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昨年の2月、コロナがパンデミックになる寸前のベルリンでの公演である。NHKのBSプレミアムで放映されたのを見た。

キャストは以下のとおりである。
  演出:アンドレ・ヘラー
  指揮:ズービン・メータ

  元帥夫人:カミラ・ニールンド
  オクタヴィアン:ミシェル・ロジェ
  オックス男爵:ギュンター・フロイスベック
  ソフィー:ナディーン・シエラ
  ファニナル:ロマン・トレーケル

おそらく、現在のドイツではまだ本格的な公演は始まっていないように思うので、これは貴重な映像である。
 国内も新国立は再開したが、海外引っ越し公演、例えばNBSの企画など、まだまだオペラ会は寂しい限りである。この映像はそういう意味では干天の慈雨ともいうべきもの。何度も見て楽しんでいる。

 歌い手はそれぞれ優れた歌唱を聴かせてくれているが、なかでもカミラ・ニールンドは一皮むけたような歌唱で、素晴らしい元帥夫人だった。特に演出とも相まって、1幕がとても気に入った。元帥夫人のモノローグも深刻になりすぎず、なんとなく、気楽な独り言風で、こんなやり方もあるんだと感心してしまった。3幕も素晴らしい歌唱。いつ聴いてもあの女性3重唱は感動してしまう。中身はそんな深遠なことを言っているわけでもなく、大体こういう痴話げんかのような話のまとめに過ぎないわけだが、シュトラウスの音楽にかかると、これは胸震える音楽になってしまう。3人の女性陣はバランスも良く大いに楽しんだ。
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 オクタヴィアンは姿や立ち居振る舞いも中性的で独特の役つくり、ソフィーはよくあるパターンだが、おぼこい娘ではなく、自立した、そしておきゃんな女性とそれぞれ性格描写も良かった。
  
 クロイスベックのオックスは諸先輩の名演があまたある中では、役つくりに工夫しているようで、野卑な貴族と云うより、小心でこ狡い男と云う印象。貴族の片りんも感じられない立ち居振る舞いと云うのも珍しい。まあこの演出の時代設定が少しあいまいなせいもあるかもしれない。2幕でオクタヴィアンがかつらをつけて、18世紀風の衣装を着て登場するシーンはむしろ時代を表しているというより、それ自身が浮き上がっていて、三幕で元帥夫人が云う仮面舞踏会の様相を呈している。おそらくこの作品の時代感覚は新国立劇場の演出のように、19世紀末から20世紀初ではないかと思う。
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 例えば、1幕のオクタヴィアンと元帥夫人の逢引のベッドの上の布団が日本を思わす柄であったり、居間にいた人々を元帥夫人の部屋に入れる際の、ベッドを隠す衝立も日本の物、つまりジャポニズムを背景にしているのであろう。3幕でもレストランの個室がなんと、アフリカか南アジアのコテージ風であったり、オックスを驚かす、仕掛けも猛獣の影絵だったり、18世紀の貴族社会と相いれない設定のように感じた。3幕はそういう意味では私には違和感があって、特に大勢の人々の動線に無駄があるような気がした。これはカラヤン・テオ・オットーのザルツブルグにはかなわない。3幕で面白かったのは元帥夫人がファニナルと退場するときに、右手を横に、オクタヴィアンを誘うように出す。手にはハンカチ。それを落とす。オクタヴィアンはそれを拾おうとするが、ソフィーはそれを止める。
 ハンカチの運命だが、ここでは元帥夫人付きのインド人の青年が拾い、それを口元に持ってきて退場。1幕からどうもこのインド人は思わせぶりだったのだが、おそらく元帥夫人の次のお相手はこのインド青年であろう。(ゲスの勘繰り)


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 なお舞台装置や演出は1幕が最もよく、きめ細やかさがよく出ていた。例えばばらの騎士が持参する、銀の薔薇に薔薇のバルザムはオクタヴィアンがつけたかと思っていたが、この芝居では元帥夫人がつけているといったん塩梅。元帥夫人の居室での人々の動線や日本人?の手品師の登場など、楽しい。

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ズービン・メータが健在なのもうれしい。肩より高く棒は上がらないが、充実した音楽劇を聴かせてくれた。久しぶりにブラボーを聴きやはり音楽会はこうでなくてはと思った。しばらくばらの騎士はこの映像で楽しもう。