2016年2月21日
於:サントリーホール(1階18列中央ブロック)

ダニエル・バレンボイム/シュターツカペレ・ベルリン来日公演

モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番

ブルックナー:交響曲第九番

バレンボイムのブルックナー全曲演奏会も今夜が最後だ。5,7,8、そして今夜の9番と聴いてきたが会場はしり上がりに満席に近くなってきて8,9番はほぼ満席だった。

 バレンボイムのこのモーツァルトの23番のひき振りは1989年のベルリンフィルとのコンビでCDで聴いている。この演奏の愛聴盤とは云えないが、ときどき引っ張り出して聴いている。私にはこの可愛らしい23番、バレンボイムは少し立派すぎるように思うのである。大体ひき振りをする人は思い入れが強くなって私はあまり好きではない。この曲の愛聴盤は内田/テイトの古い盤である。いかにも上等な音楽を聴いた気がする。しかし彼女のクリーブランドをひき振りしたものは今一つ共感できない。とても立派な演奏なのだろうが、何時も聴いた後こんなに立派にしなくてもと思ってしまうのである。

 さて、今夜の演奏はバレンボイムのCDとは外見はにているが印象は随分と違うような気がする。音楽は立派すぎるくらい立派なのは間違えないが、そこには若干柔軟性が加味されてヴィヴィッドなモーツァルトを感じさせる演奏だ。2楽章のピアノの美しさは云うまでもないが、素晴らしい楽章は3楽章である。まさに天馬空をゆくとはこのことである。冒頭のフルート(このフルートは本当に素晴らしい、五番の1楽章のフルートソロは忘れられない)、クラリネット、オーボエ、そして2丁のファゴットがもくもくと雲のように湧き上がる様はこの名曲を聴く醍醐味だろう。そしてピアノのなんと若々しいことだろう。久しぶりにこの曲を楽しんだ。演奏時間は25分。
 アンコールは同じくモーツァルトのピアノソナタ10番の2楽章と3楽章。ここでは2楽章の中間部分の陰鬱さが前後の明るさとの対比で素晴らしい陰影を作る、そして3楽章のアレグレットの対極的な音楽。まるでブルックナーのように音楽が変化して感動的だ。

 ブルックナーの九番は七番や八番と比べてそん色はない演奏とは思うのだが、私にはどこかしっくりこない演奏だった。彼のシカゴとの録音は相変わらずの起伏の多い力強いものだが、今夜はそういう緩急の大きな変化は少ない。ただその反面音楽は妙に平坦になってバレンボイムらしさに欠けたような気がするのである。それゆえか両端楽章の音のクライマックスは盛大なものだが音楽がとても単調に聴こえてならなかった。ティーレマンが来日時に演奏した九番もこの様な印象で大きい音量だけがやけに耳についたのを覚えている。そう、盛大に音を鳴らし過ぎと云うのが両者の共通点かもしれない。2楽章の様なスケルツオなら良いが、3楽章のアダジオの様な部分の例えば第1主題の見事な第2楽句をあのように盛大に鳴らされると聴いているうちにだんだん気持ちが冷めていってしまうのである。もちろんこの後の生と決別の音楽との対比だと云うことはわかるが、このところなかなかこのこの曲の良い演奏には会えないのである。こちらが年をとった証拠かもしれない。
 素晴らしかったのは3楽章の最後のホルン、ワグナーチューバの重奏である。この部分の厳粛さはちょっと他の部分と場違いなくらいに感じたほどだった。ちょっと今夜の演奏は咀嚼に時間がかかりそうだ。演奏時間は60分でシカゴとの録音とほぼ同じ。ノーヴァック版による演奏である。