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本作の面白さは2つある。一つは幕末を下級の幕臣の視線で描いていることである。大政奉還あたりから幕府は浮足だしてくるが、それ以前も幕府の動きや、薩長など尊王攘夷派に対する、この小説の主人公の冷たい視線は感じられる。特に長州にたいしては、大義はあるようだがその実は、関ヶ原の恨みを晴らす一点で行動しているという見方をしている。また幕臣に対しても軽佻浮薄な福沢諭吉や渉外係のような勝海舟の描き方など興味深い。

 本作の構成上の面白さは、大体このような歴史小説は、主人公の生い立ちや如何に学問を修業したとか、だれだれ先生に師事したとかから紐解かれるのだが、本作ではそういうことをしてない点にあり、興味を持った。
 要するに、天文学者と云うか数学者と云うか一種の天才である小野友五郎の晴れの舞台、つまり咸臨丸でアメリカに旅立つところから物語は始まるのである。なかなかこういう語り口の歴史小説は少ない。これが本作の2番目の面白さ。

 小野は長崎伝習所で天文や数学を学んだが、それを買われて測量方として乗り込んだわけだが、実は咸臨丸にはブルックと云うアメリカ人の測量方がすでに乗っている。両者は対抗するが、やがて小野の測量の精度にブルックは頭を下げる。
 その後小野はもともとが常陸笠間藩士だったものを、大抜擢され幕臣となり、蒸気船の製作や東京湾の海防などに取り組む。彼の活動は明治維新まで続くが、維新後逼塞していた彼を明治政府はほっておかなかったのであった。

 小野の業績や人となりは作品に譲るとして、特筆すべきは、彼及び彼の育てた弟子たちの持つ。科学的精神だろう。小野のすべて足し算で物事は解決するという論理的思考は、その当時は異端だったかもしれないが、そういう考え方を持った人物がいて、しかも幕府や明治政府がそのような彼を重用したことが重要なのである。
 日本の明治維新とその後の富国強兵(特に産業革命)の成功の源は、すでに江戸時代から存在していた、このような科学的精神を持った人々が綺羅星のごとく輝いていたからである。日本はその当時経済的離陸をするために欠けていた、民主主義の欠落と交通網の不備を、このような科学的合理的精神を持つ人々の活用と資本の形成で補って、産業革命にとりついたのである。
 これが本作のメインテーマであろう。〆