2017年3月26日

「地の声」塩田武士著、講談社
グリコ・森永事件をモデルにした力作である。ここではギン・萬事件となっている。つまりギンガと萬堂製菓である。
 本作では犯罪を犯した者だけでなく、犯罪はそれにかかわる家族を含め多くの人生を崩壊させてしまうということを描いている。確か著者の作品で「崩壊」と云うのがあったがあれもそのような印象を受けた小説だったように記憶している。なお本作はノンフィクションではなく小説である。
 物語は曽根俊也というテイラーと阿久津と云う大新聞の記者を中心に展開する。曽根は父の遺品の中に難解な英文の文章と自分の少年時代の声が録音されているテープを発見する。そしてその内容は数十年前のギン・萬事件に関連するものと知り愕然とする。はたして父親は事件に関与したのか、俊也は調べ始める。一方阿久津は新聞社の年末年始特集でギン・萬事件を取り上げることになり、文化部の阿久津にも声がかかり取材班の一員になる。彼はハイネケン事件とギン・萬事件の細い糸をたどり欧州へ出張する。この2つのこつこつした情報収集の流れはやがて一つの大きな流れに合流するのである。
 本作の肝は俊也や阿久津の行う調査活動を丹念に描いていることだろう。特に人と人のつながりを解きほぐすさまは圧巻としか言いようがない。その相関図を自分で書きながら読み進んだのだが、自分で写したメモを読み返すと実に緻密なものである。
 本作にはうっすらと高村薫の「レディ・ジョーカー」や「マークスの山」の映像が浮かび上がり興味深い。
 いずれにしろこのジャンルでは最近読んだものの中ではベストと云えよう。

「騎士団長殺し」村上春樹著、新潮社
村上の最新刊である。彼の作品は3作ほどしか読んでいないのでえらそうなことは言えないが、読後はいつもなにか食い足りない様な気分が残り、自分の世界ではないなあと最近では敬遠していたが、本作はタイトルに惹かれてつい読み始めてしまった。
 モーツァルトのドンジョバンニの1幕でドンナ・アンナの父親の騎士長がドンジョバンニに殺される。それをモチーフにしたタイトルが本作であり、それが小説の中でどういかされるのかが非常に興味津津だったからである。なるほど騎士長のイデアが「私」とともにドンジョバンニを思わせる、「免色」氏にディナーに招待される場面など、オペラを彷彿とさせるシーンはないとはいえないが、ほんのわずかでありこの騎士団長殺しと云うタイトルの意は奈辺にあるのかよくわからなかった。
 まあそれはそれとして本作のつまらなさは登場する人物がみな実在感がないことだろう。ロボットとはいわないが、人形のようにみなふわふわして、切れば血の出る生身の人間の様に思えない、生きているにもかかわらず、生活臭がないというのもおとぎ話の様でちょっとついて行けないのである。皆きれいな服を着て良い車に乗って同じ世界で鬼ごっこをしているようだ。
 興味深いのは本作での道具立てである、例えばタンノイオートグラフを用いたアナログのハイエンドオーディオや使用する音楽、ショルティのばらの騎士なんて渋い。車へのこだわり、例えばジャガー、料理、お茶、もちろん絵画もそうである。これらはとても面白かった。村上ファンが読むとまた違う世界が広がるのだろう。

「屋根をかける人」門井慶喜著、角川書店
前作のの江戸の町を造る人々の物語も面白かったが、本作も知られざる人物に焦点を当て非常に面白い小説に仕上がっている。
 あとがきを見ると事実に基づいたフィクションとある。主人公のメレル・ヴォーリスは実在の人物である。アメリカ人で、1905年に単身、24歳で伝道のために来日、それから83歳で亡くなるまで日本に永住する。国籍も日本にうつし姓も妻の姓の一柳を名乗る。
 彼は近江商人の町の商業高校で教鞭をとる傍ら、バイブルの勉強会を開き、伝道活動を続ける。しかしひょんなことから関心のある建築に携わることになる。教会を中心にあまたの洋館を建てることになる。
 一方商才にもたけていてメンソレータムの国内販売権を取得し近江兄弟社を設立、事業でも成功する。最も多くの金は伝道につぎ込まれたらしい。
 本作の魅力はなんといってもこのメレルと云う人物の面白さにある。強い意思の力をもち、しかし人をたらすところもあり、あるときは軽佻浮薄にに思えるがそのフットワークの軽い行動力は日本の近代人にはないものだろう。伝道師あがりにもかかわらずマーケティングのセンスが抜群と云うのも楽しい。
 さらには彼の妻になったもと華族の満喜子のその当時では、女性としては、型破りの生き方も痛快である。その他メレルを取り巻く人物描写は皆生き生きして素晴らしい。終戦秘話は美しすぎるが、日米の懸け橋つまりメレルの場合は建築家だから屋根と云うわけだけれど、それがモチーフになっているのだからやむをえまい。とにかく面白い。

「氷結」ベルナール・ミニエ著、ハーパーブックス
欧州のミステリはなかなかえぐいがこれもその部類。しかし底が深い推理ドラマにもなっていて面白かった。
 スペイン国境に近い、ピレネーの山麓の小都市サンマルタンの水力発電所に併設されているロープウェイに、近くの大富豪所有の高価な馬の頭が吊るされているという通報が警察にあった。ツールーズ署のセルヴァス警部他憲兵隊のジーグラー大尉らが捜査に乗り出す。近くには精神異常凶悪犯罪者を収容した精神病院がある。事件はそこに収容されている囚人との関係が疑われている中、市民が二人惨殺され首つりにされてしまう。この描写はえぐい。
 セルヴァスとジーグラーは過去の事件とのつながりをたどっていくと思わぬ深みがそこに待っていたのだ。セルヴァスの捜査は緻密で面白いが、少々ドジなところがあって、コロンボのフランス版とは云えないが、ちょっとカッコ悪いところがいらいらするし、リアルでもあるのだろう。