2016年10月19日
於:東京オペラシティコンサートホール(1階17列左ブロック)

東京フィルハーモニー管弦楽団・東京オペラシティ定期シリーズ
指揮:アンドレア・バッティストーニ

ヴェルディ:歌劇「ルイザ・ミラー」序曲
ヴェルディ:歌劇「マクベス」より第3幕の魔女の舞曲
ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲

ベートーベン:交響曲第五番・運命

今年の十月に当楽団の首席指揮者に就任したばかり、あれよあれよという間に首席になってしまった。まだ29歳である。本日のプログラムはイタリアの歌劇から3曲とベートーベンと云うハイブリッドな曲目である。彼のキャリアからイタリアオペラの曲をくっつけられるのは致し方ないことだろうが、首席になったこともありそろそろそういうプログラムからは脱却して欲しい。そういう音楽は二期会などの公演で聴かせてもらえばよろしいのではないだろうか?余談だが彼の二期会との「ナブッコ」と「リゴレット」は歌手たちの非力さを忘れるほどエネルギーにあふれた素晴らしいべルディだった。要するにこういうオペラ公演とコンサートとは切り離したプログラミングをしてほしいものだ。来年オテロを演奏会形式でやるそうだ、まだ早い様な気もするが聴いてみたいような気もする。ただしっかりとした舞台で指揮してもらいたいというのが願望だ。

 さて、前半では2つのヴェルディがやはり抜きんでている。めりはりと云う言葉でさえも不適当だろう。若きムーティを思わせる威勢の良さ、しかし決してヴェルディの音楽をはみ出さない。ルイーザミラーのたたみこむような後半、マクベスの2曲目のなんとも異様なあでやかさは同じ指揮者の棒とは思えないほどだ。やはりかれはヴェルディでこそ本領が発揮できるものだと確信した。それに比べるとロッシーニは品がない様に思った。ヴェルディの様に指揮しては駄目と云うことだろう。

 ベートーベンは若さが噴出した、けれんみたっぷりな演奏である。若干29歳の青年指揮者が今ここでしか演奏できないという、そういう演奏に聴こえた。1楽章の提示部の前のめりの音楽は今一つ共感できない。音楽は軽く突っ走るが、一つの音が鳴りきっていないのに次の音がでてくるようなそういう印象である。オケの音が空回りしているようだ。展開部になると幾分落ち着くが、ここでのテンポ変動はすこしわざとらしい。そしてコーダの威勢の良さは迫力はあるが、どっしりしたドイツ音楽とは一線を画したもの。しかしこの痛快な音楽の運びは従来のベートーベンが鼻につくつくという人には良いかもしれない。
 流石に2楽章は落ち着きをみせたしっとりとした音楽運び、しかしところどころ木管などのしなを作るような部分はオペラ風と云うのだろうか?少々違和感があった。終結部はまたあわただしさが戻る。
 3~4楽章は苦悩から凱歌へという音楽には感じられないが、颯爽としたスポーティなベートーベンが聴ける。3楽章の中間の低弦は象が軽快なステップを踏んでいるかのような不思議な音楽。軽さと重さの両立。そして4楽章への突入への経過部分は美しいが少々外面的。しかし凱歌になるとフェラーリが驀進する様なそういう音楽になってしまってどうも落ち着かない。終結部は凄まじいスピードで、これは力技で決めた投げの様だ。これはこれで興奮するが、ボルトが世界新記録を出したのを見ているような、そういう興奮なのである。
 さて、この演奏を録音していたようだが、バッティストーニは聴きたいだろうか?なお演奏中ジャンプするのはよいとしても、叫ぶのはやめた方が良い。演奏時間はカラヤンとほぼ同じ31分だが、別の音楽を聴いた印象だった。アンコールはラフマニノフのヴォカリーズ。これは思い切り歌わせた素晴らしいもの。ここに一つの適性を感じた。