2015年5月13日

国技館での相撲は毎場所1回は見に行くようにしている。今場所もピアで発売日に申し込みをしたが、凄まじい相撲人気で後半戦の椅子席は後ろの方しか取れないので、今日、4日目を観戦することになった。

 今日も満員御礼である。外国のお客も多い。特に2階席はそうである。なぜ急にこのように大相撲が人気になったのだろう。遠藤人気もあるし、その他中堅力士の活躍も頼もしい。しかし最も大きいのは外国力士がもう相撲界では異分子ではなく、完全に日本の相撲に同化したことではないだろうか? 歓声を聞いていると、別に日本人ばかりを贔屓しているわけではないのだ。皆それぞれ自分の好きなスタイルの相撲を応援しているのである。それには照ノ富士と逸ノ城の存在は大きい。彼らのキャラはかつての朝青竜のような悪役イメージはない。もうほんのちょっと言葉に違和感があるだけで、日本の相撲に溶け込んでいるのである。特に照ノ富士にはそういうことが云えよう。日本の相撲がモンゴルにのみ込まれたのではなく、日本の相撲がモンゴル人やその他の海外の相撲をのみ込み、同化させたのではないかと思うのである。

 さて、今場所、初日から見ていると怪我人が実に多い。包帯やサポーターをしていない人が少ないくらいである。豪栄道や逸ノ城なども場所前に痛めたところがあるらしい。遠藤に至っては痛々しい限りである。今日も遠藤は全く相撲になっていない。もう気の毒で見ていられない。本人の意思で出場を決めたらしいが、医者の診断や親方の判断はないのだろうか?遠藤は今場所全休するとおそらく十両に落ちてしまうから出場を決めたと思っているが、栃ノ心や北大樹の例もあるのだから、完全に治してから出直して欲しいものだ。それにつけても公傷制度をなぜ復活させないのか不思議でしょうがない。年間の場所数が多い昨今、相撲取の体への負荷は相当なものである。ここは性善説にたって復活を検討してもらいたいものだ。

 今場所も大関への期待は大きかったはずだ。初日に白鵬が敗れたので余計期待が増したはずなのだが、今日の大関の3番のひどさは筆舌尽くしがたい。琴奨菊はなぜ闘牛の様に無暗に前に出るのか、稀勢里と豪栄道はなぜああも簡単に土俵際で転ばされるのか?特に豪栄道は安易に大関に昇格させた相撲協会の責任は相当重い。関脇時代からわきの甘さが指摘されていたし、相撲の型のなさも云われていた。それを敢えて大関にしたのだ。一番苦しんでいるのは豪栄道だろう。

 今日の期待の相撲は照ノ富士×逸ノ城戦だろう。過去2戦続けて水入りだから余計期待は大きい。しかし相撲の呆気なさよりも、立ち会いの不愉快さが先にたった一番だった。責任の過半は逸ノ城にある。2回立ち会いが合わなかった。逸ノ城が手をつかなかったからである。2回目は照ノ富士が仕切るのを自分から放棄してしまったほど逸ノ城の駆け引きが目立った。相撲はほとんど立ち会いで決まると云って差し支えない。その一瞬の呼吸の立ち会いが勝負なのである。それを逸ノ城はわかっていないのか、親方は指導していないのか?要は逸ノ城の相撲の精神年齢が幼いと云うことだろう。その前の遠藤も一回で立ち切れなかった。怪我をしている上に立ち会いに迷うとは、負けて当然の勝負だった。

 今日、印象に残った相撲が何番かある。前半戦で遠藤に次いで声援が大きかったのは勢だが、魁聖にあっけなく負けてしまった。全勝同士なのに期待外れ。勢も力をつけているが、こういう大きな相撲に対してはまだまともにいっては勝てないと云うことだ
 宝富士と北大樹戦も興味深かった。両者とも地味なお相撲さんだが地力をつけている。しかし今日は宝富士の地力が北大樹を圧倒したようだ。立ち会い左を差して、攻め立て、土俵際でさっとすくうなんて技は力の差がないとできない。
 結びの佐田の海は取り直しで日馬富士に勝ったが、横綱のスピードに決して負けていないところが素晴らしい。初日に見せた粘りと合わせて今後見逃せない相撲だ。
 白鵬は土俵入りの迫力が従来以上だ。すり足で体を起こす場面は凄まじい気迫の土俵入りだ。結び前の豊ノ島戦では危なかったが、立ち会いの綺麗さが目を引いた。逸ノ城はこう云う先輩を見習うべきである。