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2020年12月1日
於:新国立劇場(1階6列中央ブロック)

ヨハン・シュトラウス「こうもり」
指揮:クリストファー・フランクリン
演出:ハインツ・ツェドニク

アイゼンシュタイン:ダニエル・シュムッツハルト
ロザリンデ:アストリッド・ケスラー
フランク:ピョートル・ミチンスキー
オルロフスキー:アイグル・アクメチーナ
アルフレード:村上公太
ファルケ:ルートヴィヒ・ミッテルハマー
アデーレ:マリア・ナザロア
ブリント:大久保光哉
フロッシュ:ペーター・ゲスナー
イーダ:平井香織
管弦楽他:東京フィルハーモニー管弦楽団、新国立劇場合唱団、東京シティバレエ団

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メリー・ウィドーに続いてオペレッタ、こうもりを聴く。このプロダクションは2006年から続いており大体数年に一度、当劇場でかけられる、おなじみの出し物である。相変わらずの楽しい公演で、このコロナ禍の中、海外から多くの歌い手、そして指揮者まで呼べる公演ができたことは実に喜ばしいことだ。スタッフ、関係者のご努力はいかばかりだったか、感謝申し上げたい。

 先日の日生劇場の「メリーウイドー」は座席は一つ置きに座り、従来通りのコロナ座席配置だった。
今日の新国立も実はチケットを最初に発売になった時はそういう配置のはずだった。しかし今日会場に来てみると私の隣に人が座っている。いかなるわけかと歌劇場の方に伺うと、政府の緩和策に基づき、チケットの追加販売を行ったとのことだった。そういう連絡は来ていなかったように思うのだが、ちょっと杜撰な対応だと思った。

 まあ、それはおいておいて、本日の公演、安定感もあり、アハハと笑う場面のあり、楽しかったのは事実であるが、ただ少し演出としては疲労しているのではないかと思われた。たとえば笑いを取るギャグはもともとの台本にないのだから自由に行えるのに2006年以降全く変化がないのはどういうことだろうか?例えば1幕でアイゼンシュタインが出前を取る場面、相変わらずすし、てんぷらで笑いを取るのはいかにも陳腐。時代感を出したアドリブ的な台本が工夫できないものか?
 2幕のフランス語の掛け合いもしかり。
 また3幕でも、フロッシュは相変わらず焼酎ネタである。これもなんとかならないものか?この部分は日本語でもよいから、日本のコメディアンでもよんで自由にやらせたら面白いと思うのだが?確かどこかで一度やって面白くもなんともなかったのでもうやめたのかもしれない。

 要するに2006年から続けていると、何度も聴いている聴衆には歌も演技も同じなのだから、次は何をするのが皆わかってしまう。しかしそこでああ素晴らしい、ああさすがだ、すごい、おもしろい、と思わせるのが芸なのだろうと思うが、今日のメンバーではその殻は破れなかったように感じた。歌い手は欧州の劇場の専属歌手を招集したものだから、それぞれを見れば悪くはないのだけれど、今一つきりっとしたした感じがなく、時折、眠気を催してしまう。
 これは推察するに呼吸が今少しあっていないような印象なのだ。歌の入る微妙なタイミングのずれや、アンサンブルのまとまりのちょっとした違和感が微妙に感じられるのである。コロナで密接した演技ができないことや、練習不足が影響しているのではあるまいか?まあこれはぜいたくなことなのかもしれない。

 歌い手ではロザリンデのケスラーとアデーレのナザロワが印象に残った。1幕のアイゼンシュタインを加えた3重唱の楽しい歌と演技はとても魅力的。アデーレは2幕のアイゼンシュタインをやり込める場面や3幕のフランクに女優の才能を証明する場面ものびやかな声が好ましい。今日一番の拍手をもらっていた。ロザリンデのチャルダーシュも素敵だった。
 オルロフスキーはしっかりした声でその容姿も含め楽しませてくれた。

 男性陣は今一つパンチが効かない。正直言って印象に残る歌がない。3幕のアイゼンシュタインが怒る場面も軽快な音楽に乗って歌われるが、何となく音楽の美しさに流されている。総じて男性陣はシュトラウスの音楽の上澄みを聴いているような印象だった。アルフレートの村上は儲け役だが、3幕などもっとアドリブでオペラのアリアを歌ってもよかったのではなかったか?
 アドリブと云うと少し違うが、もう少し歌手の自発的な働きかけが音楽に会っても良いように感じた!

 指揮のフランクリンは若く見えるが何歳だろうか?彼の指揮もおそるおそるといっては怒られそうだが、音にパンチがない。たとえば雷鳴と電光も切れ味がない。全体にさっとなぞるような指揮で全体を支配する雰囲気は感じられなかった。演奏時間は2時間29分(2幕3幕の場面転換を含む)〆