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2918年5月24日

「素顔の西郷隆盛」、磯田道史著、新潮書房

NHKの大河ドラマを見ている。豪華キャストはさすがだと思うが、あそこで描かれている西郷は実像なのか、まったくの虚構なのか?とにかくよく叫び、わめき、泣く西郷でこんなのでよいのかともおもいつつ、維新に近づけばまた雰囲気も変わるのではないかと待っているところである。

 さて、西郷の関連の小説は自分なりに読んできたつもりだ。しかしどうも西郷のイメージがなかなかつかめないのだ。そのようなところ、書店で本書を見つけた次第。テレビ便乗とはいえ、人気歴史学者なら少しはかみ砕いて、西郷像を描いてくれるではないかと期待して読み始めた。
 新書版、300ページにも満たない本という限界があるにしろ、いろいろな資料による西郷の行動の挿話をちりばめていてずいぶんと読みやすい本である。ここでわかったのは、改めて言うのもなんだけれど、西郷の人物の巨大さというか、むしろ「奇怪さ」である。友から慕われ、下男とも分け隔てなく接し、民百姓にやさしく慈悲深いサムライという映像と、幕末の汚いばかりの虚々実々のたくらみを図る策士という映像、など同一人物の行動とは到底思えないのだ。赤子のような性格で、人からは好かれるとはいえ、職場の上司らに直言したり、とりつくろわないところは、扱いにくいやつだとにらまれても致し方ないだろう。「すごいらしいが、ややこしいやつ」と思われていたのだ。
 しかし彼は大久保ほど鋭利でもなく、勉強をしているわけでもないのに、革命思想というべき、幕府を倒し、更地に天皇を中心にした、新たな国を作るという発想をどこから得たのであろうか?これは彼の斉彬への師事、2度の流刑、多くの識者との交流から培ったもののであろうか?

 薩摩の有名な学者が西郷と大久保を評して「西郷は黄金の玉に瑕があるような感じ、大久保は銀の玉に全く瑕がない感じだ」、うまく表現していると思った。

 私がもっとも疑問に思っていたのは西南戦争である。あれは西郷が意図したものなのか、それとも私学校が暴発した時「ちょっ、しもた!」といったのが本音で偶発的なものなのか?西郷のような人物であるなら、巨大な薩摩軍団の解体などは、徳川幕府を倒し、維新政府を作り上げた男にとってみればそれほど難しいことではないのではないかと思うのである。西郷は意図して私学校や桐野や篠原らと接しなかったのは、やはり士族階層の連続する暴発の最終回を意図したと思われても仕方がないことではあるまいか?