2015年6月24日
於:東京芸術劇場(1階S列左ブロック)

読売日本交響楽団、第17回メトロポリタンシリーズ
指揮:フランソワ=グザヴィェ・ロト
ヴァイオリン:神尾真由子

ベルリオーズ:歌劇「ベンベヌート・チェリーニ」序曲
サンサーンス:ヴァイオリン協奏曲第三番

ベルリオーズ:幻想交響曲

ロトの指揮がこの様に早く聴けるとは思わなかった。以前より雑誌で注目されていて一度聴きたいと思っていた。しかも神尾とのペアだから贅沢なことだ。
 ロトはその時代の楽器を使った演奏をする指揮者というイメージがあるが、彼が読響と今夜のフランスを代表する作曲家の音楽をどうさばくか大変楽しみな公演だった。もっとも彼はケルン市の音楽監督に就任するということだから案外ノリントンの様な道を歩むような気もする。
 最初のベルリオーズは久しぶりに聴いたのではっきりとは云えないが、いままで聴いたこの曲とは随分印象が違う。それは一つは指定通りの3台のティンパニの威力だろう。また金管の鳴り方もいままで聴いてきた音楽と違うような気がする。すべて音楽は鋭角的で、切れ味が鋭く、ポンポンと宙を舞いながら、耳に入って来る。これは純粋に音の面白さを楽しませてくれる演奏の様に思った。終わり方の痛快さも比類がない。

 サンサーンスは神尾のもともと鋭利な刃物の様なヴァイオリンとロトの音楽とがぴったりとあった、ぞくぞくするような美しさと、スリリングさをもつ演奏である。1楽章の再現部から終わりまでと3楽章はスリリングな部分である。音は極限まで磨き抜かれ、ホールの中に舞い散るように拡がる素晴らしさ。2楽章の美しさは艶めかしさというよりも、中性的な魅力である。肌に粟を覚える美しさとはこのことだろう。

 幻想は最近あまり聴かなくなった。CDで聴いても騒々しいだけでどうもあまり面白くない。しかし今夜の演奏は無類の面白さである。1楽章の冒頭の吐息の様な音楽は何と形容しようか?しかし主部に入って音楽が突っ走ると、標題的な面白さは脇に置かれ、1曲目の様に、音がポンポンと舞台からホールに拡散する。各楽節に何か表情があるようで、どの一音も無視できないのだ。それは標題的というよりも音そのものに面白さをもたせているように感じた。2楽章のワルツは猛烈なスピードだがこれは想定内。緩急の付け方もわざとらしさの極限まで追い込んでいて、これ以上やったらちょっという印象だった。3楽章は丁寧な音楽作り。4-5楽章は予想通りの凄まじさである。4楽章の打楽器の生々しさは、この楽章全体を支配しているようだ。オーケストラは金管だけでなく、弦楽部もますます輝かしくなり、鋭角的に鋭く切れ込んでくる。ここでも音離れの良さが印象的だ。音はステージにべたべたとくっついていないのである。5楽章は更に凄く、その渦巻く音の奔流に流されんばかり。まるで主人公と共体験しているようだった。久しぶりに幻想の素晴らしい演奏にお目にかかった。演奏時間は54分弱。今後注目の指揮者である。
 読響の演奏も立派。特に弦が艶やかであり、輝かしいが、うるささは皆無。カンブルランとのシューマンを思わせる充実ぶりだった。