2017年2月17日
於:NHKホール(18列中央ブロック)

NHK交響楽団、第1857回定期演奏会NHKホールCプロ
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
ヴァイオリン:諏訪内晶子

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲

ショスタコーヴィチ:交響曲第十番

諏訪内のシベリウスは何度めだろうか、たしかサロネンとのコンビでも聴いているし、CDも諏訪内かハイフェッツのものと並べて、愛聴している。シベリウスのこの曲のスペシャリストとは云わないまでも、得意にしているのは間違いないだろう。それにしてもいつも思うが彼女の演奏、ヴァイオリンの音の放射能力のすごさをいつも感じてしまう。2階や3階では聴いたことがないが、おそらく隅から隅までその音が響き渡っていることだろう。これはストラディヴァリウスの威力だけではなく、彼女の卓越した技量によるものだろう。にもかかわらずその繊細な響きはどうだろう。1楽章の冒頭の一節を聴いただけで彼女の音に魅了されるだろう。音楽はますます豊かにスケールアップして、感情の表現のきめ細やかさはこれ以上考えられないくらい、微に入り細に入り、えぐりだす。演奏時間もCDより幾分長くなっている。
 2楽章の美しさは言うまでもないことだが、素晴らしいのは舞曲風の3楽章である。ヤルヴィのサポートもあって、ここでの躍動感はCD以上のもので実に心躍ると同時に深い感動をもたらしてくれる。演奏時間は32分弱。アンコールはバッハの無伴奏ソナタ3番からラルゴ。諏訪内のこう云うスタイルの演奏を聴くと、ハイフェッツの爽快な演奏もまたいいなあといつも思う。だからこの2枚は離せない。

 ショスタコーヴィチの10番はライブではテミルカーノフ/読響の演奏が比較的新しい。その他CDではカラヤン、ヤンソンスを聴くが、正直積極的に聴きたい曲ではない。なぜならこの人の曲は後付けかどうかは別として能書きが多い。政治的な裏表を音楽に託すというのも気持ちはわかるが聴き手にはあまり知りたくない話だ。
 この10番もスターリンをモチーフにしているらしいが、そのなかに自らの名前の音形
DSCHモチーフも多用して、最終楽章でそれが完成形で出てくる工作までしている。2楽章ではボリス・ゴドノフを思わせる旋律も登場し、スターリンとだぶらせている、とか3楽章の3つ目の主題は大地の歌の1楽章からを思わせるとか、女性のイニシャルをあらわしているとか煩わしいことばかりだ。このようなエピソードは作曲者がメッセージを具体的に残したかどうかはよくはわからない。おそらく音楽学者の後付けだろうとは思うが、音楽を聴くうえでは少々うざい。まあ読まなきゃいいんだが!
 事実私の良く聴くヤンソンスやカラヤンの演奏ではDSCHもモチーフの強調はとうぜんだろうが、それ以外の要素はあまり感じられないので、演奏家にとっては無視なのだろうか?聴き手によってはそれが物足りないというかもしれない。
 ヤルヴィの演奏もその系列の様で、1楽章冒頭の暗澹としたスターリン時代を思わせる音楽はむしろ清冽で冷ややかな音楽に聴こえる。その後のクラリネットの1主題もねっとりとはせずに冒頭の雰囲気を保ってしっとりと聴かせる。私もこう云うスタイルの演奏が好きだ。2つの主題の提示部分の素晴らしさは本日の演奏でも特筆すべき美しさだと思う。
 2楽章はスターリンうんぬんと云うことではないが、実に暴力的な音楽で演奏もそうであるが、一方では、あまりにもあざやかでスポーティにすら感じる。
 3楽章の最初の2つの主題は1楽章の雰囲気をもたらす。それを破るホルンの音、そしてその後の諧謔的な音楽。ショスタコーヴィチしかかけないような音楽だが、作曲家の心情があらわれてはいまいか?そういう云う演奏に聴こえた。
 4楽章は解放の音楽である。冒頭のアンダンテは1楽章の流れだが、音楽の表情はずっと穏やかになっている。アレグロになって次第にDSCHのモチーフが完成形で盛り上がってくる。ここでのヤルヴィとN響のコンビはこのコンビの成熟を大いに感じさせる、運動能力が圧倒的である。この部分だけとりあげても、太刀打ちできるのはノット/東響くらいだろう。この一糸乱れぬ音の充実は本日のハイライトだろう。凄い演奏もあったものだ。
演奏時間は52分強。