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久しぶりに著者の作品を読んだ。彼女の「OUT]は衝撃的だったが、本作はまた違う意味で衝撃だ。ジャンルはサスペンスとしたが、社会派ドラマとしたほうが良いかもしれない。それくらい今の日本のみならず世界の社会情勢を将来を見て俯瞰した小説である。近未来小説といってもよいかもしれない。まあそういう分類はどうでもよろしい。
 私のような小説でも映画でも主人公に感情移入しながら見てゆくものにとって、この小説は実に恐ろしい。なまじのホラーなぞ足元にも及ばない。その怖さは、絶望的な怖さである。救いのない怖さ。それが著者の主題ではないにしても、私は主人公が感じる絶望感を共体験するべく、ページをめくるのだ。それは怖いもの見たさでもある。次に主人公はどんな恐ろしい思いをするのだろうか・・・・

 主人公はマッツ・夢井という、まあちょっと売れた女流小説家である。純文学的と云うより世相に合わせた、少々反社会的な描写、それは暴力や差別やもろもろの行動をとる主人公を置いた小説を書いている。しかし彼女・マッツ自身はコンブという5歳の雌猫を飼っている、ごく普通の女性である。劇団をやっている弟と痴ほうで入院している母親が数少ない家族である。
 彼女にある日総務省・文化局・文化文芸倫理向上委員会から出頭するよう手紙をもらう。読者からの提訴に基づき事情聴取するという内容で、JR線の房総の突端の駅に来いと云う。しかし彼女は心当たりがない。弟や出版社に相談するも、だれも何のことやらわからないのだ。仕方なく宿泊指定のためその用意をして現地に赴いた。
 しかしそこは一種の療養所であり、そこでマッツ・夢井の小説の矯正が行われるという。彼女は大いに抵抗するが、次第に閉塞感に陥ってしまう。これ以上は書くまい。

 総務省のよりどころは、ヘイトスピーチ法でそれの拡大解釈で多くの文芸人を強制して政府の都合の良い作品を書かせるというなんとも恐ろしい話だが、世界中を見ればそういうことが通っている国だってあるのだ。ソ連のかつてのスターリン時代を思わせる話でもある。表現の自由とその限界はそういう時代の国の問題だけでなく、先日起きたフランスでのイスラムに対する表現など枚挙のいとまがない。
ひるがえって、果たして日本ではそういう不安はないのか?これが著者の問題提起である。
 これは久しぶりに読んだ骨太のりきさくである。