2020年1月7日

とうとうコロナ第三波がとどまるところを知らなくなった。そしてついに非常事態宣言が発令される。ただし、1都3県が対象である。最大の自粛対象は飲食業界だが、その他では私が特に関心を持っているのはイベント関連である。
 白鵬がコロナにかかった、相撲協会ははたしてこのまま初日を迎えられるのか、定員を1/2に制限したホールは今発券しているチケットの数との整合性はどうか?夜八時以降の外出制限に対して、七時開始のオーケストラコンサートはどうするのだろうか?要するに決めるのはあなたのような非常事態宣言と云うのは名前だけのジェスチャーのような気がしてならないのだが?こんな対策では横ばいが良いところだという研究もあり、政治が危機管理に絡んでいない、無責任さが嘆かわしい。ますます絶望的音楽三昧に没入せねばなるまい。

 さて、昨日はカルショーとショルティについて書いたが、今日はカルショーとカラヤンである。カラヤンはEMIとグラモフォンとの契約の中間期にDECCAと契約を結び、ウイーンフィルと組んだ多くの演奏をカルショーのプロデュースのもと録音している。一部エリック・スミス(指揮者のハンス・シュミット・イッセルシュテットのご子息)ともかかわっている。
 全くの余談だがエリック・スミスと内田光子は後年ウイーン楽友協会ホールでシューベルトのピアノ曲集をCD八枚組で録音している。このピアノの音の素晴らしさは、カルショーの薫陶を得たスミスの力によるものだろう。内田の録音に際するスミスへの信頼も相当なものだったらしい。

 カラヤンの短いDCCAの時代のウイーンフィルとの録音はオーケストラ曲については九枚物で「KARAYAN LEGENDARY  DECCA  RECORDING」というタイトルを付けて発売されている。ここでの演奏については詳細は延べないが、ブラームスにしても(一番、三番)、ベートーヴェン(七番)、ドヴォルザーク(八番)そしてリヒャルト・シュトラウスの作品にしても後年なんどもベルリンフィルと録音されているが、私はそのどの演奏もこの時代のカラヤンを大きく凌駕しているとは思えない。むしろこの時代の実に生き生きとした演奏、大げさに構えない直截な演奏は何もにも代えがたいカラヤンのまさに遺産といえよう。
 カルショーの本「レコードはまっすぐに」から一つだけ逸話をを紹介すると、カラヤンは最初にカルショーと組む曲を「ツァラツーストラはかく語りき」にしたいといったとか!今日ではこの曲はポピュラーになっているが、その当時は指揮者が積極的に録音したい曲ではなかったそうだ。結局録音する事になったが、問題は録音会場のウイーンゾフィエンザールにはオルガンがないことだった。まあこれにカルショーはかなり苦労するが結局カラヤンも大満足だったらしい。後年この曲がスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」の冒頭のシーンで採用された、一躍有名になり、ベストセラーになったらしい。まあこういう話が「レコードはまっすぐに」にごまんとあるので、読み始めたらもう止まらなくなる。

 さて、カラヤンはDECCA/カルショーと組んで、素晴らしいオペラレコーディングを残した。これらはカラヤンの演奏でも代表作だし、これらの作品の決定盤ともいえよう。なお、録音技師はほとんどがゴードン・パリーであり、ワーグナーなどのオペラなどで培ったDECCAのオペラの録音の思想、つまりカルショーの思想だと思うのだが、ト書きの音化を達成しようとする、ソニックステージと云う技術が至る所で生きている。
 まるで話は違うがメトロポリタンオペラがルパージュの演出の下での、「リング」の公演はト書きの映像化であると云うのが自論である。オペラ演出がト書きから逸脱するのが当たり前になってきているこのオペラの世界で、ルパージュはまるでト書きにもどれと主張しているように感じた。これは余談。

カルショー13
 カラヤンがDECCAと最初に録音したのはヴェルディの「アイーダ」である。オーケストラはウイーンフィル、アイーダはテバルディ、ラダメスはベルゴンツィ、アムネリスはシミオナートと強力な布陣。1幕の恋のつばぜり合いから2幕の大行進曲、3幕の冒頭の神秘的な音楽、地下法廷の描き方、そして4幕の2重舞台。地下牢とアムネリスの居室の場面、などいずれもDECCAの録音が生きていて、あたかもオペラを見ているように人物が配されているのがわかる。これが1959年の録音とは全く信じられない。カラヤンは後年フレーニやカレーラスと再録音しているが、歌い手はともかくとして。カラヤンの指揮の若々しさ、その大仰にならない、直截さと云うべきものが何もにも代えられない。今もって、この演奏を超えるものはない。この作品の録音に際してのアモナスロ役についての逸も実に面白い。

