2021年4月14日

3月になってやっと音楽会を再開した。3月23日に新国立でワルキューレを聴いたときの感動は忘れられない。今月に入っても6回も行くように予定ができてしまった。蔓延防止法のさなか、びくびくものだが、会食もやめ、ジムもやめ、ゴルフもやめているのだから一つくらいお目こぼしいただきたいと、仏壇と神社にお祈りをしている。

 さて、とはいえ、そういう不安定な心理状態の中で聴く音楽は矢張り少々気が散るので、結局音楽生活の中心は、CDを聴くということになる。ということで今回も「絶望的音楽三昧」少々書いてみた。今回のお題は弦楽四重奏曲である。

 私の音楽生活の中で、弦楽四重奏曲が入り込むのはそう早くない。20代30代は交響曲や管弦楽曲、そしてそのさなか1972年のイタリア歌劇団の「トゥーランドット」を聴いてから、一気にオペラにのめりこむようになった。その後渡米した後も、シカゴシンフォニーの定期を聴きながら、やはりオペラは忘れられず、リリックオペラオブシカゴというシカゴの常設(半年)劇場で多くの作品を楽しんだり、ニューヨークのメトロポリタンへ行ったり、ザルツブルグやルツェルンまで行って、カラヤンの追っかけをやった。そういう私だから、ついこのあいだまでは音楽生活の半分はオペラ、半分が管弦楽曲だったのである。

 弦楽四重奏曲にのめりこむようになったのは、そういうことで、多分50歳代の後半か60歳代に入ってか、さだかではない。ただきっかけは覚えている。それは毎年大みそかにベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中期・後期全曲の通しの演奏会があったのだ。それはいつから聞き始めたのかは覚えていない。ただ毎年聴くたびに、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴くのが楽しみになったのだ。隣の大ホールではN響だったか、同じくベートーヴェンの交響曲全曲をやっているのをしり目に、マニアックだなあとおもいつつ通ったのだ。
 今は、毎年年末には孫が来るので聴くことはできないが、私の音楽体験では、忘れられないイベントだったのであるが、いつしか、弦楽曲といえばシューベルトの八重奏曲とか、五重奏曲くらいしか聴かなくなってしまった。弦楽曲の代わりに聞くようになったのはピアノ曲だが、それはまた稿を改めよう。

 その年末の演奏会で印象に残った団体はエクセルシオール弦楽四重奏団で、チェロのみ男性で、そのほかはすべて若い女性。若い女性だから聴いたわけではなく、このような若い彼らがなぜあのもじゃもじゃ頭の男の、辛気臭い、弦楽四重奏曲を演奏するのか信じられなかったのだ。私もその当時はそれほど弦楽四重奏曲なんて、決して好きではなく、半分勉強の意味で、少々苦痛を感じながら聴いてきたのだ。このエクセルシオールはその後、この年末には欠かさず出ており、私は彼らが勉強するように、彼らの演奏を聴いて勉強してきた気分になった。th


 さて、家庭の事情でその音楽会から遠ざかり、それとともに、弦楽四重奏曲から遠ざかったのだが、ある日、やけぼっくりに火が付いた。NHKのBSでときどき、室内楽(弦楽曲やピアノや声楽)の演奏会のライブを1時間放送する。そこでこのエクセルシオールの演奏した、ベートーヴェンのラズモフスキーの一番を聴いた。久しぶりに聴いてなんてすばらしい演奏だと思った。1楽章のさっそうと登場する主題の素晴らしさ、緩徐楽章のヴァイオリンのすすり泣くような音、映像で見る弦楽四重奏曲は各演奏家たちの細かい動きがよくわかってとても面白かった。

 さて、それからもう一度気を引き締めて、弦楽四重奏曲を聴こうと決めた。今では一日の音楽のスタートは、いろいろな人の弦楽四重奏曲から始まる。

 ベートーヴェンももう一度勉強しなおそうと、ブタペストの演奏とアルバン・ベルク、それと中期の実だがジュリアード(1982)の演奏それこそとっかえひっかえ毎日聴いてきた。
dubstorerecordmart_449114この古いブタペストの録音は私にとって、ベートーヴェンのクァルテットの規範である。どうしてもこれと比べて聴いてしまうのだ。ラズモフスキーの3曲や後期の13ー16までの演奏はおそらく、永遠に残る名演だろう。録音シーンを見ると、左に1,2ヴァイオリン、右にヴィオラとチェロがいて、ほとんど対面状態で録音されているようだ、しかも彼らはお互いの呼吸が聞こえるほど密接になって演奏をしているように思われる。これは録音を聴いてもそうで、あまりに近接ぶりにこちらも息が詰まるようだ。

190759644423190295542559

そういう時はアルバン・ベルクの演奏を聴くことにしている。またジュリアードの緊張感あふれるライブ演奏も忘れられない。とくにジュリアードのラズモフスキー3番の緊張感は、終演後の聴き手の高揚と感激を大いに導く演奏である。

 さて、実は最近はまっている、弦楽四重奏団がある。それはキアロスクーロ弦楽四重奏団である。これも実はNHKのテレビでライブ演奏を聴いた。実にユニークな団体で、まず立って演奏する。勿論
チェロは台の上に椅子を置いて、座って演奏している。そしてもう一つの特徴はガット弦で演奏している。楽器は第二ヴァイオリンが1570年、その他の3人もいずれも1700年代の楽器を演奏している。同時代楽器と云える。ちなみにキアロスクーロというのは光と影と云う意味で、ロジャー・ノリントンに師事を受けているときに、「キアロスクーロを」、と指導されてこの名称を付けたそうだ。まだとても若い演奏家たちばかりである。第二ヴァイオリンが男性で、後は女性である。

 テレビで聴いたのはベートーヴェンの二番とメンデルスゾーンの一番、いずれもテレビを通しても、特徴のあるサウンドが聴ける。強弱・緩急・明暗を意識してつけているような気がした。

 さっそく、CDを買おうと思って、タワーレコードのサイトを見たが、中でも興味を引いたのはシューベルトの「死と乙女」であった。早速聴いてみたが、これはおそらく今まで聴いた「死と乙女」とは天地ほど違う。
 私はシューベルトの弦楽曲はカメラータトーキョーが発売している、ウイーン弦楽四重奏団の演奏を愛聴盤にしているが、このウイーンの演奏は、いかにもおおらかで、ゆったりとしていて、安心して聴いていられる演奏である。

 しかし4909346017740このキアロスクーロの演奏を初めて聴いたときにはのけぞるほど驚いた。1楽章の激しいアタックはどうだ。これがシューベルトかと思うほど、荒々しい。荒れ狂うシューベルトの魂が乗り移ったような、すさまじさ。有名な2楽章も全く情緒に溺れない。常にクールで無機質とは言わないが、楽器の生のままの音が、むき出しに出てくる。はてさて、これは困ったぞ。こんな「死と乙女」ありか?
 しかし、今日まで3日間毎日聴いているが、これは次第に胸に落ちてくる。シューベルトの音楽を再現させると本当はこうだったんではないかと云う思いである。それはあたかもノリントンがロンドンクラシカルプレイヤーズと演奏したベートーヴェンの交響曲全曲を初めて聴いたときと全く同じ印象だったのである。
 キアロスクーロの意味は、むしろ何も足さない、何も引かないということに他ならない。
 ということで、これから「死と乙女」を聴いて今日の音楽の一日をはじめよう。