ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

カテゴリ: 室内楽、器楽

2022年10月4日(於:浜離宮朝日ホール)
ルートヴィヒ・チェンバー・プレイヤーズ・シュトゥットガルト来日公演

J ・シュトラウスⅡ(ウッキ編):ワルツ「ウイーン気質」
J.M.シュタウト:Yattsu

シューベルト:八重奏曲


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終演後コントラバス奏者がマイクを握り神様のような「シューベルトの八重奏曲」を演奏出来てうれしいと語っていたが、まさに今夜の演奏は、この曲を演奏する喜びに満ち溢れていた演奏だった。特に弦楽部、クラリネットにそれを強く感じた。

  この団体はルートヴィヒと云う冠があるだけにもともとシュトゥットガルト放送交響楽団のメンバーがベートーヴェンの七重奏曲をひきたいということで結成されたらしい。しかしシューベルトの八重奏曲も演奏したいということから、第二ヴァイオリンを加えて8人の団体となり、名称も現在の呼称に変えたようだ。

  と云うことで当然今夜の目玉はシューベルトの八重奏曲。この曲は私がまだ現役のころ、とてもつらいことがあって、そのころこの曲を知ったのでいまでもこの曲を聴くと胸がいっぱいになる。まだ27歳の青年がこのような音楽を書くということは信じられないくらい。、素晴らしい音楽の塊である。今夜の演奏は68分、まあ大体どの演奏もこのくらいだが、その長さは全く気にならない。美しい音楽が詰め込まれているのである。
  今夜の演奏の楽器配置であるが左から第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、そして中央にチェロとコントラバス、そしてその右にホルン・ファゴット・クラリネットとなるが、左の3つの弦楽器と右の3つの管楽器はほぼ対極となり、全体では鶴翼のような配置になる。つまり低弦は全体のベースとなり、高弦と管楽器がまるで対話をするような趣で音楽が進む、もっとざっくりいえば掛け合いのような感じといえよう。
  特に2,3,4,5楽章での第一ヴァイオリンとクラリネットとの掛け合いは聴きもの。才気煥発さを感じさせる第一ヴァイオリンに対して、少しひなびたクラリネットの音色がうまく絡まり、極上の音楽が聴けた。中央の低弦部の支えも充実。ホルンは1楽章は少々不安定だったが、後半は盛り返し、6楽章は盛大に盛り上げて華やかにこの音楽を締めた。ファゴットは地味な楽器だが、シューベルトはちゃんと焦点が当たるように書いており、その部分に来ると、奏者がぬーっと楽器とともに前面に登場するのがおかしかった。どの楽章も良かったが、2,3,4楽章が弦と管楽器のバランスがよくたまらなく美しかった。
  終演後の拍手もシューベルトのこの曲をみんな好きなんだなあと思わせる、月並みに云うと、温かい拍手。
  アンコールは1曲目と同じくシュトラウスの「心浮き浮き」と云う曲。手拍子も加えて大いに盛りあがった次第。楽しい一夜だった。

  1曲目の「ウイーン気質」は編曲のせいか、管楽器が埋没してしまいあまり面白くなかった。

  2曲目のYattsu(八つ)はこの団体の委嘱作品。本邦初演である。コロナで来日がずれたので世界初演にならなかったという。シュトラウスとシューベルトとは世界の違う音楽だから同列には楽しめない。各楽器の妙技性を引き出す音楽という趣らしいが、聴き手の立ち位置は難しい。
  激しく、暗い音楽が前半でそれが次第に柔らかくほぐれてゆくさまが聴くポイントなのだろうか?
作曲家も登場して拍手をもらっていた。

                                     〆

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今年の3月24日が第一夜の河村尚子による、シューベルト・プロジェクトの第二夜である。9月13日、紀尾井ホールにて。

  3月は18番、19番のソナタを中心にしたが、今回は、最後の20番と21番を中心のプログラムである。ピアノはベーゼンドルファーとプログラムに記載があり、こだわりがあるのだろう。