 1960年にこのコンビが世に出したのが、ヴェルディの「オテロ」である。
カルショー14

 オテロはマリオ・デル・モナコ、デスデモーナはテバルディ、イアーゴはアルゴ・プロッティの布陣だった。当初はイアーゴはバスティアニーニだったようだ。しかし彼は演じる意欲はあったが、初役でもあり(舞台での経験はないようだ)、勉強不足もあり、プロッティに交代となったという話が残っている。バスティアニーニだったらどういうイヤーゴだったろうか?聴いてみたかったなあとも思うが、今残っているこのレコードの燦然たる輝きは永遠に続くだろう。アイーダ同様、カラヤンは後年EMIで録音するが、歌い手も録音もはるかに及ばない演奏といえよう。時代ははるかにさきなのに、録音ですら1960年盤に負けているということは、プロデュース力の差と云わねばなるまい。たとえいくら良い歌唱であっても、録音がお粗末であれば、それはレコード芸術として、トータルで価値が低くなると思うのである。ここでのカルショー/パリーの録音でのきめ細やかさは、私たちが舞台を見ているそのステージの音を再現している。
 余談だがカルショーはここでもオルガンで苦労する。「オテロ」の冒頭の8分も続く超重低音の持続音である。幸いうまくいって、カラヤンも気に入ったそうだ。後にそのテープを実演で使ったら、ホールのスピーカーが吹っ飛んだそうだが、オルガンの低音おそるべし。

カルショー15

 1962年にはプッチーニのトスカを録音する。レオンタイン・プライスのトスカ、ディ・ステッファノのカヴァラドッシ、タッデイのスカルピアと云うこれも強力な布陣。珍しいアメリカ人のしかも黒人のタイトルロールであるが、聴いた印象では違和感は全くない。見事な歌唱である。カラヤンの後年のリッチャルリよりもはるかにトスカらしい。ここでの録音の素晴らしさは一言でいうと絵画的といえよう。特に3幕の冒頭など音で聴く絵画の趣。鐘のもの悲しい音がなんとも悲しみを誘う。また一幕のスカルピアが登場してからの人物の動き、テデウムから最後までのスカルピアの動きが舞台上のように手に取るようにわかる。全く古さを感じさせないソニックステージの威力。人為的な音作りは今日ははやらないようだが、レコード芸術としてはこうあるべきだろうと私は思うのである。

カルショー16


 1963年にはビゼー「カルメン」を録音する。プライスのカルメン、フレーニのミカエラ、そしてコレルリのドン・ホセである。コレルリはアンナ・モッフォとも共演している。ここでのドン・ホセは彼のシッパースと組んだカラフ、マンリーコと並んで最高の歌唱を聴かせる。オテロのモナコに敵がないように、これらの役柄に対してコレルリの敵はいない。
 今日のテノールで代表されるのはカウフマンだろうが、彼の演じる役は非常に演劇的にきめ細かくて、芝居を見ているうえではよいだろうし、そういう意味では最近の演劇的な演出にあっているのだろうが、しかし声のみの魅力を取り出した時に、いつも物足りなさを感じる。
 先年、来日した際のリサイタルを開いたが、その時のラダメスの「清きアイーダ」などは実にきめ細かい歌唱だろうが、しかしオペラの中でこんな歌を聴かされて、アイーダを口説けるのだろうかと私などは心配になってしまう。


 カラヤンはカルメンも後年再録音している。アグネス・バルツァがカルメンを歌ったように記憶しているが、カラヤン自身63年に録音したものと比べて果たして、達成感があったのかどうか?古いものは何でもよいというわけではないが、しかしDECCAのショルティの演奏、カラヤンの演奏を聴くと、彼らがその当時如何に燃焼しつくした素晴らしいパフォーマンスを演じたということを痛感するのである。果たして今日の演奏家たちはこれだけの燃焼をもって音楽を録音しているのだろうか?新しいレコードを聴くたびにそう思うのである。

 なお、昨日の「リング」、そして「オテロ」、「カルメン」はいずれもSACD化されてさらに輝かしいDECCAの音が聴ける。