ぶんぶんのへそ曲がり音楽日記

オペラ、管弦楽中心のクラシック音楽の音楽会鑑賞記、少々のレビューが中心です。その他クラシック音楽のCD,DVD映像、テレビ映像などについても触れます。 長年の趣味のオーディオにも文中に触れることになります。その他映画や本についても感想記を掲載します。

カテゴリ:映画 > 歴史

TheWonder2022
(聖なる証)/NETFLIX


2e210ecb36c81362
(最後の決闘裁判)

  最近は面白い映画もなく(ほとんど毎日1本は見ているが)、ブログも書く気にならない。しかしこの2作はいずれも14世紀と19世紀の歴史を背景にしてはいるが、今日的な訴求性を強く持っているところに興味を持った。いわゆる「ME TOO」で片づけるのは乱暴だが、そういう今日の社会の動きをいくらか背景に持っていることは間違いないのではあるまいか?見終わった後の感想はそういう印象だ。

  「聖なる証」/原題は「WONDER」は舞台は1862年のアイルランド、大飢饉の後遺症がまだ残る土地である。そこへクリミア戦争に従軍した看護師、ライト夫人(フローレンス・ピュー)が招聘される。
  ある寒村のオドネル家の娘アナ(キーラ・ロード・キャシディ)が4か月間も食事をとらず、元気に生きているというのだ。村人の宗教家や医師や村長らは相談して、看護師と修道女を招き、アナの観察を依頼したというわけだ。奇蹟なのかそれともフェイクなのかの判定意見を求めたわけである。

  オドネル家は宗教心の熱い一家で、アナもそれの影響を受けてと思われたが、食を絶つという動機と、4か月間も食事をしなくても元気だということに疑問を持ったライト夫人は、穏便に済ませたいという村の長老たちや、家族に反して、究明に奔走する。そして驚くべき真相にたどり着く。

  それの秘密はオドネル家の家族に会った。


  もう1本の「最後の決闘裁判」/LAST DUEL はリドリー・スコットのメッセージのはっきりした作品だ。時は1386年。100年戦争のさなかのフランスが舞台である。カルージュ(マット・デイモン)は地方長官の血筋、代々世襲で任命されている。友人のル・グリは血筋は良くないが、宗教家から、国王の寵愛厚い領主ピエール(ベン・アフレック)に取り入って、役人としてピエールの領地の財務状況を改善させ、ピエールの信頼が厚い、才子である。ひるがえってカルージュは武骨な武人である。
  裁判の発端はカルージュがスコットランド遠征中に、ル・グリがカルージュの妻(ジョディ・カマー)を強姦したことにある。映画の構成は、芥川龍之介の「藪の中」の様に3人三様の思いをそれぞれ独立させて描くようになっている。これにより3人の思いは分かるようになっている。
  結論的にいうと、カルージュの妻は強姦されたということを認め、訴えるのである。地方裁判所では却下されるが、王の元の宗教裁判になる。

  ここでタイトルの決闘裁判になる。これは「神明裁判」といって判決は神にゆだねるというものである、決闘の勝者が裁判の勝者なのである。敗者は実戦なので「死」を迎える。しかしこの場合訴えるのは女性だから、決闘はできないので夫のカルージュが後見人として代理でル・グリとの決闘に臨むことになる。

  この話はワーグナーのオペラ「ローエングリン」を彷彿とさせる。エルザ姫の偽証を暴こうとする魔女オルトルートはその夫テルラムントを立てるが、エルザにはいない。しかしエルザは神に祈り、神の国から遣わされた、ローエングリンを代理に選び、決闘に勝利するというものである。

  話は戻るがこの決闘裁判ではもし訴えた側が敗れた場合は、当然代理人の夫は死ぬが、妻も厳しい処刑を受けるというもので、訴える方もまさに命がけだった。

  さて、「聖なる証」と「最後の決闘裁判」で私が共通に感じたこととは何か?いずれも宗教にかかわることがまず挙げられるが、この2つの作品の根底には、性被害にあった弱者(女性)の救済を描いているということにあると思う。そういう意味でこの2本の映画は今日的であると同時にメッセージの強い作品といえよう。
  いずれも大変面白く見た。

e9079e9985c6e30d
白黒、スタンダードサイズで時代感を出している。

  1962年の地方都市ノボチェルカスクでのストライキ~暴動となり、発砲事件まで起き、多くの死傷者が出た事件をリアルに描いている。この事件は隠蔽され、その隠ぺい工作も映像で示されている。ソヴィエト(共産)社会主義の欺瞞を暴いた社会派の作品といえよう。

