2016年12月13日

「料理通異聞」松井今朝子、幻冬舎
今年のベストワンともいえる小説だ(私の)。
 江戸随一の料理茶屋、八百善を一代で築き上げた4代目栗本善四郎の伝記小説である。4つのエピソードにそれぞれ時代の経過を感じつつ、そのエピソードを語る形式だ。
小説は主人公の16歳1782年から、亡くなる1839年までが描かれる。この小説の面白さはいくつかある。
 まず善四郎という人物が実に面白い。もともとは法事などの精進料理を作る福田屋と云う店に生まれた(出自については読んでのお楽しみ)が、持ち前の負けず嫌い、おせっかい、旺盛な好奇心で料理茶屋の道を歩むのである。料理の達人ではあるが、それ以上に文人や各界の名士との交流が彼を大きくしてゆく。要するに半世紀の彼の成長の物語でもあるところがまず読ませる。
 さらに面白いのはこう云った文人もさることながら、それ以外の彼を取り巻く人物の描写が皆生き生きしている。幼馴染の繁蔵やみなしごのお徳(善四郎の父親が拾って育てる)、その夫の万次郎、それから善四郎の妻のお栄、身受けした芸者の冨吉、旗本の姫,千満などである。そして江戸の町の描写、商人、町人の描写も興味深い。
 最後にやはり一つ一つの料理のレシピや出来栄えが錦上花を添えるのである。

「地上の星」村木 嵐、文芸春秋
焦点の絞りにくい時代小説である。
 時は16世紀戦国時代の末期、ザビエルが日本に上陸した頃からは話は始まる。天草島の娘おせんは人買いに売られるが、アルメイダという南蛮人と兜布という日葡辞典を作っている男に救われる。そしてこのおせんが70歳過ぎて、島原の乱を迎える直前までの物語である。話はこのおせんと辞典編纂の物語かと思いきや、イエズス会の宣教師の話、天草の島を支配する五人の領主の話、その中の天草家の姫の話などがからまってきてどれが本線か私にはとてもつかみにくい作品だった。ただキリシタンの布教活動や、キリシタン同志の確執、天草がキリシタン王国になった背景なども描かれておりそれは面白かった。

「傷だらけのカミーユ」ピエール・ルメートル、文春文庫
ルメートルのカミーユ・ルヴェーベン警部シリーズの3作目である。「その女アレックス」、「悲しみのイレーヌ」に引き続きそのストーリーの卓抜さに驚かされる作品だ。
 本作はわずか3日間の捜査を描いている。宝石商強盗を目撃した、カミーユの恋人アンヌは瀕死の重傷を負う。カミーユは亡き妻エレーヌをやっと忘れかけた時に、出会ったアンヌの惨状にショックを受けるが、アンヌを守るために、アンヌとの関係を隠して、捜査を秘密裏に行う。やがて驚くべき事実が明るみ出てくる。これ以上書けないが、驚愕のストーリーであることは間違いない。文春海外ミステリー2016ナンバーワンの作品である。ルメートルの3部作では「その女アレックス」がやはり忘れられない。

「猫に知られることなかれ」深町秋声、ハルキ文庫
1947年、終戦後の混沌とした東京を舞台にした謀略小説。
 主人公は永倉、元香港の憲兵、藤江、陸軍中野学校出の元スパイの二人である。永倉は香港から戻り戦犯の疑いをかけられるかどうか不安な毎日を送り、自暴自棄になってヤクザの用心棒をやっている。その永倉をCATと云う組織にスカウトしたのが永江である。CATとは緒方竹虎がリーダーの組織で、GHQの支援を受け対共産、対旧勢力(軍人)などの扇動を食い止め、戦後の復興・独立への道をスムースにする役割をもっている。4つのストーリーからなりいずれもこの2人が絡む。それにロシアの支援を受けた元軍人や、GHQの民政局の支援を受けた一派、旧軍人のテロリストなどがからみそれらとの壮絶な戦いが繰り広げられる。戦後の混沌を少々あざとい描写ながら生き生きと描いているところが本書の魅力だろう。アクションが劇画風なのが少々興を削ぐ。

「逆転の大中国史」楊海英 文芸春秋
中国の中華思想に真っ向から立ち向かった力作である。
 中国4000年の歴史のうち、漢民族が中国(著者はシナとよぶ)を支配したのは、漢、宋、そして明であわせて1000年にも満たないという。例えば隋や唐は、鮮卑系の民族だし、元はモンゴル、そして清は女真族(満州)であり、その他浸食した民族はあまたありという。
 要するに中国の歴史の大半はユーラシア大陸の中部の遊牧民が支配していたというのである。さらにはこの遊牧民は独自に石器時代や青銅器時代などの文明を中国と並行してもっていたというのである。彼ら遊牧民は中国より劣等で中国に従属していたという話は中国による歴史のねつ造だと云う。
 多くの参考文献や写真はそれを裏付けている。
 ただ写真や地図が少々小さくて見にくいのが難点である。それと写真が著者の生まれのオルドス周辺のものが多いというのは少々視野が狭いように感じるし、資料の引用が日本人の論文が多いというのもちょっと気になるところである。
 それにしてもユーラシア大陸中部、西域の遊牧民族に焦点を当て、丁寧に描いた内容は興味深いものがあった。