先日ツタヤからレンタルした「WORTH・命の値段」と云うアメリカ映画を見ていたら、主役の弁護士役のマイケル・キートンが家人の寝静まっている部屋で、ヘッドフォンでオペラを聴いているシーンがあった。彼は9・11の賠償基金の管理委員長であった。重責に心身とも押しつぶされそうな主人公がしずかにヘッドフォンでオペラを聴く。
なんとも素敵なシーンで、疲れのにじみ出たキートンの全身が、音楽を聴いていると、緩んでゆくように感じられた。彼がイタリアオペラが好きで、現代音楽は苦手と云うのは後に、被害者の一人(スタンリー・トゥッチが演じる)との会話でわかってくる。彼ら二人は友好的ではなかったが、プッチーニ好きということがわかり次第に打ち解けてゆく。
音楽好きにとってはなんともいい場面で、よし私ヘッドフォンで深夜に音楽を聴いてみようと思い立った。いまの私の部屋は、隣室とも近く、深夜に音楽を聴くことはかなわない。たまににどうしても音楽を聴きたいことがあるのだが、ままならなかった。
私はかつてかなり高級機のヘッドフォンを持っていたのだが、音が耳にへばりつくのが嫌さに使用を諦めた経緯があった。もう20年くらい前の話。
そこでもう一度聴いてみようと思い立ったわけだ。世の中ワイヤレスの時代、私のオーディオ装置につなぐには有線でなくてはならないので、制約はあった。例えば私の愛機、B&Wのスピーカーと同じメーカーのヘッドフォンを探したが、カタログで見ても全部ワイヤレスで仕方なく他をあたってみた。AKGなど評判は良さそうだが、手間暇が面倒なので、私は昔使っていたォーディテクニカの中級機に決め打ちして、ATH-A900Z(映像参照)と云う機種にした。ビックカメラで2万円強のお値段。
さて、早速いろいろ聴いてみた。当然ながら耳に振動板が装着されているようなものだから、音場は耳の周りになるのは仕方がない。ただ正しい装着とボリュームの設定で、音源によっては、眼前に音場が開けるのが体験もできることも分かった。
例えば、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」ベーム指揮、バイロイトライブ1967年は、最初音量をかなり上げて聴いていたが、耳のそばでトリスタンやイゾルデが叫ぶのでちょっと困ったなと思って、ボリュームを通常のスピーカーで音楽を聴いているボリュームに落とすと、あれほど耳にへばりついていた音がほぐれてほぼ目の前(スピーカーで聴くとは違うが)に音場が広がったではないか?
2幕の2重唱など、最初はトリスタンとイゾルデは離れて歌っていたが、次第に二人は近づいて、舞台中央少々右のベンチ(確かウイーラント・ワーグナーの演出はそうなっていたように記憶している)にすわりクライマックスに向かう。そういう動きが鮮明に聴きとれる。
また、比較的新しいクルレンティス/ムジカエテルナ盤によるモーツァルトの「コシファントゥッテ」はそうはいかない。音は頭の周りをぐるぐる回るようで慣れないとおかしくなりそうだが、これはこれで面白かった。何よりも古楽のぷちぷち切れるような音がクリアに録音されているのがよくわかるし、歌い手の歌唱もノン・ビブラートということがはっきり聴きとれる。全体に細部まで音楽が聴きとれて、まあ極端に言えば、このオペラを顕微鏡で覗き込んでいるというような音場体験である。これもちょっと音量を落とすと、全体に音楽が落ち着いてきて長時間聴きこめる。
最近購入した、ブロムシュテットのベートーヴェンの旧盤(ドレスデン盤)で「英雄」を聴いたが、これもルカ教会の雰囲気を味わおうとすると、ボリューム設定にはひと工夫がいるが、程よい音量で聴くとスピーカーで聴く以上の鮮明度でベートーヴェンが迫ってくる(SACD盤)
ヨッフムのシングルレイヤーの「カルミナブラーナ」もスピーカーで聴くと録音の古さが出て、ヴァイオリンが少々固いが、ヘッドフォンで適正なボリュームで聴くと、弦のしなやかさが気持ちよくなる。
全体にこのヘッドフォンは、硬さと云うものをほとんど出さない。すべて滑らかにしてしまう。それは多分本来の音源とはちょっと違う加工された音かもしれないが、深夜静かに聴くには何の不足もありやせん。
ビートルズの最高傑作「アビーロード」のボーカルの明晰さ、ビルエヴァンスのピアノの軽やかさ、いずれも古い音源だが、それをまったく感じさせない。これはまさに私のために深夜用(テクニカさんごめんんさい)に作られたヘッドフォンだ。決め打ち作戦大成功。多分エイジングが進めばもう少し高音の繊細感が出てくるし、低音も充実してくるのではあるまいか?
なお使用アンプはアキュフェーズC-2810,CDプレーヤーはDP-700
以上