  主人公はリューダ・ショーミナ(イリヤ・ビソツカヤ)で一女(18歳、スヴェッカ)の母、ノボチェルカスクの市政委員会の幹部の一人である。スターリンはもうすでに過去の人になり、フルシチョフの時代、しかし経済がうまく回らず、物価は上がり、物資は不足し、賃金はカットという情勢で、市民の不満は沸点致していた。
  1962年6月2日、市内の機関車工場の工員たちがデモをおこした。軍部やKGB,そして中央のミコヤンやコズロフまで乗り出し、収拾を図るが、予期せぬ発砲事件まで起き、大惨事となった。もみ消しを図り、首謀者たちを次々と逮捕するKGB。そんななか、リューダの娘のスヴェッカもデモに参加していて、行方不明になっていた。リューダは党にそむいて、娘を探すがすでに埋葬されているという情報が入り、墓に向かう。

  スターリンの独裁政治の終焉(1953年)から10年を経ているが、民主的な社会主義をめざす?フルシチョフのかじ取りがうまくゆかず、党も下(例えばKGB)を抑えられないし、経済もうまく回らない、国民の不満が渦巻くそういう時代を切り取って見事な映像にしている。

 なかにはスターリン時代の方がよかったという輩まで登場(リューダの父親はスターリン時代の軍服を着だす)、スヴェッカのような若い人々はスターリン時代の後に来る社会主義はより自由な政体だと思っていてのデモ行進だった。
 ただ、ここでは軍部が最もまともで、例えば、軍隊は武装をしないで暴動を鎮圧しようとするのを、党側は武装しろと云う、しかし軍部は憲法で市民に銃を向けるのは違法であるとされていると云い、軍隊は「対外的」なものであると主張するが、党側から退けられるという場面もあった。
  ロシア共産主義が新たな暗黒の時代を迎えることを、象徴した作品。よくぞロシアでこのような映画が作れたものだ。



9784087718010
ジャンルとして歴史小説としたが、なんとも不思議な小説で、空想小説と云うジャンルがあればそれでもいいとも思う。しかし物語の柱の周りで描かれる、歴史の考証はけっしていい加減ではないので歴史小説でいいだろう。まあこんな言い訳は無意味だが!

  読後感は一言でいうと久しぶりに歯ごたえのある小説に出会ったといえる。600ページ以上の大作ということで圧倒されるが、決して分量だけに圧倒されているわけではないのだ。

  物語は日清戦争後1899年から始まる。日露戦争前夜である。ロシアと中国の国境から満州を探索する将校高木少尉と大学を出たばかりのロシア語と中国語の通訳細川がとりあえず主人公と云っておこう。というのはこの小説は日本人、中国人、そしてロシア人が入り乱れる。というより多くの登場人物が参加する。だから前記のふたりをとりあえずは主人公と云ったのだ。
  陰の主人公は満州の架空の都市「李家鎮」である。奉天の近くにある、鶏冠山のふもとの村だった。後に日本人が都市計画をして「仙桃城」という大都市になる。その繁栄の源は高木と細川が発見した「燃える土」すなわち石炭の大鉱脈だった。この町が義和団に襲われてからロシアを経て日本の植民地になり、そしてやがては八路軍共産軍の手に落ちるまでを描く。そのあいだの出来事やかかわった人々をここで一言で書くことなぞできはしない。しかし、この物語の「根っこ」にあるのは本書のタイトルの「地図と拳」であるということは言っておかねばなるまい。
  地図とはすなわち領土である。この時代「地図」を描いたものがその領土を支配した。そういう帝国主義の時代。ではなぜそのように地図を勝手に書けるのか、それは「拳」によるものだ。拳とはすなわち武器/武力である。
  欧米列強は19世紀から20世紀にかけて勝手に領土を拡張して「地図」を描いてきた。そして遅れて列強の仲間になろうとした日本はその真似をして「地図」を描いた。その象徴が本書の主人公の「李家鎮/仙桃城」なのだ。そして日本は並行して崩壊に向かう。そういう物語である。
  しかし今でも勝手に地図を描いている/書こうとしている国があるとは、とんだ時代錯誤ではあるまいか?
  コロナでどこも出られない方はこの夏じっくり本書を読みましょう。損はしません。

