2015年3月28日
於:サントリーホール(2階7列中央ブロック)

グスターヴォ・ドゥダメル/ロスアンジェルス・フィルハーモニック来日公演

マーラー:交響曲第六番

明日の音楽界を背負う若き天才がここにもいる。今年は山田和樹、バッティストーニといった若い将来を嘱望されている指揮者の音楽に接することができて非常に頼もしい思いをしている。ドゥダメルも同世代であり、今夜の公演でその片鱗を十分聴かせてもらった。おそらくサントリーホールで最近聴いたマーラーの演奏でも屈指の演奏と云っても差し支えないだろう。特に音のクォリティと云う面では何も云うことがないくらい圧倒的な演奏である。しかし山田の演奏したマーラーと同様、全面的に共感したかというとそうでもないのである。

 いろいろな研究があるのだろうけれども、個人的にはこの曲はマーラーの自伝的作品だと云う意見に与するものである。外面的にもそうだけれども、それ以上にマーラー自身の内面の闘いや苦悩が色濃く出ているのではないだろうか?そういう面では同じ自伝的な作品でもR・シュトラウスの「英雄の生涯」とはかなり違うのである。しかしドゥダメルのこの作品へのアプローチは、私の聴いた印象では、まるでシュトラウスの作品を指揮しているように感じるのである。特に1楽章の第1主題の取り扱い、3楽章(スケルツォ)の最初の主題(ABABAのAの部分)、そして4楽章全体はそう感じられる。4楽章はマーラー自身が苦悩にのたうちまわって、しかるのちに、その戦いに敗れて死を迎えるという音楽だと私は思っていたのだが、ドゥダメルの演奏にはそういう標題性にはあまり関心なく、ひたすらオーケストラの音のクォリティを磨き上げることに集中しているように感じるのである。そういう意味では至極シンフォニックでまっとうな演奏である。しかしバーンスタインの演奏という産湯につかってこの曲に親しんできた私の様な聴き手にはいささか物足りなくもあるのである。

 一方では彼のアプローチでひどく感動させられた部分がいくつかある。最も素晴らしかったのはアンダンテ楽章(今夜の演奏では第2楽章)である。特に第2主題(副主題)が最後にあらわれクライマックスを迎える部分の美しさは筆舌に尽くしがたい。この磨き抜かれた音には何びとも抗しえないだろう。ロスフィルの弦楽パートの透明感は強く印象に残った。また1楽章のアルマのテーマ(第2主題)提示や展開部での処理、展開部での挿入部の何とも神秘的な美しさ、3楽章のBに当たる部分などアンダンテと同様、ドゥダメルの天才ぶりを強く感じるのである。マーラーの六番を選んだのはドゥダメル自身だろうと思うが、むしろ一番、五番、七番のほうが今のドゥダメルにはあっているように私は感じた。演奏時間は86分弱。

 ロスフィルの演奏は見事なもの。アメリカの有力どころのシカゴシンフォニーやサンフランシスコ響、フィラデリフィァ、ボストンなどと比べても負けないだろう。金管の輝かしさは全曲を通して凄いと思う。ただ全曲通してこの調子でやられると逆に単調に感じてしまう。正直云って、指揮にもよったのだろうけれども、4楽章は途中から少々退屈になってしまった。弦の美しさも印象に残った。重複するがアンダンテ楽章の美しさは忘れられない。これは日本のオーケストラではなかなか厳しいかもしれない。
 なおハンマーは舞台に向かって左手奥、P席の前に高い台が置かれ、その上の板をハンマーでたたくと云う形で、展開部の2回のみである。