手の高揚と感激を大いに導く演奏である。

 さて、実は最近はまっている、弦楽四重奏団がある。それはキアロスクーロ弦楽四重奏団である。これも実はNHKのテレビでライブ演奏を聴いた。実にユニークな団体で、まず立って演奏する。勿論
チェロは台の上に椅子を置いて、座って演奏している。そしてもう一つの特徴はガット弦で演奏している。楽器は第二ヴァイオリンが1570年、その他の3人もいずれも1700年代の楽器を演奏している。同時代楽器と云える。ちなみにキアロスクーロというのは光と影と云う意味で、ロジャー・ノリントンに師事を受けているときに、「キアロスクーロを」、と指導されてこの名称を付けたそうだ。まだとても若い演奏家たちばかりである。第二ヴァイオリンが男性で、後は女性である。

 テレビで聴いたのはベートーヴェンの二番とメンデルスゾーンの一番、いずれもテレビを通しても、特徴のあるサウンドが聴ける。強弱・緩急・明暗を意識してつけているような気がした。

 さっそく、CDを買おうと思って、タワーレコードのサイトを見たが、中でも興味を引いたのはシューベルトの「死と乙女」であった。早速聴いてみたが、これはおそらく今まで聴いた「死と乙女」とは天地ほど違う。
 私はシューベルトの弦楽曲はカメラータトーキョーが発売している、ウイーン弦楽四重奏団の演奏を愛聴盤にしているが、このウイーンの演奏は、いかにもおおらかで、ゆったりとしていて、安心して聴いていられる演奏である。

 しかし4909346017740このキアロスクーロの演奏を初めて聴いたときにはのけぞるほど驚いた。1楽章の激しいアタックはどうだ。これがシューベルトかと思うほど、荒々しい。荒れ狂うシューベルトの魂が乗り移ったような、すさまじさ。有名な2楽章も全く情緒に溺れない。常にクールで無機質とは言わないが、楽器の生のままの音が、むき出しに出てくる。はてさて、これは困ったぞ。こんな「死と乙女」ありか?
 しかし、今日まで3日間毎日聴いているが、これは次第に胸に落ちてくる。シューベルトの音楽を再現させると本当はこうだったんではないかと云う思いである。それはあたかもノリントンがロンドンクラシカルプレイヤーズと演奏したベートーヴェンの交響曲全曲を初めて聴いたときと全く同じ印象だったのである。
 キアロスクーロの意味は、むしろ何も足さない、何も引かないということに他ならない。
 ということで、これから「死と乙女」を聴いて今日の音楽の一日をはじめよう。









  

2021年3月12日
今月の4日、三か月ぶりにサントリーホールで音楽を聴いた。電車に乗るときも、会場に入るときも、びくびくだったが、会場に入ると、なんてことはない、聴衆が制限されているだけで、後は至極普通の音楽会だった。65歳以上とおぼしき方も大勢いて、その仲間である、私もほっとしたのである。まあ油断は禁物、昨日の状況では、東京はまた増加の傾向だというから、不安がいっぱいである。2月3月はもともと音楽会が少ない月だが、これから4月に入ると回数が増えてくるので、どう選択したらよいか、悩むところだ。14日から相撲が始まるし、オリンピックの趨勢も関心事である。

 ということで今月はおそらく数回しか音楽を聴きに行かないと思うので、勢いCDでの鑑賞になるが、久しぶりにベートーヴェンを聴きたくなり、結局交響曲全曲を聴くことになった。通常はベートーヴェンを聴くときは、カラヤンなり、シャイーなり全集を聴くが、それではつまらないので、今回は、全曲全部違う指揮者で聴くことにした。さて、この時期どの曲をだれで聴くかと考えながら音楽を聴くのも楽しい。

