2015年7月29日

「砂の王宮」楡 周平著(集英社)
昭和22年、神戸三宮で薬屋・誠実屋を営む塙太吉は戦後のくすり不足に便乗した商法で成功、やがてスーパー業界に進出、関西を中心に拡大し、ついには東京へ進出、大企業に成長する。
おそらくスーパーダイエーの創業者をモデルにした小説だと思われるが、痛快な男の成功物語である。
 塙は一代で誠実屋グループを日本の有数の流通企業にしたが、全て彼の頭脳で切り開いたわけではないのだ。この本には塙自身の魅力たっぷり描かれているが、その彼を取り巻く人々の面白さも忘れてはいけない。例えば同じ復員兵のフカシン、キャッシュレジスターメーカーの営業から誠実屋に入社した川端、沖縄の肉牛の元締め、東京の不動産王、などなどである。塙は彼らとの交流の中からアイディアを吸収して自らの商売に結び付け成功したのである。
 昭和の流通史を見ると云う意味でも面白いし、また日本の経済の発展史、昭和の社会史という観点から見ても面白いが、なんといっても塙の公私にわたる行動の痛快さがこの本を一気読みさせる魅力だろう。面白い経済小説だった。

「明治維新という過ち」原田伊織著(毎日ワンズ)
これも面白い本だ。この本は副題に「日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」とあり、実はそのタイトルに惹かれて読み始めた。この本は歴史書でもありエッセイでもありなんとも得体のしれないものである。著者はクリエイティブディレクターというからこれもなんのことやらわからない。ただ中身は滅法面白いのだ。
 特に前半の長州藩の幕末の志士たちをテロリストとして切って捨て、吉田松陰はその親分、坂本龍馬はグラバーの手先、徳川慶喜は無能さ、勝は小さな人物、西郷もヤクザまがいに描かれていて、とにかく切れ味が鋭く痛快である。そして司馬遼太郎もこれらの人物に光を当てたとしてばっさりである。明治維新は薩長とくに長州の政権奪取の道具であり、それが太平洋戦争や今日の日本の閉塞感をつながっているという。
 後半の戊辰戦争になると、幕軍とくに会津や二本松藩など東北の各藩に対するおもいいれが強くなり、全体に情緒的な物言いになる。まあ前半歴史書、後半エッセイ風というといった読み物になる。
 本は二次資料によって裏付けされていて、一次資料の引用がほとんどないのが物足りないと云えば物足りない点だろうか?二次資料というのはそもそもそれ自体が色づけされているわけで、著者によって取捨選択されると云う行為によって、著書全体がある方向に向かうと云うことになりがちである。だからどうよというわけだけれど、それゆえこの本は歴史書としては物足りなく読み物としては面白いのだ。

「指の骨」高橋弘希著(新潮社)
舞台は太平洋戦争末期のニューギニアと思われる。「私」はある歩兵分隊の一等兵、負傷して野戦病院へ送り込まれる。そこでは絵の好きな清水、原住民に日本語を教える真田、軍医などとの交流が描かれる。しかしキニーネなどの薬品の欠乏からマラリアなど現地病で亡くなる兵士が続出する。タイトルの指の骨というのは亡くなった兵士から指を切り取り、焼いて骨にして家族に返すというところからとったものである。やがて戦線は不利になり、野戦病院は戦地に取り残されてしまう。「私」をはじめ動ける兵士は死の行進を始める。ここで出てくる人々は軍医でさえ24歳なのだ。若い人々が次々と亡くなる恐ろしさが次々と描かれるが、どういうわけかあまり悲惨さを感じさせないのは、文章によるものだろう。読み終わった後に悲惨さが倍返しでくるような文章だった。

「無罪」スコット・トゥロー著(文春文庫)
簡単に読めると思ったのだが、案外と手こずってしまった。なぜか考えて見たのだが、一つは主人公であるサヴィッチ判事にあまり共感というか感情移入ができなかったからだと思う。20年前に同僚の検事と不倫、更には殺害したと云う嫌疑で起訴された。結局無実となったがそのサヴィッチが今また不倫の末、今度は妻が自宅で不審死、妻の殺害容疑で起訴されるのだ。頭脳明晰で評判の良い、今は郡の上級裁判所のトップまで上り詰めた男がまるでデジャヴの様な事案に巻き込まれるなんてなんともばかばかしい設定に思えたのである。サヴィッチの周りの人物の造形もどうも血が通っていないような気がする。要するに全体に人物が作りものの様に描かれている。文庫の背表紙に「あまりに悲しく痛ましい真実」とあるが読み終わった後、どうしてもそう思えなかったというのが正直な感想である。そのかわり法廷の描写は微に入り細に入りで煩わしいくらいだ。証拠のパソコンの取り扱いも今風であるが、なぜかみみっちく思えた。「推定無罪」の続編の様な話だが、やはり続編というのは本編を超えられないのだろうか?