  さて、今夜のプログラムは当然20番のソナタと21番のソナタが注目の曲だと思うが、かなり衝撃を受けた演奏だった。これは従来私が持っていたイメージを修正せざるを得ない演奏だったといえよう。そしてそれはおそらく河村自身の志向するシューベルトの世界なのだと思う。

  後先になるが21番から、この曲は1楽章はいつも思うのだが、どこか茫漠とした荒野に一人取り残されたような気持ちにさせられる。2楽章も悲しみの極みが中間の温かい音楽に救われる。
  てな具合でいつも自分で物語を作って聴いていたような気がする。しかし河村の演奏は1楽章はそういうムードと云うよりも、明るく楽しい歌いたくなるような音楽なのだ。2楽章も悲しみよりも音楽の歌が先に立ち、何か歌詞はないけど、口ずさみたくなるのだ。中間の明るい日差しを感じる音楽もスキップを踏んで、歌いながら歩きたい、そういう音楽だ。つまりここでは私が勝手に物語を作っていた世界ではなく、シューベルトの「歌」の世界が描かれているのだと思う。全体に歩みが早く、感傷的になるような雰囲気ではないのだ。

  20番も衝撃的な演奏だ。ここはうって変わって、ベートーヴェン的世界が描かれている。もともとシューベルトもそういう世界を見てこの曲を書いたらしいが、河村はそれをさらに推し進めて徹底して演奏している。聴いた後とても疲れたのはそういうこともあるのだろう。
  ベーゼンドルファーの威力もあるのだろうが、1楽章冒頭の壁のような巨大な音楽にまず圧倒されてしまう。主題が細胞のように細かく分散しながら、続いて歌謡風の2主題があらわれるが、これもどこか詰襟を着ているように、歌に浸れるようには聴こえない。中間の展開部の荒れ狂うさまはまさにベートーヴェン。
  2楽章の悲愴感漂う演奏は、いつも聞く音楽のレベルを超えたものだ。ベートーヴェン的世界のように苦悩と闘争をこのシューベルトの20番の1~2楽章で再現しようとしているのだ。
  3楽章で休息と云うわけにいかなくて、聴き手の耳を休ませてくれない。それは中間部の激しい音楽があるからだ。
  4楽章になっておなじみの(ソナタD537でも使われている主題)歌謡風の音楽が出てきて、やっと息がつける有様だ。これはベートーヴェン的に云うと勝利の凱歌に当たるのだろうが、シューベルト的にいうと、このあたかも空を飛翔するような音楽がそれにあたるのだろう。最後にまた1楽章の冒頭にすごまれて、全曲を終える。まあこの曲でこんなに疲れたのは初体験。まあすごい演奏だった。

  今夜の演奏会、2つの大曲を使って、ベートーヴェン的なものとシューベルト的なものとを演じ分けたが、これは本来シューベルトがすべての曲に内包しているものであり、それを河村氏が塗り分けたということだろう。

  演奏時間をみると20番は42分強、21番は40分強であり、これも異例である。多くの大家の演奏時間を見ると、ほぼすべて21番の方が演奏時間が長いからである。
  内田光子は20番が41分、21番が44分(2018年のライブ/サントリー、では46分)
  ポリーニは38分、40分
  バレンボイムは40分、43分
ライブだが、アファナシエフは50分(2014年6月25日)
  演奏時間だけで何がわかるのと云われそうだが、これだけ差があると河村氏の今夜のアプローチの「意思」を強く感じる次第である。

  さて、そのほかの曲は:
      楽興の時三番
      「3つの小品」より第三番
      即興曲集 D899より三番である。
  即興曲集D899の三番を21番のソナタの前に持ってきたことは、河村の今夜の演奏の設計図のミソであろう。この3曲では3つの小品がベーゼンドルファーの威力も相まって、すこぶる豪快な演奏になっている。20番への前奏曲だ。これもそう狙っての配置だろう。

