2016年4月22日
於:NHKホール(1階20列中央ブロック)

NHK交響楽団、第1833回定期演奏会Cプログラム
指揮:レナード・スラットキン
語り:山口まゆ
アコーディオン:大田智美

ベルリオーズ:歌劇「ベアトリスとベネディクト」序曲
武満 徹:系図(ファミリーツリー)ー若い人のための音楽詩
     (谷川俊太郎の詩による:むかしむかし、おじいちゃん、おばあちゃん、
      おとうさん、おかあさん、とおく)

ブラームス:交響曲第一番

ごちゃまぜのプログラムだがそれぞれとても素敵な演奏だったので、ゴルフ帰りでへとへとだったけれど睡魔にも襲われずとても楽しんだ。

 ベルリオーズは「から騒ぎ」らしく強弱緩急明快な曲だが、輝かしいべルリオーズのサウンドを十分楽しめた。今日のN響は全体に音バランスが良く音楽の座りが良い。通常だとどうしてもベルリオーズの輝かしい金管が突出して騒々しい音楽になりがちであるが、そうはならないところがベテランの音作りだろうか?

 武満の「系図」は今年の1月30日に山田/日本フィルのマーラーチクルスで聴いたばかり。2度目だけにより楽しむことができた。大体武満の音楽はほとんど眠気を誘う様なものばかり(失礼)だけれど、この曲は初めて武満の音楽を楽しんだ曲である。1995年に本日の指揮者のスラットキンのよって初演されたと記録にある。そのせいか、はたまた冒頭書いたように2度目のせいかは分からないが随分と心が動かされた演奏である。この曲は若い人のためにと云うことになっているが、作曲者の狙いとは違うかもしれないが、私の様な老人にも十分感情移入できる音楽であると思う。最初の「むかしむかし」を聴くと自分の子供の頃が妙に思いだされてその頃の自分がいとおしく思われるのである。「おじいちゃん」、「おばあちゃん」、の年齢になっている自分だが、この音楽を聴いていると自分の様な気がしない。孫たちが自分のことをこう思っているんだと思うだけでまた今度は孫がいとおしくなるのである。「お父さん」、「お母さん」は何年も前になくなった両親の顔が思い浮かぶ、そして最後の「とおく」も少年時代のことが思い起こされこれは郷愁というよりもむしろ切ない想いに近い。全体の音楽の隠し味のようなアコーディオンの物悲しいムードが、目立たないが、この曲を支配する。ただアコーディオンは指揮者の前よりも山田の時のように指揮者の少し右側のほうが演奏がみえてよかったように思った。山口の語りは1月の上白石よりもさらに幼い感じで、こちらの方が曲想にあっていいた。1月に聴いた時にも感じた木管やホルン、アコーディオン、弦で奏されるこの曲全体を通して聴かれる美しい音楽は更に印象に残った。

 ブラームスも大変見事な演奏。第一にN響のサウンドが素晴らしい。特に弦楽部の充実ぶりは先日文化会館で聴いた「ジークフリート」に共通するものである。高弦はけっしてきらびやかにはならず、渋いとは云わないが、落ち着いた音がブラームスに相応しい。更に低弦部の重厚さも忘れがたい。この様な弦楽部があると、金管は更に生きるのである。ピラミッド型の音場は味わえるのである。
 1楽章は主部に入ると実に若々しい勢いを感じるが、さりとて2主題の美しい音楽へのケアも忘れない、じつに気配りの整った、聴きごたえのある演奏である。緩急の気持ち良いテンポ配分がいかにも高級な音楽を聴いている感じにさせるのだ。
 2楽章は最初のクラリネットやオーボエが美しい。しかしこれは胸を締めつけられるような切なさは味あわせてはくれない。反面楽天的な、夢を見るような音楽に聴こえる。まるで陶酔するように聴こえる弦の美しさ。これはこれで素晴らしいブラームスだろう。3楽章はもう少し勢いがあっても良いがグラチオーソの部分が生きているように思った。
 4楽章は熱演である。序奏は緩やかで主部は速いと云うのは古今の名演奏でもあるパターンで新しくもないが、それでも十分効果的で音楽の熱気を感じられる。コーダの部分のティンパニの炸裂は指揮者の指示だろうが、強烈の一言、圧倒的な終結を演出する。もう自室では滅多に聴かないこの曲だが、こうやって名演に接すると、名曲だなあと改めて感じるのである。演奏時間は約47分。

 
追記
コンサート開始前に熊本地震の犠牲者の皆さまへの哀悼の意として、バッハのアリアを演奏。その後黙とう。