2021年3月27日(於:サントリーホール)
指揮:井上道義
ピアノ:北村朋幹(ネルソン・ギルナーの代演)

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第四番

ショスタコーヴィチ:交響曲第六番

S3_WEB


20210327_185200

久しぶりの東響の定期公演である。客席(1階)はかなりの入りでイベントも、自粛解禁で少し緩んでいるのかもしれない。

 代演の北村はコンクールの入賞実績もある人のようだ。私は初めて聴く。
 さて、ベートーヴェンのピアノ協奏曲四番、楽団員の入場前の楽器配置を見ると、随分と人数が少ない。席に着いた人数は低弦はコントラバス2,チェロ2、また第2ヴァイオリンは4と随分と少ない。管楽器は指定通りの2管編成である。はたしてどのようなサウンドが聴けるのか?

 この協奏曲は英雄的な「三番」と「皇帝」にはさまれ、あたかも交響曲の「英雄」と「運命」に挟まれた四番の交響曲のようだ。そして今夜の演奏もそういうイメージを受けて、実にすがすがしい演奏だった。
 聴きものは3楽章の北村のピアノだろう。ここで聴くピアノは、もうベートーヴェンの枠にとらわれない、自由闊達なもの。音はひらひらとホールの中を舞い飛び、きらきらと美しいが、音楽の進め方が、あの小曽根真のモーツアルトのように、型通りにはすすまない。サーっと駆け出したり、少しためを作ったり、聴いていて、アドリブとは言わないが、初めて聴いた音楽のようだ。実に楽しい音楽を聴かせてもらった。2楽章も低減のゴリゴリいう部分が編成の少なさもあってやさしいので、北村のピアノの繊細さが生きる。ここも魅力的だ。

 1楽章はオーケストラに注目したい。冒頭のピアノのソロの後、オーケストラがたからかに主題を演奏するが、これは編成の薄さもあって、まるで古楽のようなすっきりとした音楽だ。あくがとれたスープのように、透明で実に美しい。そこはきらきらとピアノが加わるので、これは実に見事なサウンドだった。演奏時間は34分。

 ショスタコーヴィチは井上のお得意音楽らしい。今日聴いた六番は初めて聴いた曲だが、井上の指揮ぶりはそれゆえか余裕しゃくしゃくだ。まあこの人は大体こういう指揮をする。

 この曲も、ショスタコーヴィチの他の交響曲のように含みがありそうだが、今日のプログラムではあまりそれに触れてくれないのがものたりない。日ごろあまり演奏されない曲だけにもう少し丁寧に書いてもらいたいものだ。
 バーンスタインはこの曲の第六番、ロ短調と云う調性からチャイコフスキーの「悲愴」の延長だという。1楽章に緩徐楽章が来るのも珍しい。悲愴と同様深い悲しみや慟哭が感じられる楽章だが、2~3楽章の脳天気な音楽との結びつきが、この曲の意味深さを表しているようだ。初演は1939年のドイツがポーランドを侵攻したした時、しかし独ソ不可侵条約で、ソ連は侵入されていない、つかの間の平和、それが2~3楽章の性格らしい、というのはバースタインの受け売り。作曲家はなにも解説していないので真相は分からない。

 井上の指揮は力のこもったもので、特に1楽章の悲劇的な音楽は、共感を呼ぶ。私はヤンソンスの盤を日ごろは聴いているが、その音楽とは偉く違って聴こえるのでたまげてしまった。ヤンソンスは27分で演奏しているが、井上は34分の演奏時間。ヤンソンス盤はカットがあるのだろう。1楽章に差があるように思った。
 2~3楽章は実に脳天気な音楽に聴こえ、井上もそう指揮をしているから、脳天気な音楽なのだろう。特に3楽章の後半などは、まるでジャズか、ハリウッドの映画音楽の趣。音楽は野放図に盛り上がり、ホールは鳴動する。
 1楽章の井上の指揮ぶりは、いつもよりずっとおとなしく、真摯なもの、曲想にあっていたが、後半になるといつもの、動きの激しいタコ踊りになるのは、相変わらずとはいえ、見ていてあまり楽しいものではなかった。
 しかし、曲全体としては、指揮者の意図がよくわかり、この曲を再発見した思いが強い。

 なお、全体を通して、東響の木管部分の美しさを改めた感じた。