  疲れ果てアンコールはあんまり耳に残らなかったが楽興の時より六番と七番。

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2022年4月12日(於:東京文化会館・小ホール)
アンドレアス・シュタイアー/ピアノ・リサイタル 
  オール・シューベルト・プログラム

4つの即興曲 D899 より第一番
楽興の時 D780 全曲

ピアノソナタ第21番

友人が行かれなくなりいただいたチケットで鑑賞する。今年の春祭はシューベルトが多いように感じるが何かのイヤーなのか?偶然なのか? シュタイアーの演奏も関心はあったのだが、「ローエングリン」と「トゥーランドット」で予算オーバーになったのであきらめていた。

  シュタイアーと云うと古楽とかチェンバロのイメージがあるが、モダン楽器での演奏活動もしているらしい。そういう経歴の人が、シューベルトをどう料理するのか、興味深かった。

  全体を聴いて感じたのは、私にとっては産湯のような内田光子のシューベルトとはえらい違いだということだ。正直随所で面食らうところに遭遇してしまって、そのたびに頭と耳がロックされてしまうので、正直正しく音楽をとらえきったかと云うと不安である。あたかもパッチワークのパッチ一つ一つが耳に残った演奏会と云えようか?

  即興曲は最初の面食らいで正直あれよと云う間に終わってしまった。楽興の時は随分といろいろなところで引っかかった。例えば一番有名な3番、冒頭おなじみの主題だが、これがなんともとつとつとして、なんだか、つっかえつっかえ演奏しているようで、どう云う意図なのかよくわからなかった。

  面白かったのは後半の3曲で4番5番はバラードのような劇的な装いが新鮮で、この演奏は気持ちよかった。。
  同じメロディの繰り返しのような6番、いつもはつまらないので、CDでは飛ばしてしまうのだが、今夜の演奏は実に変化に富んでいて、惹きつけられた。強弱の変化の妙だと思うのだが、新しい発見をした。全体に低音をぶんぶんとうならせたピアニズムでこれも今まで聴いてきたシューベルトは随分違う。「楽興の時」は有名曲なのだが、私はどうも苦手で、なかなか全曲を通して聴けないが、今夜はとても印象的な演奏で楽しませていただいた。

  そういう意味でいうと21番も印象は異なる。この曲は特に1楽章2楽章はシューベルトの内面でいうと、光と闇が描かれていると思う。3楽章4楽章も中間のほんの短い音楽の表す闇の世界と前後の音楽の対比が聴きもののはずだ。
  シュタイアーのピアノはそういう光と闇の対比と云うのは、ひとまずおいておいて、ピアノの音色の変化を楽しみましょうという雰囲気で、変に深刻ぶらないところが気に入った。1楽章の茫洋とした音楽はそういうようには聴こえず、むしろ明るく快い、そして当然明るい第2主題もキラキラとして気持ちが良い。そして終始耳に残るのは、低音部の重厚な鳴らし方である。

  3,4楽章はそうはいっても、それぞれの中間部の沈み込む音楽は、全体のムードに一瞬影を落とすがすぐ元に戻るので、目くらましにあったような気分。全曲およそ40分、いたるところで発見があり、日ごろ聴いている内田、ポリーニ、バレンボイムらとは一味違うシューベルトだった。

  アンコールは1曲あり。モーツァルト、ピアノソナタ第10番、第2楽章

2022年3月24日(於:紀尾井ホール)
河村尚子/ピアノリサイタル:シューベルトプロジェクト第一夜

即興曲D935/第三番
ピアノソナタ第18番「幻想」

3つの小品より D946 第一番
ピアノソナタ第19番

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河村も紀尾井ホールも久しぶりだ。河村は2013年の読響定期のラフマニノフ二番以来、紀尾井は2017年「徳永二男と仲間たち」チャリティコンサート以来で、会場に入るとなんだかとても懐かしい気分。
  木の壁面を持つ中規模のホールは都内ではいくつかあるが、紀尾井ホールは屈指だろう。そのほかでは朝日ホール(浜離宮)や凸版ホール(飯田橋)が好きだ。大体、ピアノや室内楽を大ホールで聴くのが嫌で、どうしてもこれらの音楽は中規模のホールで聴くことになるが、外来の演奏家はギャラが高いからこんなキャパの小さなホールではけっして演奏してくれない。内田光子でもサントリー大ホールになってしまう。大ホールで聴くピアノの音はオーディオ的にいうとボリュームを絞って聴くという印象が強い。まあオーケストラとの協奏曲だとばりばり弾くので決してホールに負けはしないが、今夜のようなプログラムやモーツァルトなどは、やはり中規模以下のホールで、じっくりと聴きたいものだ。