 その前に、ベートーヴェンを久しぶりに聴こうと思ったきっかけを書こう。発端はシューベルトである。無性にシューベルトが聴きたくなったときに、最初に取り上げたのが八重奏曲。シューベルトを明日聴こうと思って寝床に入ったが、頭の中には中間の2楽章が鳴り響いて、そのまま寝入ってしまった。さて、翌日聴いたのは、迷いに迷って、ウイーン弦楽四重奏団を中心にした演奏だった。クレーメルか、ファウスト盤もお気に入りだが、今日はウイーンと決めていた。これは楽友協会のブラームスザールと云うところで録音したもので(1997)すこぶる響きが良い。久しぶりに楽しんだわけだが、シューベルトはこの編成のもとをベートーヴェンの七重奏曲からヒントを得ているので、ついでにそれもきいてしまえと、ベルリンフィル八重奏団の演奏を聴きだしたら、次から次へとベートーヴェンを聴きたくなった。

 そこでまた寄り道となった。ピアノ協奏曲が聴きたくなったのだ。そこで取り上げたのが新しいSACD録音、児玉麻里のピアノ、ケントナガノの指揮、ベルリン・ドイツ交響楽団の演奏。これは最新録音だけに実にフレッシュでまるでライブを聴いているよう。その流れで今度はヴァイオリン協奏曲をきこうということに相成った。イザベル・ファウスト、アバド、オーケストラ・モーツアルトの演奏だ。大体これは3日間の間の音楽の変遷である。どの曲を、だれで聴くかと云うのは、その時の気分で変わるものだということをここでは言いたい。例えばベートーヴェンのピアノ協奏曲は通常は内田光子で聴くのだが、なぜ児玉麻里にしたのか?ヴァイオリン協奏曲は通常はシェリングかハイフェッツ、バティアシヴィリで聴くのだが、なぜファウストか?その選択の理由は複雑で説明できない。わずか数秒の決断だが、頭の中はものすごく何かが動いているのだ。

 またまた余談だが、ベートーヴェンへ派生すると並行して、シューベルトのソナタを聴き始めているが、これは17番で止まって全曲まではたどり着けていない。結局17番を内田、田部、バレンボイム
の演奏で聴いて、この流れは止まった。なぜ止まったのか?それはおそらく21番を今は聴きたくないからだろう。17番のはつらつとした音楽で、とりあえず止めておきたかったという心理が働いたに違いあるまい。

 さて、やっとベートーヴェンの交響曲にたどりついた。
 ラインアップは次の通り

  第一番 ギュンター・ヴァント ベルリン・ドイツ・交響楽団
  第二番 ロジャー・ノリントン ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ
  第三番 ジョージ・セル クリーブランド交響楽団
  第四番 ダヴィッド・ジンマン チューリヒ・トーンハレ
  第五番 リッカルド・シャイー ライプチッヒ・ゲヴァントハウス
  第六番 エリオット・ガーディナー オルケストル・レヴォルーショナル・エ・ロマンティック
  第七番 カルロス・クライバー ウイーンフィルハーモニー
  第八番 サイモン・ラトル ウイーンフィルハーモニー
  第九番 ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリンフィルハーモニー

