荒野

 日本から見ているとアメリカの人種間の分断は取り返しのつかないところまできているのではないか?と思われる。
 突然話は変わるが、先日ある記事を読んでいたら、旧ソ連とアメリカは国の成り立ちが似ているという。どちらも多人種(民族)国家であるという。ソ連は1991年にロシア連邦になり多民族国家の軛から逃れたという。しかしアメリカ合衆国はもともとの民族はいわゆるインディアンだけで、他はすべて移住者がミックスして居住しているためロシアのように多人種国家の軛から逃れることができない。分断に対して、ではいかなる解があるのだろう。
果たして現大統領はその答えをもっているのだろうか?

 本作「荒野の誓い:原題HOSTILES」はそういうテーマに切り込んだ作品。それも西部劇に仕立て上げた皮肉さ。昔の西部劇と云えばインディアンが悪人で白人を襲い、騎兵隊がそれを救うと云うのが定番。ジョン・フォードの「駅馬車」などがその典型だろう。この映画もそういう仕立てだ。冒頭ニューメキシコ州の開拓白人家族夫婦と娘3人がコマンチに襲われ妻以外は惨殺されてしまう。

 そのニューメキシコ州のフォートベリンジャーにはシャイアンの酋長だったイエロー・ホークが家族たちと幽閉されている。しかし、イエロー・ホークも癌になり7年にも及ぶ幽閉生活は、世論からも反発を受け大統領令でもとのモンタナの「熊の峡谷」へ送り返されることになった。退役間近のジョー・ベリンジャー大尉がその任務を命じられる。しかし大尉とシャイアンの酋長は宿敵であり、出発時から不穏な空気が漂う。ここからは一種のサバイバルゲームだが、それはどちらかと云うと、サイドストーリーである。
 旅の途中で家族をコマンチに惨殺された夫人(クエイド夫人、ロザムンド・パイク)を拾い同行する。しかしコマンチは大尉一行を執拗につけ狙い、ついに襲い掛かる。イエロー・ホークは鎖をかけられていたが、大尉に力を合わせなければ、勝てないと訴える。
 果たして一行の行く手は如何に!

 家族を殺されたクエイド夫人はたとえシャイアンとはいえインディアンと同行することに嫌悪の表情を示す。また大尉は初めからイエロー・ホークに敵意を抱き、2組の敵意(HOSTILE)をもった人々がニューメキシコからモンタナまで移動してゆく。
 その間インディアンに同情的な護衛隊の少尉やコロラドの砦の中佐夫人のインディアン居留地の悲惨さなどの挿話を織り交ぜこの2組の敵意が如何に融和してゆくか描いて行く。

 時代は1892年、はるか前に南北戦争が終わり、インディアン戦争も終結し、砦の古参の兵士たちの疲弊ぶりも印象的。殺し合いに疲れた、曹長の精神を病んだ姿はその象徴。

 クリスチャン・ベイルの武骨でぶきっちょな兵士ぶりはベイル節炸裂、最後のシーンなどわざとらしいが、ベイルが演じると何となく様になる。パイクやシャイアンの酋長役のスチューディも好演。異色な西部劇と云われそうだが、異色でも何でもなく、如何にも今日的な西部劇。娯楽としても面白く、しかも強烈なメッセージは心を打つだろう。映画の作りとしては、「仕立ては昔の西部劇風だが、着こなしが今日風」といって良いだろう。

 居留地のインディアンを描いた映画としては最近の「ウインドリバー」が印象的だ。本では野口久美子氏の「インディアンとカジノ」と云う新書本は現代のインディアンを描いた傑作だ。アメリカの悩みは尽きない。