  外来の演奏家でもそういう認識の人はいて、例えばカルミニョーラなどはそうである。彼がサントリーの大ホールで演奏したのは少なくとも私は聴いた事がない。大体、紀尾井か凸版である。そういう人もいるのだ。10数人のバロックオーケストラでは大ホールを鳴らせない。
  別の話だが、ビオンディが来た時にはオペラシティでやった。あそこならいいだろうと思ったらそうではなく、20列目以降は音が遠く全然さえなかった。最も友人は2階席はとても音が良かったといっていたが。
  でもこのホールでポッペアの戴冠をバロックオーケストラが公演した時に、前から8列目で聴いたが、それは素晴らしかった。だからオペラシティでも小編成やピアノの場合は前の方の席を確保しなければならない。

  くだくだと余計なことを書いたが、今夜の河村のシューベルトは今秋にも第二夜として演奏されるという。シューベルトと云うと、田部京子がずっと演奏してきたが、最近はネタ切れで、その時代の音楽家を混ぜて演奏し始めたので、聴きに行くのをやめた。ということで今夜の河村のオールシューベルトプログラムは大いに楽しみにしたコンサートだった。
  そして、期待にたがわず、素晴らしいシューベルトを聴かせてくれた。彼女の演奏を読響でテミルカーノフの伴奏で聴いたとき、さっぱりした音だなあと云う印象だった。ただ静かな部分での演奏はとても印象深かった。(2013年)

  今夜久しぶりに聴いて、さっぱりとしたとは思わなかったが、冗長な部分を切り捨てた、きっぱりとした演奏のように感じた。シューベルトの演奏はおそらくとても難しかろうと思う、何かつかみどころのないような、茫洋な部分があったかと思えば、妙に親しみやすい歌謡的な部分があったりする。どちらを取るかによっても違うし、例えば茫洋な部分を強調すると、音楽はいくらでも拡散して、例えば21番のソナタなどは1時間くらいかかってしまう。その兼ね合いが勝負だと思うが、私の印象では河村はその茫洋な部分を「きっぱり」と処理していると思う。

  例えば今夜の19番のソナタの1楽章の展開部の音階を駆け上がる部分、なんとも異様な音楽としか言いようがなく、ここをサーっと走るような演奏だと、何か取り残されたような虚しい気分になるが、河村の演奏では、幾分テンポを落として、突っ走らない。要するに私のような聴き手の耳と同期するテンポなのである。ちゃんとついてきてる?と云うわけだ。その結果どうなるかと云うと、かなり耳元でささやかれるような、妖しげな雰囲気の音楽になり、これは一種独特の雰囲気である。こういう演奏は始めた聴いた。
  もう一つ19番でいうと、4楽章のタランテラ舞曲の取り扱い、ここも多くの演奏ではぱりぱりと走るが、河村の演奏は、そういう演奏よりほんのすこーしだけゆるやかである。その結果これは本当に舞曲だなあと改めて感じさせてくれるのである。しかもこの演奏はどう転ぶかわからない危うさも感じさせまさに手に汗握る演奏だった。
  舞曲ではないが、アンコールで演奏された即興曲のD935の2番は超有名曲で誰でも知っている曲だが、私は同じ即興曲の1番にいつも影響された、なんとも寂しげな音楽に聴こえるのだが、河村の演奏だとなんだが、舞曲風に聴こえ、とても楽しくさえ聴こえるのである。これは面白い演奏だった。