 これを4日間で聴きとおしたのだが、聴き終えてみるとこの選択に面白いことがあるのに気が付いた。イギリス人が3人もいるのである。打率3割と云うのはなかなかのもんだと思う。ただクライバーを入れれば独墺系が3人なので、バランスとしてはそうおかしくはないが、イギリス人は偉大な音楽家を産めなかったにもかかわらず、こういう再生芸術では、天才を生み出しているのが、興味深いことだ。この3人の演奏したベートーヴェンはドイツ人がいままで演奏してきたベートーヴェンとはまるでちがう。
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 ノリントンの演奏した二番を聴けば一目瞭然だ。このパンパン音が跳ねまわる音楽は今まで聴いてきた音楽とは違う。一言でいえば「やんちゃ」なのである。金管の強奏やティンパニの強打など、驚きの連続なのだ。若きベートーヴェンの哄笑が聞こえるようだ。
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 ノリントンと同じピリオド楽器の演奏のガーディナーはノリントンほどやんちゃではないが、ここで聴く「田園」はワルターやクレンペラーの世界とは違う。クレンペラーは3楽章の演奏をあの時代は農民は木靴を履いていたので、軽快に踊れないのだといったらしいが、ガーディナーはそういうことには執着しない、ひたすら、純粋に音楽に迫る。
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 ラトルはウイーンフィルだからモダン楽器である。彼の天才はモダンとピリオドのハイブリッドのスタイルを確立したところにあるだろう。今日の日本のオーケストラのベートーヴェンを聴くと、私に言わせれば、ほとんどラトルの亜流である。今回は八番を選んだがこれは全曲聴くべきである。
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 シャイーのベートーヴェンも過去の伝統的なスタイルとは随分と違う。それを世界で最も古いライプチッヒ・ゲヴァントハウスでやってしまうところに彼の天才を感じる。今回は五番を聴いたが、これは全曲聴くべきベートーヴェンである。ひたすら前進する、この音楽を聴くとベートーヴェンの新しい世界がそこにあるのだと感じる。彼のブラームスの交響曲全曲も同じ流れで、傑作盤である。

 しかしもう一人新しい世界を切り開いた指揮者がいる。それはアメリカ人のダヴィッド・ジンマンである。今日でこそベーレンライター版の楽譜での演奏は当たり前のようになったが、その先鞭をつけたのが、ジョナサン・デル・マールの校訂版で全曲録音したジンマンである。残念ながら今は廃盤になって聴けないが、これはベートーヴェンに関心のある方は必聴の盤である。この四番はなかでも名演だと思う、途中に木管に装飾音を吹かせたり楽しい。
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 クライバーが全曲を録音しなかったのは実に残念なことだと思う。しかし彼の残した四番、五番、七番はベートーヴェンの演奏史に永遠に残るだろう。これらの演奏を聴いて体が熱くならない人はいないだろう。まさに手に汗握るとはこのことだ。これはオンリーワンの演奏で、だれもまねできない。
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 ヴァントはブルックナー指揮者として名を成したが、ベートーヴェンやブラームスでも名盤を残している。この格調高い一番の演奏聴くとベートーヴェンの将来を見渡せる。格調高いといったが、ここには遊び心は全くない、ひたすら真摯にベートーヴェンを演奏しているという意味である。
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 カラヤンは生涯ベートーヴェンの交響曲全曲をステレオで3回録音している。ここで聴いたのは70年中期の彼の全盛期の演奏である。最初にベートーヴェンの全曲を買ったのがカラヤンの60年代の録音だから、もう50年以上彼の演奏を聴いているが、今もって最後に帰るのは彼の演奏である。毀誉褒貶がある彼の演奏だが、レコード芸術としてのレコードやCDの録音を彼ほど重視した指揮者はいないし、オーケストラホールでライブを聴く聴衆だけでなく、全世界の音楽ファンを意識して演奏をした初めての指揮者であるという意味で、再生音楽史に燦然と輝く。
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 最後にセルだ。彼のベートーヴェンの全曲はどれも素晴らしいが、とりわけ素晴らしいのはこの「英雄」である。炎のように燃え上がる後半の2楽章は圧倒的な感銘を受ける。

 さて、このほかまだまだ多くの名演奏がある。フルトヴェングラーがないという不満の声が聞こえるが、彼のあのモノラルの録音は、フルトヴェングラーの真髄の半分も表していないと思うので、レコード芸術としては不完全と云える。それゆえあえて外した。彼の九番、七番、五番は名演であることは言うまでもないことだが!
 最近になってクレンペラーを通して聴いたが、かれも独自の世界を作った指揮者だが、私にはいくつかの演奏はどうしてもついて行けない。ワルターもレコード芸術としては、彼の真髄を100%示し切れていない。

