2017年7月26日

まだ7月は残っているが、今月の読書の総括。

「水壁」高橋克彦著
阿弖流為シリーズの続編のようだ。9世紀の元慶の乱をモデルにした、蝦夷たちの反乱を描いている。本書では阿弖流為の4代後の「天日子」が主人公で反乱のリーダーとなる。都の安部玄水や出羽・陸奥の山賊などの人物を織り交ぜた、まずは一級の歴史小説となっている。朝廷方はほとんど実在の人物だが、蝦夷側はほとんどフィクションのようだ。出羽、秋田で飢饉が起こるが、朝廷は蝦夷を差別し、支援をしない。蝦夷側はそれに対して物部氏をバックに阿弖流為の子孫天日子をリーダーに立ち上がる。
 阿弖流為という人物は非常に魅力的な人物に描かれていたが、天日子は人物像としては肉付けが薄いように思った。蝦夷はすべて正しく、朝廷がすべて悪いという極端な描き方は仕方がないとはいえ、ちょっと物足りない。

「おもちゃ絵・芳藤」谷津矢車著
浮世絵の大家歌川国芳が亡くなった年から物語が始まる。筆頭の弟子の芳藤が主人公、それに弟弟子の芳年、芳幾がからんで江戸末期から明治にかけての日本画家の生きざまを描く、大変面白い作品。
 この本を読んで思い出すのは「アマデウス」のサリエリである。芳藤は筆頭ではあるが、天才的な画家とは言えない。才能はあるが、華がなく、丁寧さが取り柄。ただし自分以外の画家の天才は痛いほどわかる。そうして弟弟子にどんどん追い越されてしまう。芳藤には浮世絵など回ってこず、子供のための「おもちゃ絵」という新米画家がこなす絵しか依頼が来ないのである。しかし彼はそういう画家ではあるが妙に人から頼られている。そういう人物である。
 大きな時代の流れに当然画家たちも流されてゆくのだが、そして多くは流れに竿をさすのだが、芳藤はその流れの端に立ってじっと時代の流れを眺めている男のように感じた。サリエリとの違いはサリエリは世俗的な成功をしたが芳藤はそういうことがなかった。
 読んでいて興味深いのは彼の人生における岐路での選択である。ことごとく裏目に出るが、それはこの男の矜持なのだろう。自分だったらどういう決断をしただろう。そういうことを考えさせる小説だ。

「第五の福音書」イアン・コールドウエル著
バチカンを舞台に起きた殺人事件。それはバチカンでのある展示会を前にして起きた。被害者はウゴという学芸員で第五の福音書(4つの福音書を一つにまとめたもの))の研究の末、キリストの復活の際にまとっていた聖骸布の真偽を暴こうとしていたのである。容疑者はカトリックの司教シモン、そしてシモンの弟などが絡んだ一種のミステリのようだが、その実はまじめな福音書解釈をもとにした、カトリックと正教会と二分したキリスト教の統一を目指す大きな物語である。そういうなかでは殺人事件はほとんどみそっかすである。聖書に興味のある方にはおすすめ。

「バッタを倒しにアフリカへ」前野ウルド浩太郎著
アフリカにおけるバッタの農作物への影響は想像を絶するものらしい。雨季の後に大発生するという。著者はそのバッタ、サバクトビバッタを退治する研究のためにモーリタニアに行く。そして現地の研究所の人々と交流しながら、バッタの生態の研究、フィールドワークをしてゆく。
 本書はそういう一研究者の奮闘をユーモアを交えて描いている。もちろん面白いのはバッタやアフリカの砂漠に生きる生物の描写だが、それ以上に面白いのはモーリタニアの人々の描写である。また日本のポスドクの実態も興味深かった。日本にもこういう若い研究者がいるのだと頼もしく思った。

「下山事件・暗殺者の夏」柴田哲孝著
1949年の下山国鉄総裁轢死事件はノンフィクション、映画など数多の作品で描かれているが、本作は自身のノンフィクションをベースにした小説である。かなりの人物は実名で出ており、リアリティのある小説となっている。自殺説、他殺説と二分した事件だったが本書は他殺説をとっており、リアリティをキープしながら創作部分を織り交ぜて一級のサスペンスに仕上がっている。この事件に関心のある方は本作と著者の書いたノンフィクションと併せて読むと一層興味深いだろう。

「木足の猿」戸南浩平著
ミステリー文学大賞新人賞の作品である。主人公は奥井という元武士である。若い時に片足を失い義足である。仕込み杖をもち、居合の達人である。その男が「サムライ・ディテクティブ」になるというなかなか面白い設定である。時代は明治9年、奥井は17年間、同僚の藩士を刺殺した仇、矢島という男を、追いかけている。
 ある日玄蔵という怪しげな男から最近発生した英国人首切り連続殺人事件の捜査を依頼される。その下手人の一人が矢島というのである。奥井と玄蔵コンビの犯人探しも面白いが、それ以上に興味深いのは幕末から明治9年までの時代の変遷の描写である。サムライの没落、商人の台頭、外国商人の跋扈、文明開化の有様、そして貧乏人はいつになっても貧乏なまま残る。そういう社会風俗の面白さ、目の付け所の良い探偵ものであるが、社会派小説ともいえる。面白かった。

「駒姫」武内 涼著
秀吉が天下統一して世に安寧をもたらしたその時代、後の秀頼が生まれ、秀吉は秀次に関白職を譲ったことを後悔している。そういう折も折、秀次の側室として東北、出羽の駒姫が聚楽第に入る。それは秀次が高野山に追放されるわずか三日前のことである。当然駒姫は秀次に会うことはなかった。そして秀次は切腹を命じられる。淀君や秀吉の側近の思惑もあり、異例なことに39人の正室、側妾、そして子供たちは処刑ということになってしまった。不幸にも駒姫もその中に含まれていたのである。この小説はそういう数奇な運命の駒姫、その御物師(駒姫の衣装係)のおこちゃ、の二人を主人公に描いた歴史小説である。駒姫は最上義光の娘である。最上家を挙げて駒姫、おこちゃの助命運動を行うが、はたしてこの二人の運命はいかに?
 本作は、晩年の秀吉の老醜を描きながら、それに絡まるように、醜い争いの続いた戦国の世が終わっても、結局人間は醜い生き方しかできないのだと云う。秀吉やその側近は激しくデフォルメされている。そして最上家の人々はとても美しく描かれている。そのことを気にしなければ第一級の歴史小説だ。

今月はどれもみなそれぞれ面白かった。目の付け所の良さで「木足の猿」をベストにしよう。