2020年12月23日

来シーズンの日本のオーケストラの定期公演の案内が届きだした。私は東響、東フィル、読響、都響、N響、そしてオーケストラではないが新国立、そのほか二期会や藤原もほぼシーズンを通して聴いている。

 今現在届いているのは東フィル、東響、そして読響である。来シーズンのオーケストラはN響をカットするつもりなので、都響の案内が来れば来シーズンの国内オーケストラの予定は確定する。あとはコロナ次第。果たして1月から始まるような東フィルはバッティストーニが振るのが、来日できるか不安は残る。それよりなにより、不安なく聴きに行けるかの方が問題としては大きい。

 まあ、それはおいておいて各楽団のプログラムを改めて比較するとそれぞれ特徴があり面白い。

 まず、東フィル。これは分かりやすい構成で、バッティストーニとチョン・ミュンフンが全8公演のうち6回振るのである。どれも名曲ばかりと云うのも東フィルの特徴。現代音楽はほとんどない、わずかにバッティストーニがピアソラと自作の曲を演奏する程度でそれもメインではない。
 目玉はなんと言ってもチョン・ミョンフンのブラームスの交響曲全曲演奏だろう。7月と9月の2回に分けて行う。それと2月の「復活」も楽しみだ。まさにコロナから復活できるマーラーであってほしい。
 バッティストーニは1月の「ダフニス~」の2つの組曲と「火の鳥」の組曲版が聴きものだろうが、全曲盤でないのが少々残念。
 唯一邦人では得意のラフマニノフの交響曲第二番と「パガニーニ~」を上原彩子と組んで演奏する。
どの回も名曲ぞろいでこういうのは実にうれしい。こういう曲たちですらライブではなかなか聴けない日本なのだから、つまらん現代音楽など入る隙間などないはずなのだが、今どきの指揮者はどうしても音楽的未開の日本人の蒙を啓きたいようだ。

 その代表が読響の定期だ。ただ読響は別に名曲シリーズと云うのを用意していて、名曲ばかり聴きたい人はそちらをどうぞと云っているので、筋は通っている。

 私の感覚で読響の10回の定期公演のうち名曲と云うものはモーツァルトの21番のピアノ協奏曲、シューベルトのグレイト、ブルックナーの五番、ドビュッシーの「牧神~」、プロコフィエフの五番、チャイコフスキーのピアノ協奏曲くらいである。
 あとはすべて近現代の音楽。例えばデュティユー、ヴァレーズ、マルティヌー、ライマン、アデス、メシアン、フアン・デル・アー、フランツ・シュミット、それと日本人で、諸井三郎、細川俊夫など。全部初めて聴く曲ばかり、勉強するのが大変である。こういう音楽はコンサートで聴いてもまず私なぞは通常右から左でもう2度と聴くことはない。
 そのほかでは最も意欲的なプログラムとしてシュトラウスの「エレクトラ」を演奏会形式で全曲演奏するのが注目だろう。これは常任指揮者のヴァイグレがふる。ヴァイグレはシーズン通算で3回振ることになっている。彼の公演ではでは12/14が名曲コンサートだろう。
 そのほかでは下野や山田(和樹)、鈴木(優人)など邦人も活躍する。

 東響の定期のプログラム構成は上記の2つの団体のちょうど中間に位置してまずはノーマルな構成だ(自分中心です)。音楽監督のジョナサン・ノットは全10公演のうち4回振ることになっている。
 注目はマーラーの一番、シベリウスの五番、ブルックナーの四番、あたりだろう。なかでもシベリウスは初めて聴くと思うので期待したい。その他では若手の原田慶太楼による、ショスタコーヴィチの10番、ベルトランド・ビリーのブルックナー七番、ウルパンスキーのカルミナ・ブラーナあたりが楽しみである。
 邦人は原田以外には沼尻と秋山が登場する。

 何度もしつこいが、問題は外来の演奏家たちが来日できるかだろう。そういう意味では不安は尽きないし、絶望感も残っている。


 さて、ライブにはもう来月の5日まで何にもないので勢いCDを聴くことになる。あたらしいCD を買おうかとレコード芸術の1月号を見たがどうも買いたいと思うのがない。唯一ペトレンコ/ベルリンのCDは魅力的だがCD,ブルーレイCD,DVDがセットになっているのでは手が出ない。なぜ分割しないのか、商売がせこいとしか言いようがない。まあペトレンコの演奏はなんどか聴いているが今焦って聴く必要はないとおもう。とにかく一度日本に来なさい。
 その他ではレコードアカデミー賞をとったカサドと云う指揮者のベートーヴェンの第九の演奏も聴いてみたいが批評を見ると、過去聴いたノリントンやジンマンの延長のような気がしてなかなか手が出ない。そんなこんなで結局新しいCDは買わなかった。

 ということで、勢い古い録音を聴くことになる。大体最初は内田光子のモーツアルトのピアノ曲を聴いて、後はシンフォニーかオペラで〆るのが毎日だが、最近聞いた中ではワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」をショルティが指揮したものがえらく新鮮だった。
 ずいぶん昔に買って殆んど聴かなかったが、音楽プロデューサーの「ジョン・カルショー」の自伝を読んでいたら急に聞きたくなった。これはビルギット・ニルソンがリングでブリュンヒルデを歌う条件に一年以内にトリスタンを録音したいといったらしい。しかしカルショーはトリスタン役にウイントガッセンを考えていたので、そのウイントガッセンのグラモフォンとの契約が切れるのを待とうと提案した。ニルソンは待てないと云い、結局、東奔西走して見つけたのがフリッツ・ウールというテノールだった。
 この時代トリスタンの録音と云えば初の全曲録音盤のEMIのフルトヴェングラー盤であった。しかしそれはモノラルであり音響的に物足りなさもあったので、カルショーはステレオ版の意義はあると考えたのであった。さて、今回聴いてみてフリッツ・ウールがなかなか良い。ウイントガッセンのような英雄的なトリスタンとは違う、繊細で若々しい歌唱は聴くに値するものだ。時折ニルソンに圧倒されるがそれは仕方がない。
 ショルティの力にみなぎった指揮ぶりはフルトヴェングラーの沈み込むような演奏とは対極であるが、今回聴いてこういうトリスタンだって決しておかしくないと感じた。なるほど神格化されたフルトヴェングラーの演奏で聴く2幕のブランゲーネの最初の警告あたりから以降は、もうこれ以上の演奏は考えられないものだろうが、SACD化されて音質が良くなった盤でも結局穴倉から聞いているように感じられ、自室では音響的には、ショルティ/ウイーンフィルの音響美を超えることができないのがものたりなさでもある。
 常時聞くならショルティ盤、陶酔したければフルトヴェングラー盤だろう。ベーム盤も良いが今回改めて聴いてみて、いみじくもカルショーが述べていた通り、演奏が少々速すぎるように感じる。若い時はベームが一番と思っていたが、年を取ったのかもしれない。クライバー盤はイゾルデのプライスが苦手で滅多に聴かなくなった。
 こうやってオペラを聴き始めると次々と聴き始めてしまいがなくなってしまう。これを音楽三昧といわずしてなんと言おう。〆