  プログラムを見るとソナタの前に前奏曲のように小品が用意されている。それはけっして意味のないことではあるまい。例えば18番「幻想」の前には即興曲の3番が置かれている。これも有名な曲で5つの変奏曲からできている。今夜の演奏はどの演奏も素晴らしかったが、私は1番目3番目、5番目の変奏が「幻想」を先取りしているようなムードつくりをしており、まさに前奏曲となっている。

  18番「幻想」では1楽章の演奏には驚いた。冒頭の主題の提示はとつとつ/ぷつぷつとして、なにかもぐもぐと意味不明の事を言っているような雰囲気だが、それが反復になると素晴らしく巨大な主題に成長して、まるで、舞台の上に音が立ち上がるように聴こえる。その音の壁には誠に圧倒されてしまった。
  3楽章はメヌエットでなくスケルツオのような強い音楽を聴かせ、中間のトリオは優しく聴かせ、その対比を楽しんだ。4楽章の軽やかさはCDで聴いていると、何時も違和感があるが、今夜のライブではそうでもなかった。やはりこの楽章はこうでなくてはならないという、決然たる意志を感じる演奏だった。

  なお、19番はその前の3つの小品の1番と連続で演奏された。これは違和感がなかった。
  アンコールは3曲の中のD935からの2番は、おそらく反復カット、そのほかの2曲は私には曲名がわからなかった。
3/26追記、その後ホールの発表で以下の2曲がアンコールで演奏された。
1.シューベルト/リスト:糸をつむぐグレートヒェン
2.バッハ/ペトリ:羊はやすらかに草をはみ

  聴き終わって、これは河村氏でしか演奏できない独自のシューベルトの世界であって、しかもそれは一つの規範にもなるだろうと思わせる演奏だった。是非録音してもらいたいものだ。

  なお、まんぼう解除のせいか、会場はほぼ満員。ブラボーを言いたげな聴衆が何人もおられたのが今夜の演奏会の熱気を物語っている。〆

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マルタ・アルゲリッチ演奏のショパン「24の前奏曲」がシングルレイヤーSACD化されて、発売された。2か月前から予約を受け付けていたので、早速予約し、昨日入荷した。
 この演奏は1975年、ミュンヘン/ヘルクレスザールでセッティング録音されたもの。この曲の私の一押しである。この演奏の素晴らしさは、いまさら私が云うまでもなく、定評があるもので、常にこの曲のベスト盤に推奨されている演奏である。24曲を1曲1曲切って演奏するのではなく、いくつかの塊で演奏する効果は、他盤では味わえない醍醐味である。ゆっくりした音楽で一音一音味わい深い音をつむぎだすかと思えば、速い曲のきらめきはどうだろう。34歳の若きアルゲリッチのすべてがここに凝縮されている。
 長い間通常のCDで聴いてきたが、その盤で決して不満があったわけではない。ピアノ録音としてもそう悪い録音ではないが、例えば、録音で気に入っているフリトーのリン・オーディオ盤に比べると。高音のきらめきの中の響きの余韻や、低音の豊かさなど、このところ少々不満に思っていただけに、今回のSACD/シングルレイヤー盤はまさに、干天の慈雨と云うべき演奏だろう。

 早速聴いてみたが、予想にたがわず素晴らしい録音だ。なんといっても一音一音の響きがじつに豊かである。このヘルクレスザールというのは決して広いホールではないようだが、そのホールの空気感が感じ取れる生々しさである。例えば9番~13番まで、ラルゴ~モルト・アレグロ~ヴィヴァーチェ~プレスト~レントと緩急の変化が続くが、ここでの緩急の対比の音化が素晴らしい。その他まるで初めて聴く演奏のように新鮮であり、新たな発見がある。
 最近の聴いたCDでは、キアロスクーロ弦楽四重奏団の演奏したシューベルトと並んで、演奏・録音ともに感銘を受けた盤である。アルゲリッチを愛する方に是非聞いてもらいたい盤だ。

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