ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

カテゴリ: > その他小説

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島田氏の競馬小説である。ブリーダーーズとあるからこれは血統に関係する話かと思い読み始めたがすこぶる面白い。勿論競馬好きには面白いが、知らなくても競馬と云う競技と云うか、博打と云うか、一種独特の世界にロマンを感じるストーリーだ。

  主人公は競馬週刊誌のベテランライター。目の付け所が独特であり、調教師らから一目置かれている。彼が目をつけたトナミローザと云う牝馬がもう一つの主人公。
  この馬のレースローテーションと騎手に通常と違うパターンを感じて、その馬主やら生産牧場の調査を始める。するとなんとこの馬は明治時代の初めのころに輸入されたローザと云う牡馬の血脈を持っている最後の一頭だという。しかも過去、ローザと云う牡馬の子供たちの中には障害レースで勝ち上がったもいるという特異な血脈だった。
  そのローザの血を持ったトナミローザは障害ではなく、なんと平場のオークストライアルのフローラステークスに勝ってしまう。清水はこの血脈の不思議さと関係者のミステリアスな行動に関心を持ったのだった。
  少々ネタバレになるが、真偽のほどは分からないが、馬の血統はけっして遺伝子通りではなく、その馬の経験値がその子供たちに受け継がれる場合があるということをこの作品で初めて知った。とにかく面白いこと間違いない小説だ。
  文庫が初出である。
                                       〆

先週、丸の内の丸善に本を仕入れに行った。本屋が減って読みたい本を探すのに苦労する。我が家だとバスで中野まで行ってブックファーストに行かなければ新作など話題の本が手に入らない。

  今回は特に何を読むというわけではなく、ただただ猟犬のように面白い本を探して主に2階をぶらついて以下の3冊を買い求めた。いずれも面白く1週間で3冊を読了。年を取ると目が不自由で本を読むスピードが遅くなったり、昨日読んだところの内容をもう忘れたりで、なかなかはかどらないが。こここの3冊はそういう心配はいらない。一息とは言わないが三息くらいでは読める面白さ。

まず、「照子と瑠衣」、井上荒野氏の作品。まあタイトルを見ただけでリドリースコットの「テルマアンドルイーズ」を思い起させる。

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映画のテルマアンドルイーズは若い女性の飛翔する姿を描いたものだが、小説「照子と瑠衣」の主人公は70歳の老婦人たちである。一人は45年つれそった夫を捨て、一人は老人ホームを脱出。専業主婦の照子とシャンソン歌手の瑠衣はまるで性格が違うが、40年来の大親友。ある日瑠衣からSOSが来て、現実から脱出を図る、そして二人は長野の他人の別荘に無断で住み着いてしまう。
  しかしこれは照子の深謀遠慮の深い計略があったのだ。このまるで違う二人の会話がとにかく愉快、そして脇に出てくる喫茶店の若夫婦やバーのオーナーなどの造形も秀逸。
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  リドリースコットの映画とはまるで違う展開だが、70歳の老婦人の脱出は今日的だし、その理由も納得。この主人公たちを男にした作品をだれか書いてくれまいか?
  なお、この映画は今はツタヤでも見ることができないが、来年2月に4K版でリバイバルの予定である。


2作目は「デウスの城」、伊東潤氏の最新作だ。島原の乱をクライマックスに持ってきた大作だが、話は関ヶ原から始まる。
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  主人公は小西行長の3人の小姓である。行長はキリシタンだったが、この3人の小姓もキリシタン。しかし小西行長は関ヶ原で破れ、死罪となる。3人はそれぞればらばらの生き方をする。
  話はこの3人を主人公に、キリスト教の弾圧の歴史を描きつつ、宗教とは何ぞや、死して後に「ハライソ」や「極楽浄土」があるのかと云う重いテーマをこの3人の主人公に突き付け、ひいては読者にそれを考えさせる。最も重い命題はキリスト教における「殉教」の意味だろう。無暗に死を美化したのはイエズス会の陰謀なのだろうか?

  関ヶ原から大阪夏の陣、冬の陣、そして島原の乱とまるで大河ドラマだが、それゆえと云ってはおかしいが、歴史小説として全体に薄味・軽量になるのは仕方がないが、3人の若者の生涯を最後まで見届けた後の重苦しさとある意味解放感はこの作品の持ち味だろう。


  3作目は野球小説である。「二律背反」、本城正人著である。
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  主人公は横濱セイバーズというプロ野球チームの二見というピッチングコーチだ。コーチになってピッチャー陣を立て直し3年目にしてリーグ優勝を狙えるところまできた。
  最初はこのコーチが監督やらヘッドコーチとの確執を乗り越えチームを優勝させる野球小説かと思ったが、ところがどっこいこれがミステリー仕立てで、野球の面白さとミステリーの面白さを兼ね備えた小説となっている。二見はかつて投手で野球賭博にかかわったとされていて、そのときの賭博行為をした先輩投手が、長い空白のあと、死体として発見されるところから、ミステリーが始まる。

  この作品の面白さはミステリーの部分より、投手コーチとして、先発投手やらリリーフやらいろいろな持ち味の選手たちの育成や作戦やらの部分がなんとも緊迫感があって面白い。その部分の面白さで一気読みだ。しかしここでのコーチの生き方は組織の中で生きる多くの日本人の共感を得るものだろう。多分まねできないけど。
  ミステリーは少々薄味。
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珍しく娘が面白い本があるよと云って4冊貸してくれた。タイトルや帯を見るとまず自分では買わない本だ。
  自分では買わない本の代表は子供が主人公のもの。
  これから読む本は4冊とも子供、少女が主人公。一瞬不安がよぎったがまあ取り急ぎ読む本もなく、時間つぶしと思って読んだ。