 新しい指揮者も次から次へ出てきている。雑誌のレコード芸術などを見ると聴いてみたくなるが、興味半分不安半分である。それだけベートーヴェン交響曲は底が深いということだろう。
 なお、オーディオ的に云うとカラヤンとセル、クライバーがSACD盤である。ライブもいくつかあるがいずれも録音としては云うことのないもの。ラトル盤、シャイー盤はとくに素晴らしい。

 さて、次はマーラー全曲演奏会を開いてみよう。〆

ライブに行けない絶望的な気持ちを綴っている。

 でも音楽は聴きたいからCDを聴くことになる。最近、ふとプレーヤーに載せるCDのジャンルが妙に偏っているのに気付いた。大体通常は一日2~3時間聴くが、オペラ1曲か、マーラーかブルックナー、そして小曲を数曲聴いて終わりになるのだ。
 しかし、この数日の音楽は以下の通りで従来とは随分とは違うので、改めてちょっと驚いた。これもコロナ禍の不安な気持ちの表れだろうか?ここから少しこの数日の音楽の旅を追体験してみたい。

 まずバッハの無伴奏パルティータ2番と3番、演奏は神尾真由子。この演奏は別稿でも書いたように、今までのバッハとは異なるアプローチ。ファウストのように舞曲を意識したともいえるが、それ以上にこの大輪が開いたような演奏は、あの気難しそうなバッハ先生の曲とは思えないほど、バロックだ。この曲たちを聴いていると、気分が晴れてくる。録音もSACDで浜離宮ホール音をいかした素晴らしいもの。

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 ヴァイオリンついでに聴いたのがイザベル・ファウストの弾いたフランクのヴァイオリンソナタ。ファウストと云う人はもう世界的なヴァイオリニストで私もライブでなんどか聴いていて、その素晴らしさを体験しているが、私には今一つ食い足りないところがある人でもある。それは決して鉄火のように燃え上がらないことだ。しかしこのフランクは初めて聴いたときに驚いた。ものすごい熱気である。この演奏を聴いて改めてフランクのソナタの情熱を感じた。
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 ただ今回聴いて最初に聴いたときほどの熱気は感じなかったのは不思議だ。そこでべつのCDを取り出した。

 この曲は昔はこの人の演奏しか聴かなかった。それはチョン・キョンファである。1975年の古い録音だがファウストを聴いた後でも全く色あせていない。彼女の熱気は相当なもので、少々辛気臭いフランクの曲が別のように聴こえる。ピアノはルプー、この日はフランクを2回も聴いてしまった。
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 さて、もうひとつファウストには気になる演奏があるので聴いてみた。それはシューベルトのファンタジアである。この曲はかつては骨太のクレーメルとアファナシエフの演奏ばかり聴いていたが、ファウストの評判をきいて、早速聴いてみた。あれはもう2年くらい前だろうか、聴いてみて全く覇気がない演奏でがっかりした。即お蔵入りとなった。繊細感はあるが、シューベルトの情熱が通じない。
しかし、今回改めて取り出して聴いてみたが、これは実に素晴らしいと再発見した。フランクは最初良かったと思ったが、今回聴いて食い足りないと思った反面、このシューベルトは全く別印象なくらい今回の演奏が素晴らしく聴こえる。その繊細感は圧倒的であるが、起伏の大きさに驚き、スケール感に目を見張る。
なお、ピアノはメルニコフである。

