今年のレコード芸術の8月号を見ていたら、エソテリックがカラヤンの指揮したモーツァルトの「ドンジョバンニ」をリマスター、SACD化したという記事が載っていた。まあ宣伝もあるのだろうけれど大絶賛。おもわず心が揺れる。
すでに通常盤を持っており、それよりなにより、「ドンジョバンニ」は今はクルレンティスの才気煥発、飽きることのない千変万化の演奏を聴き始めたら、もう他はいらないという気分であったから、本当にこれは迷った。

 カラヤンのモーツァルトはとても懐かしい。1974年の夏のザルツブルグで一挙に4つのモーツァルトのオペラの公演があったのだった。「後宮からの逃走」、「フィガロの結婚」、「コジファントゥッテ」そして「魔笛」である。このうち「フィガロ」と「魔笛」はカラヤンが指揮をしたのだった。幸いにもこの4公演をすべて聴いた。まだ30歳前の、オペラを聴き始めたばかりの私にとって、
猫に小判のような時間だったし、いまではほとんど何も覚えていない。しかしときおりそのときのプログラムを見て、如何にすごい公演で、いかにすごい歌手たちだったのか、今見ると驚きのキャスティングだったのだ。もう今のライブ公演でこのような公演は見ることはできないだろう。

 後年ムーティが、ウイーン国立オペラを率いて来日、神奈川県民ホールで「フィガロの結婚」を振った。1974年のザルツブルグと同じくポネルの演出だった。
舞台は懐かしかったが、歌い手は若手ばかりで何か、寂しかったのを覚えている。もうあの素晴らしいポネルの演出をウイーンでは見ることはできなくて、日本でも最後と云われただけに、もう少しゴージャスな歌い手で聴きたかったのだった。

閑話休題


ドンジョバンニ

 さて、結局SACD盤は購入することにした。もうすでに数度聴いていて、やはりこれはこの曲の定番演奏と云われ続けただけに、随所に聴きどころがある。
例えは悪いが、クルレンティスは頭のいい奴がくるくると次から次へと出し物を出してくる、聴いている方は面白くて夢中になるという塩梅だが、カラヤンの場合は
まるで大船に乗ったようで、実にゆったりまったりと音楽が進む。ただそれが決して嫌ではないのだ。1幕を聴いていてドン・オッタービオの歌が長いなあと思っていたら
居眠りをしてしまった、でも目を覚ましたら、まだオッタービオ君は歌っていたのだった。この音楽に覆い包まれた時間は、クルレンティスのはしっこい演奏では
味わえないだろう。しかし結局は両者の演奏は2幕の最後の大団円ではモーツァルトってーのは本当にいいなと思わせるのだ。
 ドンジョバンニはこのほか、ジュリーニ盤やショルティ盤、ベーム盤を時折引っ張り出してくるが、いまのところカラヤンとクルレンティスで間に合っているといった所だろう。

 エソテリックによるSACD化は成功している。詳しくはレコード芸術を見ていただきたいが、一言でいえば通常盤は額縁にはまった絵を見ているがごとき再生音。決して嫌な音ではなく、これはこれでカラヤンのモーツァルトをたっぷり味わえるだろう。しかしSACD盤はその額縁がない。広い空間は舞台を感じさせるし、声もオーケストラものびやかで、音に天井がない。

 なお、カラヤンの演奏はベルリンフィルである。やはりウイーンフィルで聴きたいと思うが、それはもうないものねだり。歌い手は女性陣のドンナ・アンナとドンナ・エルヴィーラの造形が物足りなく少々不満。
 クルレンティスの場合は歌手はドンナ・エルヴィーラのパパナタシュくらいしか知らない、国際的には無名に近い歌手たちばかりだが、彼のそのほかのフィガロやコジのように、発声法が通常と違っていて、実にピュアなため、歌唱が新鮮であり、切れのいオーケストラとともに、歌い手には不満がない。


ショルティ



 今月はもう一枚SACDを聴いている。正確に言えば2枚だ。ショルティの指揮でリヒャルト・シュトラウスの有名な交響詩をSACD化している。これはタワーレコードの企画である。演奏は定評のあるものだからうんぬんかんぬんいうことはないが、このセットの面白いのが曲によってオーケストラが違うというところだろう。通常のCDで聴いているとあまり意識しないが、SACD化されると、この違いがはっきりと分かってくる。例えば、「ツァラトゥストラはこう語った」はシカゴ交響楽団、
「英雄の生涯」はウイーンフィル、そして「アルプス交響曲」はバイエルン放送交響楽団。この3つの楽団でははっきりいって、バイエルンが一番聴き映えがしない。
例えばアルプスの「頂上にてからVISION」のクライマックスの部分の力感が乏しく聴こえる。シカゴのツァラトゥストラの1曲目、やウイーンの「英雄の登場」の場面を聴き比べればよくわかる。録音年代は数年と違わないのだから条件は一緒。まあホールは違うのでその変数と曲の違いは考慮に入れる必要があるが。

 余談だが、アルプスはティーレマン/ウイーンとカラヤン/ベルリンを聴くともう他はいらないという気になってしまう。ちょっとショルティの入るすきはないだろう。

展覧会の絵



 今月もう1枚CDを聴いた。これはSACDではなく、通常のCDである。フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮のレ・シェクル(オーケストラ)の演奏の「展覧会の絵」である。
 ロトの演奏は幻想交響曲にしても春の祭典にしてもすべてピリオド楽器、つまり同時代の楽器で演奏しているのが特徴である。このラヴェル編曲の「展覧会の絵}も同様である。
 これは説明が難しいが今まで聴いてきた、多くのメジャーオーケストラの名演奏とはまるで別のように聴こえる。誤解をおそれず、一言でいうとしなびたような展覧会の絵である。そこにはゴージャスな音の響きは全くなく、目を見張る音響効果はまるでないが、しかし例えば冒頭のプロムナードのトランペットや、ブイドロの地底から這い上がるような音楽、、リモージュの市場における音の運動、バーバーヤガにおける躍動感は、くすんだような輝きの中で、しなびた音楽のように聴こえるが、しかしそれはこのムソルグスキーがそもそも持つ、ロシアの大地からにじみ出るような音楽の根源を掘り当てたような気がしてならない。
 実に面白くて23日に入荷してから毎日聴いているが飽きない。