  まずノーベル賞作家のカズオ・イシグロ氏の受賞後の初作品で「クララとおひさま」。タイトルからまず手が出ない本だが、案外面白かった。

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こういうのをディストピア小説と云うらしい。ユートピアの反対だからあまり楽しい時代ではないのだろう。主人公はクララというロボット、AFという機能ロボットである。AFすなわちA rtificial Friend、つまり人工友人というわけだ。ジョジーと云う病弱な高校生の友人として買われた。
  この時代子供たちは向上処置(遺伝子組み換え)を受ける子供と受けない子供で選別されているらしい。ジョジーは処置をした少女、彼女の友人のリックはしていない。

  まああまり詳しく書くと面白くないだろうが、この本を読んでいて感じるのは人工とはいえ、クララという、まるで人間以上の感情を持ったロボットの行動だろう。この本ではむしろ人間の方がアブノーマルで、ロボットのクララの方が正常に思える。最後を暗澹とした気持ちとして受け止めるか、それとも深い感動として受け止めるかは読み手の読み方、人間性と大いに関連するだろう。後半は一気読み
だ。

  次は三部作である。かなり大部な小説だがスルスルと読める。
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  ホリー・ジャクソンと云うイギリスの女性作家の作品。3部作である
1.自由研究には向かない殺人
2.優等生は探偵に向かない
3.卒業生には向かない真実

  これも主人公は女高校生、ピッパ(ピップ)・フィッツ・アモービという。この女子高校生が自由研究で有罪になった青年の無罪を証明しようというのだから、イギリスと云う国は面白い発想をする。
スタイルはこの少女が探偵となって謎解きをする。これも詳しくは書かないが印象としてはいくつか挙げたい。

  この本の面白さはピップの探偵としての面白さである。けっしてふわふわしたものではなく、イギリスの伝統的な探偵ものの系譜を受け継いでいるのである。その肝は科学合理性、決してひらめきや直感のみ頼らないところだ。あえて言えばホームズやポワロの血脈を受け継いでいるのである。

  第2には今日的と云うべきだろうか、SNSというのか、現代の少女たちの情報機器の扱いの巧みさは私のような老人にはついて行けないが、若い読み手はその活用に舌を巻き、羨望の眼でピップを見てゆくだろう。

  第3も今日的だろう。主人公の父親は二番目の父親でアフリカからの移民である。職業は弁護士である。母親は不動産会社の経営者であり、ピップの家はまあ裕福な家庭だ。ピップのボーイフレンドはインド人である。もうこういう人種の混合は当たり前のことなのである。そういう時代背景をベースにイギリスの中流社会が描かれている。

  話としては第1話が最も探偵小説っぽい。第3話は超絶なひねりのきいた犯罪小説と云っても良い。

                                        〆

  

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本書の帯を見ると、傑作ミステリとなっているが、ミステリーというよりも、ゴッホとゴーギャンの魂の放浪の旅を感じさせる作品だ。著者の「たゆたえど沈まず」のほうがゴッホ物としてはずっと面白く、厚みのある小説だが、本作は舞台化することを前提に書かれているので、私には小説としては奥行きに乏しいように感じた。
 それは、物語の展開が主人公高遠 冴の勤務しているオークション会社の社長と同僚との対話がほぼ本作の中央部分、約全体の1/4を占め、さらには、オークション会社にゴッホが自殺した際に用いたと称して持ち込んだリボルバーの持ち主サラとの対話が本作の後段部分、全体の約1/4を占めるなど、全体が対話によって組み立てられてからだろう。
 そして、その対話から明らかになるのはミステリーと云われても仕方があるまい。ゴーギャンとゴッホの芸術家としての立ち位置が明かになり、興味深い、原田マハ流の秀逸さ。まあ美術ミステリーというジャンルがあるとしたらそれにふさわしい作品である。期待を裏切らない作品と云うことが云えるだろう。


 

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独創的な歴史小説ともいえようが、分類が難しい。帯封には「改変歴史冒険小説」とあったが、苦労がしのばれる。

 小説は太平洋戦争を前にした日本から始まる。主人公は小条(本当は古い漢字)登志矢。隅田川のほとりで、漁船などのエンジンの整備をして食っている。サチと云う女性と同棲している。しかしその平和な生活もある連絡で破れる。登志矢はロシアの潜入工作員だったのだ。彼に19年も待った指示がやってきた。

 そして、時代はさかのぼり、登志矢が生まれたときからこの小説は真のスタートを切る。盛岡からロシアに入植した、小条仁吉の次男として1895年に生まれる。ロシアの大地を開拓して、曲がりなりにも小地主として、生活ができるようになった、しかし小条家に日露戦争の波が押し寄せてくる。彼らは隔離され収容所に入れられ、農場は取り上げられてしまう。
 そこから登志矢の数奇な運命が動き出す。彼は鉄道学校に入り資格を取るが、やがて第1次世界大戦がはじまり、徴兵されてしまう、そして次に来るのはロシア革命。これらに翻弄されて、かれは最後は日本に来るのだが、そこのところは肝だけに読んでのお楽しみ。ここまでも結構筋をしゃべってしまった。

 この小説のユニークなところは、史実の改変の仕方の独創性である。例えば、日露戦争は日本が破れて、2国条約を結ぶとか、1次大戦下の兵器に水中翼船(浮揚艇)や滑空船(折り畳み式グライダー)などが登場するなど、びっくりするような記述が続く。
 そして、この本の終わり方は、果たしてハッピーエンドといってよいかどうか?
 すこぶる読み応えのある小説であることは請け合う。今日は寝不足である。〆

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