 シューベルトでもう1曲。それは弦楽5重奏曲である。亡くなった年に書かれた曲の中の一つ。3つのピアノソナタも素晴らしいが、この弦楽5重奏曲は聴いていると胸苦しくなるほど、シューベルトの心が感じ取れる。アルカント弦楽4重奏団にチェロを加えた演奏が今の愛聴盤。4楽章以外はすべて音楽は明と暗が描かれる。明るくなったと思ったら、荒れ狂ったり、打ち沈んだり、こころの変化が感じ取れる。そういうように聴きたいと思ったら、このアルカントの演奏がベストだろう。しかし4楽章は舞曲風の明るい音楽で締めくくられているので、聴き手の気分を解放してくれるのだ。
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 さて、またピアノが聴きたくなった。モーツァルトのピアノソナタを何曲か聴いた。6番とか9番とかまあそんな曲たちである。演奏は内田光子。もう何年も彼女の演奏聴いていて今もって全く飽きない。録音も古くなったが、イギリスの古いホールで録音していて、その響きが素晴らしく、オーディオ的にも満足だ。情感あふれるという言葉かふさわしいだろうか?それが重苦しいという人もいるだろうが、最初の音が鳴っただけでもう彼女のモーツアルト世界である。
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ついでにピアノ協奏曲も23番を聴いた。演奏は内田光子、この曲は編成は小さいが、実にチャーミングな曲で、今モーツアルトのピアノ協奏曲と云えばこの曲を聴く。この曲を聴いて気分が浮き浮きしない人はいないだろう。ファゴットなど木管楽器の沸き立つ部分も素晴らしい。
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ついでにもう一つモーツアルト。田部京子と下野竜也のコンビの演奏。20番と21番のカップリングだが、私は21番の演奏の方が好きである。この前の曲の20番に比べると随分と世界が違うが、心が癒されるのはこちらの方だ。zaP2_G7295889W

 モーツアルトが続いたのでショパンが聴きたくなった。zaP2_G8021146W
日ごろは24の前奏曲はアルゲリチと同じブエノスアイレス生まれのイングリッド・フリッターと云う人の演奏を聴いている。それはリン・オーディオの素晴らしいサウンドに圧倒されたからである。もちろんSACD盤である。この豊かさと輝かさとが両立した録音を聴くともうライブはいいやとも思わせる。特にピアノのライブはこのごろ大ホールで演奏される傾向があるのでどうしてもサウンド的には大味になる。紀尾井とか浜離宮で聴くのとは随分と印象が違う。
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まあそれはどうでも良いがとにかくこの録音は素晴らしい。演奏はおおらかなものでゆったりと聴くショパンもいいなあと思う人にはおすすめ。しかし今回はどういうわけだか、古いアルゲリチの演奏を聴いた。昔はこの演奏ばかり聴いていた。おそらくこれ以上の演奏はまず現れないだろう。24曲をあたかも一つの連続した音楽のように弾いて行く。抒情性と豪快さとを併せ持った稀有なピアノが聴ける。これはいやされるというよりすかっとするといって良いだろう。

 最後は歌が聴きたくなった。EMIに録音したフランコ・コレルリのオペラのさわり集。これで聴くコレルリはもう唯一無二としか思えない。「清きアイーダ」から始まって「誰も寝てはいけない」までの18曲。特にマンリーコ、カバラドッシ、カラフについては彼に対抗できる人は今日の世界では皆無だろう。このすかっとした気分で不安はぶっ飛ぶ。724356653320




 

2020年1月7日

とうとうコロナ第三波がとどまるところを知らなくなった。そしてついに非常事態宣言が発令される。ただし、1都3県が対象である。最大の自粛対象は飲食業界だが、その他では私が特に関心を持っているのはイベント関連である。
 白鵬がコロナにかかった、相撲協会ははたしてこのまま初日を迎えられるのか、定員を1/2に制限したホールは今発券しているチケットの数との整合性はどうか?夜八時以降の外出制限に対して、七時開始のオーケストラコンサートはどうするのだろうか?要するに決めるのはあなたのような非常事態宣言と云うのは名前だけのジェスチャーのような気がしてならないのだが?こんな対策では横ばいが良いところだという研究もあり、政治が危機管理に絡んでいない、無責任さが嘆かわしい。ますます絶望的音楽三昧に没入せねばなるまい。

