2016年1月28日
於:新国立劇場(1階16列左ブロック)

モーツァルト「魔笛」新国立劇場公演
指揮:ロベルト・パーテルノストロ
演出:ミヒャエル・ハンペ

ザラストロ:妻屋秀和
タミーノ:鈴木 准
パミーナ:増田のり子
夜の女王:佐藤美枝子
パパゲーノ:萩原 潤
パパゲーナ:鷲尾麻衣
モノスタトス:晴 雅彦
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京交響楽団

久しぶりに日本人のみの公演である。昔はダブルキャストで海外組と日本組とで公演が分かれていた。シーズンで買った人がよく会場で日本組の公演とは知らずに来たためか文句を言っているケースが散見されたのだが、流石に最近の日本人の水準は随分と上がっていてそういうことはないようだ。
 しかし、考えて見ると新国立劇場での純血主義というのはいかなる意味があるのだろうかと思う。二期会や藤原はほぼ純血主義できていて出来不出来はあろうが、それはそれで筋を通した公演であると思う。しかし新国立では適材適所主義でゆくはずではなかったのか?つまり海外の生きのいい歌手と日本の中堅歌手との組み合わせである。それで成功してきたと私は思っている。その成果が昨シーズンの「パルジファル」だと思う。今後ともこの純血主義を新国立劇場で採用するならそれなりの意味を持つ必要があるだろう。少なくとも今日の公演ではなぜ純血主義をとったのか私にはよくわからなかった。二期会や藤原と競合しても意味のないことではないだろうか?
 今シーズンも半ば近くなったが、作シーズンに比べると今までのところはちょっと物足りない。2年目で手を抜いたわけではないだろうが?新制作の「イェヌーファ」や「ウェルテル」それとフォークトの登場する「ローエングリンに」期待しよう。

 さて、今日の公演である。決してつまらなくはないが、さりとて過去聴いた本作のベストとは思えなかった。「魔笛」は人気作品らしくて公演が多くほぼ毎年聴いている。最近ではプラハの公演が良かった。これがライブでは私のベストだ。演出で面白かったのは昨年の二期会の公演だ。
 本公演のハンぺの演出はもう今日で3度目だろう。ト書きを逸脱しない、オーソドックスな演出は音楽を楽しむのにふさわしい。しかし簡素な舞台だけにそれだけ歌い手の演技や歌唱の力が試されると云えよう。
 今日の歌い手ではまずパパゲーノの萩原をあげたい。彼のパパゲーノは過去新国立と二期会の公演で一回づつ聴いているが、今回が最も素晴らしいと思った。それはまず力みのない自然な歌唱であるということだ。前回の二期会では1幕が少し力んだのか固くてちょっと物足りなかった。だから1幕のパミーナとの2重唱もあまり楽しめなかった。(2幕以降はそのようなことはなかったが)しかし今回はそのようなことはなく最初からパパゲーノになりきった歌唱と演技だった。おそらく本人も自信をもっているのだろう。そういうことが感じられる歌唱であった。続いてザラストロの妻屋が良い。この人はあまり演技がうまくないのか所作を見ているとわざとらしさが先に立ってしまうが、今日のザラストロの様な役だと静的な役どころなのでそういうあらが目立たなく、誠にゆったりとした自然な声を楽しむことができた。タミーノのリリカルな声は魅力的である。しかし聴き終った後の印象に乏しいのはいかなることだろうか?個人的に云えばこのオペラのなかでタミーノほど魅力のない役柄はいないのではないかと思っている。きっとそのせいだろう。

 女声陣のパミーナの初々しい声はまことに魅力的である。そう、一聴すると実に美しいのである。しかし例えば先ほどのパパゲーノとの2重唱。最初は実に素晴らしく聴こえる。しかし最後に歌い上げるところでの力感が乏しく、歌が尻つぼみで終わってしまったのは残念である。これは夜の女王の佐藤にも云えることである。1幕のアリアでは最初はなんて豊かな素晴らしい声だろうと思っていたら最後は声が細くなり、力が乏しく、尻つぼみで終わってしまう。昨年聴いた、二期会の「リゴレット」でもそうでちょっと聴いただけだと歌い手は皆実に美しいが、音楽の根源的な力を出すところでどうしても非力を感じてしまう。今日の公演も全体にそうで、何か綺麗事で済まそうと云う感じがして仕方がなかった。モーツァルトだから穏やかに演奏すればことたれりというわけにはいかないと思うのだが!
 これは指揮者にも感じたことだ。序曲から音楽は穏やかである。モダンオーケストラによる伝統的演奏と云えばそれでおしまいだろうが、それにしてももう少し力感が欲しい。ただ1幕のパパゲーノとパミーナとの2重唱や2幕の最後のパパゲーノとパパゲーナとの2重唱などに付けた音楽は実に美しく、楽しく、聴き惚れてしまうほどなのだが!
 なお演奏時間は153分だった。