2016年5月25日

「白鯨との戦い」 クリス・ヘムスワース主演
原題は「IN THE HEARTS OF THE SEA」、間抜けな邦題だと思う。
 メルヴィルの「白鯨」のモデルになった捕鯨船エセックス号の悲劇を描いたもの。なかなか見ごたえのある映画だ。同名の小説を映画化した。
 小説家メルヴィルは噂の巨大鯨を題材に小説を書こうとしている。エセックス号がその鯨に破壊されたという話をくわしく聴くためにエセックスの乗組員の一人ニカーソンに会う。事件から30年近くたった1850年のことである。口の堅かったニカーソンの語る内容は恐るべきものであった。エセックスは出航して1年以上たつが鯨影は見当たらなく、やがて彼らは太平洋の奥深く未知の海域に踏み入れる。そこには入れ食いに近い鯨の群れがいたのであった。新米船長とベテラン一等航海士はお定まりの確執があり、それはこの映画の前半の見どころではあるが、実は些細なことで、本線はこの鯨の群れに遭遇してからなのである。そこに待っていたのは人間を憎む悪魔の様な巨大鯨だったのである。鯨漁の迫力ある場面や、漂流する乗組員の苦悩など見せ場はたっぷりである。しかしこの映画が語っているのは自然を征服しようとする人間の傲慢さであろう。その傲慢さを打ち砕いたのが「白鯨」だったのだ。
 この当時の鯨の乱獲ぶりは凄まじいもので、油をとるためにのみ殺す実に残酷な漁だった。またその背景には鯨油が産業革命にとって必須のものであり、ビジネスが巨大であったことも示しているのである。今日の鯨の保護を欧米の人々が声高にとなえているが、おそらくそういう人に限って今日の鯨の絶滅危機は自らの祖先がもたらした結果だということを忘れているのであろう。

「悪党に粛清を」マッツ・ミケルセン、エヴァ・グリーン
この映画も油が絡む。変わり種の西部劇である。ジョン(ミケルセン)とピーターの兄弟はデンマークからのアメリカ移民である。移住してから7年の1871年、彼らはやっと家族を呼べるまでになる。しかし妻子を呼んだジョンには過酷な運命が待ってた。なんと駅馬車に乗り合わせていたならずもの(ミケルセンが住む村のボスの弟)に妻子が殺されてしまうのである。兄のピーターも惨殺され、ジョンは単身仇打ちに乗り込むのであった。この映画には大きな背景があって、村のボスは東部(?)の石油会社に依頼されて彼の支配している村の住民の土地を買い占めるためにボスになっていたのである。この村は油田のど真ん中にあったのだ。映画はこの背景の油田買収劇とジョンの仇打ちが交差しながら進む。それにボスの弟の妻(グリーン)の話も挿入されて案外と面白くできた西部劇だった。それにしてもエヴァ・グリーンがインディアンに舌を抜かれた黙役とは驚きである。

「顔のないヒットラーたち」ドイツ映画
1958年のフランクフルト、戦争が終わって13年たち、ナチの戦争犯罪については殺人犯以外は時効となり、ドイツ人の間では忘れたいという気持ちもあり、次第に過去のナチの記憶が薄れつつあるころの話である。若い人々はもうアウシュヴィッツの名前も知らない、その中で1963年のアウシュヴィッツ裁判を指揮するラドマン検事の孤軍奮闘の物語である。ラドマンは新米検事で交通事故の処理ばかりの毎日に飽き飽きしている。そこへアウシュヴィッツの親衛隊員に対する告発がなされる。検事たちは無視をして手を出さない。ラドマンはユダヤ人の検事総長の支援も受けて調査を開始する。しかしその当時ナチの残党が官憲の上層部に入りこんでおり、ラドマンに圧力がかかる。
 ドイツでのナチスの復活を阻止する契機となったアウシュヴィッツ裁判への道を克明に描いた見ごたえのある作品である。「帰ってきたヒトラー」などというタイムスリップものの小説がベストセラーになるなどヒトラーやナチの話題に事欠かないドイツであるが、絶えずこういう警鐘を鳴らし続けてゆくのであろう。

「ヒットラーの暗殺、13分の誤算」ドイツ映画
これもヒットラーものである。1939年ミュンヘンでヒトラーの暗殺未遂事件が起こる。犯人はゲオルグ・エルザー、ドイツの地方の出身の赤色戦線の一員だった。ベルリン刑事保安局長やゲシュタポの執拗な取り調べを受ける。果たして単独犯なのか組織犯なのか、尋問とエルザーの回想シーンで話は展開する。ヒトラーの暗殺事件と云えばシュタウフェンベルク大佐によるものが有名であるが、これはもう一つの暗殺事件である。当時のヒトラーやナチスが社会に浸透してゆくありさまが描かれている。これも見ごたえがある映画ではあるが、本線とはあまり関係ない、エルザーと人妻との不倫について長々と描かれているのは、緊迫感を緩め、興を削ぐ。

「劇場版・MOZU」西島秀俊、香川照之、真木よう子
ひどい映画である。良く原作者がOKを出したなあと思う。
 テレビ映画化されていたもののこれはその続編である。テレビシリーズは最初は面白かったがだんだんつまらなくなってきたのは倉木(西島)の不死身が度を超えだしたからだろう。本作でもその点は云える。ハリウッド製の映画でも相当ひどい作りはあるが、本作の不死身振りもちょっとあり得ないほど。話も日本にいたと思ったら「どこでもドア」じゃあるまいし、突然東南アジアの街での追跡劇があったり、ダルマの手下の伊勢谷友介がちょっと出てきてはすぐ消えるのは意味不明だし、ちょっと台本がひどすぎやしないだろうか?役者も本気で演じているのかよくわからないが皆相当ひどい。特に松坂桃李の殺し屋は見ていて恥ずかしくなる。松田勇作の真似をしているようだが、松田がこれを見たら怒るだろう。