 さて、昨日はカルショーとショルティについて書いたが、今日はカルショーとカラヤンである。カラヤンはEMIとグラモフォンとの契約の中間期にDECCAと契約を結び、ウイーンフィルと組んだ多くの演奏をカルショーのプロデュースのもと録音している。一部エリック・スミス(指揮者のハンス・シュミット・イッセルシュテットのご子息)ともかかわっている。
 全くの余談だがエリック・スミスと内田光子は後年ウイーン楽友協会ホールでシューベルトのピアノ曲集をCD八枚組で録音している。このピアノの音の素晴らしさは、カルショーの薫陶を得たスミスの力によるものだろう。内田の録音に際するスミスへの信頼も相当なものだったらしい。

 カラヤンの短いDCCAの時代のウイーンフィルとの録音はオーケストラ曲については九枚物で「KARAYAN LEGENDARY  DECCA  RECORDING」というタイトルを付けて発売されている。ここでの演奏については詳細は延べないが、ブラームスにしても(一番、三番)、ベートーヴェン(七番)、ドヴォルザーク(八番)そしてリヒャルト・シュトラウスの作品にしても後年なんどもベルリンフィルと録音されているが、私はそのどの演奏もこの時代のカラヤンを大きく凌駕しているとは思えない。むしろこの時代の実に生き生きとした演奏、大げさに構えない直截な演奏は何もにも代えがたいカラヤンのまさに遺産といえよう。
 カルショーの本「レコードはまっすぐに」から一つだけ逸話をを紹介すると、カラヤンは最初にカルショーと組む曲を「ツァラツーストラはかく語りき」にしたいといったとか!今日ではこの曲はポピュラーになっているが、その当時は指揮者が積極的に録音したい曲ではなかったそうだ。結局録音する事になったが、問題は録音会場のウイーンゾフィエンザールにはオルガンがないことだった。まあこれにカルショーはかなり苦労するが結局カラヤンも大満足だったらしい。後年この曲がスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」の冒頭のシーンで採用された、一躍有名になり、ベストセラーになったらしい。まあこういう話が「レコードはまっすぐに」にごまんとあるので、読み始めたらもう止まらなくなる。

 さて、カラヤンはDECCA/カルショーと組んで、素晴らしいオペラレコーディングを残した。これらはカラヤンの演奏でも代表作だし、これらの作品の決定盤ともいえよう。なお、録音技師はほとんどがゴードン・パリーであり、ワーグナーなどのオペラなどで培ったDECCAのオペラの録音の思想、つまりカルショーの思想だと思うのだが、ト書きの音化を達成しようとする、ソニックステージと云う技術が至る所で生きている。
 まるで話は違うがメトロポリタンオペラがルパージュの演出の下での、「リング」の公演はト書きの映像化であると云うのが自論である。オペラ演出がト書きから逸脱するのが当たり前になってきているこのオペラの世界で、ルパージュはまるでト書きにもどれと主張しているように感じた。これは余談。

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 カラヤンがDECCAと最初に録音したのはヴェルディの「アイーダ」である。オーケストラはウイーンフィル、アイーダはテバルディ、ラダメスはベルゴンツィ、アムネリスはシミオナートと強力な布陣。1幕の恋のつばぜり合いから2幕の大行進曲、3幕の冒頭の神秘的な音楽、地下法廷の描き方、そして4幕の2重舞台。地下牢とアムネリスの居室の場面、などいずれもDECCAの録音が生きていて、あたかもオペラを見ているように人物が配されているのがわかる。これが1959年の録音とは全く信じられない。カラヤンは後年フレーニやカレーラスと再録音しているが、歌い手はともかくとして。カラヤンの指揮の若々しさ、その大仰にならない、直截さと云うべきものが何もにも代えられない。今もって、この演奏を超えるものはない。この作品の録音に際してのアモナスロ役についての逸も実に面白い。

