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2019年1月26日
於:東京文化会館(1階16列中央ブロック)

ヴェルディ「椿姫」、藤原歌劇団公演

指揮:佐藤正浩
演出:粟國淳

ヴィオレッタ:伊藤 晴
アルフレード:沢崎一了
ジェルモン:折江忠道
フローラ:高橋美来子
アンニーナ:鈴木美也子

合唱:藤原歌劇団合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

オペラの中でも最も人気のある「椿姫」、それを藤原が公演することはそれなりの覚悟があるはずだ。さもなければ今のお客は簡単にブーイングを飛ばすだろう。そして今日の公演はそのような藤原の気合が感じられる立派なものだったし、大いに心を打たれた。

 それは、こういうことだ。今日このオペラを聴いていて感じられたのは、このオペラの主人公たちは誰一人悪人はいないのだということだ。昨年のローマ歌劇場の公演ではマエストリのジェルモンがいかにも憎々しげにパワハラおやじをやっていたが、今日の公演ではそういうことはない。ヴィオレッタやアルフレードにそういう悪の心がないことは言うまでもないことだろう。しかしこうした善い心を持った人々がなぜ不幸になるのだろう。そして彼らはそれをどう乗り越えてゆくのだろう。そういうことを考えさせられた公演だった。そして悔いのない人生なんてないのだということも感じさせる。

 粟國の演出は常ながらオーソドックスなもの。衣装もヴェルディ時代に合わせているようで違和感がない。歌手の動かし方に無理がなく、不自然さもない。安心してみていられる舞台だった。装置は各幕とも大きな絵画が舞台上に並べられ、それが背景になる。1幕は女性や人物像、2幕は風景、2幕の幕切れから3幕は次第にこの額縁が怪しくなってきて、最後には絵画がなく素通しになってしまう。

 特筆すべきことは、指揮者の指示か演出家の指示かは不明だが、登場人物の心理描写の丁寧な表現だ。特に第2幕の1場、ヴィオレッタとジェルモンとの2重唱ではそうだ。ここで、ヴィオレッタはジェルモンの説得に屈するが、その時の悔しさとジェルモンの娘に対する嫉妬心は聴く者の胸を抉る。ジェルモンのやさしさは憎めない。彼は家族を愛し、そのためにヴィオレッタを説得したが、しかし彼の心はヴィオレッタの心情に大いに共感していたということが歌唱から伝わるのである。アルフレードはそういった心理描写から一歩身を引いた形ではあるが、2幕の2場ではその苦悩をさらけ出す、沢崎はそれを十分出し切ったとは言えないが、気持ちは伝わる。そのほか随所に人物の心理に光を当てた音楽が光る。指揮と演出の統一感によるものだろうか?
 その割には。管弦楽の響きがあまり耳に残らないのが少し面妖なこと。特に歌の部分になると、私の耳から管弦楽が消える印象。完全に黒子に徹したということか?演奏時間は129分。休憩は2回。2幕の場面転換は5分くらい。

 歌手について一言。ヴィオレッタは声に芯があるのが良い。したがって静かな部分でも声は通るし、盛り上がるところでも声が崩れない。さすがに1幕のカバレッタの部分では少々絶叫になったが、それはわずかな瑕。素晴らしいのは2幕での心理表現。ヴィオレッタの心情を思うと涙を禁じ得ない、そういう歌唱だった。3幕は2幕ほどではないが、「すべて終わってしまった」~「不思議ね」から最後までの歌唱は絶唱。「不思議ね」というセリフは各幕一回出てくるが、この3幕での消えなんばかりの歌唱は、彼女の生命の消滅につながっているのだろう。

 ジェルモンは上記通り。声は少々ふがふがだが、心理表現には存在感を感じるジェルモンだ。これほど一貫したジェルモンは初めて聴いた。ここでのジェルモンはただちにヴィオレッタの本質をつかんでしまうというところにユニークさを感じる。
 アルフレードは軽やかに、気持ちよく声が出るところに、いかにもアルフレードを体現している歌唱といえよう。しかし一方2幕1場の幕切れや、2場の幕切れの心の動揺は決して十分声になったとは感じられなかった。そこが課題だろう。

 脇役はアンニーナ以外はあまり冴えない。
 バレエシーンもソロが二人だけと云うのはあまり盛り上がらないが、無駄なことに金をかけたくないということだろう。
 全体の印象としては冒頭記したように、藤原歌劇団の力を十分感じた立派なものだった。

 ただ、トリプルキャストと云うのはいかがなものか?3つ組めることを威張っていたが、それは威張ることだろうか?それぞれ異なったキャストでの公演だから印象も違うだろう。それを楽しんでくれと云われても、3公演すべて聴くわけにはいかないだろう。疑問が残った公演だった。