2016年6月19日
於:東京文化会館(1階19列右ブロック)

英国ロイヤルバレエ・来日公演
 プロコフィエフ「ロミオとジュリエット」

振り付け:ケネス・マクミラン
指揮:クーン・ケッセルズ

ジュリエット:マリアネラ・ヌニェス
ロミオ:ヂアゴ・ソアレス
マキューシオ:ヴァレンティノ・ズケッティ
ティボルト:ベネット・ガートサイド
ベンヴォーリオ:ジェームズ・ヘイ
パリス:ヨハネス・ステパネク

管弦楽:東京シティフィルハーモニック管弦楽団

通常日曜日の公演は14時という意識があったせいか、今日の公演も14時からと思い込んでしまった。文化会館に着いたら人けが少ないのでおどろいてチケットを見たらなんと13時から、早く云ってよ、と云っても後の祭り。ただ幸運にも1幕の最後のバルコニーの場の直前に会場に入れてくれたので、そこから鑑賞することになった。
 しかし、今日の会場は凄いことになっていた。昨日のニッセイオペラもご婦人が多かったが、今日はその比ではない。目の子だが女性比率は8割を超えていた様に思った。従ってトイレが大変なことになっていた。新国立などはバレエの公演の時は男子トイレを片側女性に開放していたが、文化会館はその様な気が回らないらしい。まあ音楽とは関係ありません。バレエの女性比率は高いのは通例だが今日の様なのはあまり経験ないことだ。気のせいかオペラよりも年齢も若いのでなにやら華やいだ雰囲気だった。

 さて、このロイヤルバレエのマクミラン版の振り付けはもう何度も見ているものだが全く飽きない。いろいろな振り付けを見ているが、やはりこの版が最も良いと思う。それは第一に見せ場の踊りが実に感動的にできているからに他ならない。説明なぞはいらない、その踊りにひたることでこの悲劇を私たちも共体験できるのである。例をあげると、1幕のバルコニーの場、2幕のタイボルトの死の場面のキャピュレット夫人の悲嘆の踊り、3幕のロミオとジュリエットの別離、バレエなのに踊りを排した、苦悩を表わしたベットに腰掛けたジュリエットの姿、そして幕切れの場面、どれもこれも音楽とフィットし、見るものの心を揺さぶるのである。もうひとつ群衆シーンの描き方の見事なことだ。例えば1幕の市場や騎士の踊り、2幕の祭りなどはこれ以上のものは考えられないほどの素晴らしい振り付けである。

 この振り付けは1965年初演らしいからもう50年も生き続けて、まだ私たちを魅了しているのである。これは20世紀の舞台芸術の永久に残すべき作品の一つだと、今日のこの公演に接して改めた感じた。私見であるがその他残すべきものはハルトマン/オットーのばらの騎士、ポネルのフィガロの結婚、ゼッフィレッリのボエームなどである。

 今日の公演はいままでの公演とほとんど同じだが装置が少し変わっている。3幕のキャピュレット家の墓の場面、舞台には大きな石造りの建造物がありその下にジュリエットの棺がある。その建造物には巨大な人物像が彫り込まれている。それ以外の装置や踊りに変わりはないように思った。

 今日の踊り手たちに四の五のということはない。どの踊り手も素晴らしい。タイトル役の二人は当然だ。特に3幕の2人の死の場面は涙を禁じ得ない、素晴らしいもの。ただ3幕の冒頭のロミオとジュリエットの場面はカットもあったせいか少々淡白に感じた。パリスとの結婚を強要され絶望のどん底のジュリエット、苦しみに耐えつつベットの端に腰かけ身動きできない、しかし決然として、立ち上がり、ローレンス神父の元に向かうジュリエットはもう少女ではない。この変化も十分感じ取れる踊りだった。
 その他ではマキューシオ、明るく、陽気な、若者を演じていた。キャピュレット夫人の悲嘆の踊りはなかなか難しいと思うが、もう少しオーバーにやってもよかったのではなかったろうか?コベントガーデンでこの場面をはじめて見た時はそれは驚愕のダンスだった。もう30年以上前のことだ。いまもってあれ以上のキャピュレット夫人にはお目にかかったことはない。バレエ団による群衆シーン、前半は見そこなったが2幕の祭りの場面は大変素晴らしかった。
 管弦楽は日本製だが少しむらを感じた。音楽の枠組みとしては何の不満も感じなかった。なお3幕を中心にかなりカットしていた。3幕の5場、6場は全部カット。2~4場は部分カットだった。しかしこのカットは無理がなく全体の舞台を損なうようには感じなかった。これは1984年のDVDと同じである。