小説三篇、平安時代を描いた「高望の刀」は面白かったが、あとのミステリー2作は今一

51pCGb4BduL._SY291_BO1,204,203,200_QL40_ML2_
9世紀、平安時代。桓武天皇のひ孫である高望王の半生を描いたすこぶる面白い歴史小説。
高望は実在の人物で、後に臣籍降下して、平の高望と名乗り、上総の国の国司となるが、それぐらいしかわかっていない。生年も没年も不祥である。この小説は上総の国の国司になるまでを描く。
  その当時の代々の天皇は多くの子供を産み、なんと天皇の子孫だけで700人。当然官職につくのはごく一部で、大多数は無職で、貧しい生活を強いられていた。高望王もその一人、就職活動の最中に弓に対して刀で戦ってみせると公言し、その危機に直面するところから、この小説は始まる。戦いの場面も面白いが、この高望王の心理の変遷がじつにリアルで、人間的である。この人物の魅力をたっぷり文章にしている。読み手は感情移入して読まざるを得ない。第一級の歴史小説と云って良いだろう。


それに対して現代もののサスペンス2篇は、今一
51bwU2K4qhL._SX336_BO1,204,203,200_
クラウドの城は、北海道に建設中のデータセンターで起きた密室殺人を描くが、主人公の鹿島丈のキャリアをみると、アメリカの民間軍事会社に勤めていて、イラクで失敗して、失意のうちに帰国したと云う人物。データセンターをめぐるテロ事件課と思いきや、実に日本的なモチーフの殺人事件でがっかり。ハードボイルドとあるが、最後にちょろっとあるだけで、名前倒れ。謎解きミステリーとハードボイルドの両方を狙って、共倒れ。



51ZsIgouwcL._SY291_BO1,204,203,200_QL40_ML2_
こちらの方が少しは面白い。ヤメ検弁護士、一坊寺陽子が主人公。司法試験同期の弁護士から相談を受けたことから思わぬ事件になる。彼らはそれぞれ検事と弁護士で相対した、親殺しの裁判が根っこにある。「段階」とあるだけに、結論までにかなりのステップがあり、次第にこんがらがってくる。ぼけ老人には向かない。


640

 外出自粛で外にも出られず、本もアマゾンからかう有様で、音楽会どころではなく、いきおいブログの内容も、映画や小説になりそうだ。タイトル(ブログ)に偽りありだが、しばらくは仕方がない。
さて、
「戦火の燃える前に」はミュンヘン会談のサイドストーリーを描いたもの。小説の映画化。
原題は「MUNICH EDGE OF WAR」

 1932年ドイツ人のポール、ユダヤ人のレナ、そしてイギリス人のレカトはオックスフォードの学生だった。6年後すでに卒業しレカトはイギリスの首相府の官僚、ポールはドイツの外務省の官僚としなっていた。。
 そしてときはまさにヒトラーの台頭する時代、欧州の各国はそれぞれ危機を抱き、そして先の大戦(一次大戦)を思う。そのようななか、ヒトラーはチェコのズデーテンを占領するため、軍を動かそうとする。英首相のチェンバレンはムッソリーニを使い交渉で解決しようとする。ポールらはヒトラーの野望を恐れ、軍とクーデタを企てようとするが、世界はミュンヘン会談に釘付けとなり、中断する。

 しかし、ヒトラーの野望の企画書を手に入れたポールはそれを会談前にチェンバレンにわたそうとする。まあここからは一応スパイ戦だ。
 しかしこの映画の中心は矢張りチェンバレンだ。真相は私にはわからないが、この作品の肝はイギリスには、このミュンヘン会談は戦争準備の時間稼ぎになったとの評価があり、さらにチェンバレンとヒトラーの声明文はもしヒトラーがその声明を破れば、チェンバレンは恥さらしになるが、そんなことはどうでもよい、そのときは、ヒトラーの欺瞞が世界にさらされ、アメリカも参戦するだろう。そういう効果をすでに帰路でチェンバレンは念頭においていたという作りになっているところにある。
 非難されることが多いチェンバレンの擁護と云われても仕方がないが、まあ、その真偽は別として、イギリス人の考えがわかる。
 チャーチルでゲーリー・オールドマンが好演したり、今回のチェンバレンもジェレミー・アイアンズが好演。いずれの映画も「イギリスを忘れないでね」と云っているようなものだが、役者の演技は素晴らしい。特に私にはジェレミー・アイアンズは最も好きな役者だけに、面白く見た。NETFLIX


↑このページのトップヘ