映画研究をしている、大学の先生のロサンジェルス、食の探訪記。サバティカルと云う制度で、USCへ研究のために、1年間、妻子とともにロスへ。
アメリカ料理と云うのは単一性か、つまり肉やハンバーガーばかり食っているのか、それともずっと多様性のある料理なのか?アメリカでは多様性の代名詞のようなロスでは、どうだったのか?を探求したノンフィクションである。興味をもって読んだが、少々看板に偽りありで、食の探訪記と云う面では物足りない。むしろ食をネタにした文化論の開陳という作品のように感じた。だからちょっとがっかり。聞いた事のないカタカナがポンポン飛び出し、ついて行けない。
一番の不満はフードダイアリーといいつつ、詳しい食レポは「ゲリラ・タコス」のみで、あとはさらっとしか触れない。むしろジョナサン・ゴールドというアメリカでは有名らしいが、その人の食の本の引用が非常に多いので、三浦氏自身はどうだったのよ、というところが希薄ということだろう。
第二にこの本は随分とそっけなく、写真は全くないのはいかがなものか?せめて、店で許可を得たものでよいから、食材や店や、食べた料理などを掲載してほしかった。料理の説明がそっけないうえに、映像もないのだから、これは食レポ本ではないと、断じてもよいくらいだ
第三に二項と関係があるが、地図くらい載せて欲しいものだ。多様なカルチャーと料理の多様性、それは移民の州としてのカリフォルニアの特徴だろうが、そういう人々の住み着いているエリアやそれと料理の関係など、家にある大雑把な地図で見るが、細かいところはさっぱりわからない。
第四に、ロスでの生活感が希薄に感じたのだが、それはなぜだろうと考えたのだが、著者は物価が高い、高い、家賃も外食費も、食材も高いというが、それがいくらなのか、まったく紹介がないと云うのはいかがなものだろう。例えば、家賃ていくらなのかとか、ロスでビッグマックはいくらかなんて知りたい。高級すし店の値段も知りたい。普通のステーキ屋さんはいくらくらいで食べられるのかなどなど。普通に生活をしている人たちが日常で何を食べて、いくら払っているのか、そういう生活感がすっぽり消えている。
最後に、これは不勉強な私が悪いのだが、聞いた事がない言葉が突如現れるときがある。たとえば「シット・オン・ア・シングル」なる言葉が出てくる。これは米米辞典でも出てこないのでどんな料理かさっぱりわからない。想像するに軍隊食らしい、何かをパンの上にのせて食べる料理の総称ののようなのだ。そういう「注」が全くないのが、読んでいてそこで停滞してしまう。
なお、後半の4章は食レポとはほとんど関係ない、著者のUSCでの講演原稿やら、旅の印象記である。
思うに、この本の価値は、コロナ禍に襲われる直前のロスの最後の食レポと云う事だろう。
私が初めてアメリカに行ったのは1973年である、シカゴの近郊に2年間住んでいたのであるが、アメリカの食生活と云うのは如何に豊かであるか、毎日味わった。
3ドルもせずステーキが食える(あの当時私の給料では日本で牛肉のステーキなんてまず滅多に口に入らなかった)、1ドル98セントで卵2個、ベーコン何枚かついて、トースト、コーヒーのメニューが町のカフェでいただける。
定期契約している食堂に行けば、飲み物はフリードリンク。コーラ(ペプシ)なんて、何杯も飲めたのだ。あの当時一番困ったのは日本食だが、私の住んでいた町にはお店は一軒もなかった。白いご飯が食べたいときは、中華に行った。中華料理店は驚くべきことにある。
私が住んでいた2年間で最大の食事の出費は単価30ドル。一つはシカゴの和食屋、アメリ人の友人が食べたいというからおごってやった。そしてもう一つはジョージ・ダイアモンドというステーキ屋。30ドルだった。驚いたことに、自分の腕のようなヒレが出てきた。そして、サラダはなんと、レタスを半分に切ったものに、甘いサザンアイランドドレッシングだ。レタスだけで腹一杯だ。
町の食品マーケットでも驚きの値段を体験した、オレンジが1個100円もしないのだ。その当時グレープフルーツが日本に入ってきて、一個1000円近かった、オレンジも滅多に食べられる果物ではなかった。とにかく何でも安かった。高いのは人手がかかるもの、例えば床屋。切るだけで10ドルもした(およそ3000円だ)。本当に豊かな社会だった。いまのアメリカはどうもそうではないようだ。
1975年にアメリカから帰ってきたとき、羽田からの車窓の景色は、まるでふうてんのとらさんの映画のようだった。
〆
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