 1960年にこのコンビが世に出したのが、ヴェルディの「オテロ」である。
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オテロはマリオ・デル・モナコ、デスデモーナはテバルディ、イアーゴはアルゴ・プロッティの布陣だった。当初はイアーゴはバスティアニーニだったようだ。しかし彼は演じる意欲はあったが、初役でもあり(舞台での経験はないようだ)、勉強不足もあり、プロッティに交代となったという話が残っている。バスティアニーニだったらどういうイヤーゴだったろうか?聴いてみたかったなあとも思うが、今残っているこのレコードの燦然たる輝きは永遠に続くだろう。アイーダ同様、カラヤンは後年EMIで録音するが、歌い手も録音もはるかに及ばない演奏といえよう。時代ははるかにさきなのに、録音ですら1960年盤に負けているということは、プロデュース力の差と云わねばなるまい。たとえいくら良い歌唱であっても、録音がお粗末であれば、それはレコード芸術として、トータルで価値が低くなると思うのである。ここでのカルショー/パリーの録音でのきめ細やかさは、私たちが舞台を見ているそのステージの音を再現している。
 余談だがカルショーはここでもオルガンで苦労する。「オテロ」の冒頭の8分も続く超重低音の持続音である。幸いうまくいって、カラヤンも気に入ったそうだ。後にそのテープを実演で使ったら、ホールのスピーカーが吹っ飛んだそうだが、オルガンの低音おそるべし。

 1962年にはプッチーニのトスカを録音する。レオンタイン・プライスのトスカ、ディ・ステッファノのカヴァラドッシ、タッデイのスカルピアと云うこれも強力な布陣。珍しいアメリカ人のしかも黒人のタイトルロールであるが、聴いた印象では違和感は全くない。見事な歌唱である。カラヤンの後年のリッチャルリよりもはるかにトスカらしい。ここでの録音の素晴らしさは一言でいうと絵画的といえよう。特に3幕の冒頭など音で聴く絵画の趣。鐘のもの悲しい音がなんとも悲しみを誘う。また一幕のスカルピアが登場してからの人物の動き、テデウムから最後までのスカルピアの動きが舞台上のように手に取るようにわかる。全く古さを感じさせないソニックステージの威力。人為的な音作りは今日ははやらないようだが、レコード芸術としてはこうあるべきだろうと私は思うのである。
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 1963年にはビゼー「カルメン」を録音する。プライスのカルメン、フレーニのミカエラ、そしてコレルリのドン・ホセである。コレルリはアンナ・モッフォとも共演している。ここでのドン・ホセは彼のシッパースと組んだカラフ、マンリーコと並んで最高の歌唱を聴かせる。オテロのモナコに敵がないように、これらの役柄に対してコレルリの敵はいない。
 今日のテノールで代表されるのはカウフマンだろうが、彼の演じる役は非常に演劇的にきめ細かくて、芝居を見ているうえではよいだろうし、そういう意味では最近の演劇的な演出にあっているのだろうが、しかし声のみの魅力を取り出した時に、いつも物足りなさを感じる。
 先年、来日した際のリサイタルを開いたが、その時のラダメスの「清きアイーダ」などは実にきめ細かい歌唱だろうが、しかしオペラの中でこんな歌を聴かされて、アイーダを口説けるのだろうかと私などは心配になってしまう。
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 カラヤンはカルメンも後年再録音している。アグネス・バルツァがカルメンを歌ったように記憶しているが、カラヤン自身63年に録音したものと比べて果たして、達成感があったのかどうか?古いものは何でもよいというわけではないが、しかしDECCAのショルティの演奏、カラヤンの演奏を聴くと、彼らがその当時如何に燃焼しつくした素晴らしいパフォーマンスを演じたということを痛感するのである。果たして今日の演奏家たちはこれだけの燃焼をもって音楽を録音しているのだろうか?新しいレコードを聴くたびにそう思うのである。

 なお、昨日の「リング」、そして「オテロ」、「カルメン」はいずれもSACD化されてさらに輝かしいDECCAの音が聴ける。

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