2015年1月25日
於:新国立劇場(1階6列中央ブロック)

新国立劇場公演
ワーグナー:さまよえるオランダ人

指揮:飯守泰次郎
演出:マティアス・フォン・シュテークマン

ダーラント:ラファウ・シヴェク
ゼンタ:リカルダ・メルベート
エリック:ダニエル・キルヒ
マリー:竹本節子
舵手:望月哲也
オランダ人:トーマス・ヨハネス・マイヤー
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京交響楽団

この制作を聴くのは、2007年、2012年に続いて3度目である。3度目にしてようやく幕切れの演出に納得がいった。そしてこの素晴らしい公演に錦上花を添えたのであった。幕切れの演出はこうだ。ゼンタがエリックに迫られ、エリックの歌に若き頃を思い出し、ついエリックを抱きしめてしまう。オランダ人はそれを見て裏切られたと思い、飛び出して、船員たちに出発だと伝える、ゼンタはこれは誤解だ、私の気持ちは変わらない、あなたを救えるのは私しかいないと叫び、一人船に乗り込む。舳先に立ち「ここに私は、あなたに死ぬまでの貞節を誓って立つ」と歌い、舟もろとも沈んでゆく。オランダ人は陸に残され、今まで得られなかった死を与えられる。普通はオランダ人が舟に乗り、ゼンタはそれを見て海に飛び込む、舟は沈み二人は昇天するというト書きが重視されるが、この演出は前記のとおりである。
 今回の演出を改めて見て「パルジファル」のクンドリーの死ぬ場面を思い出して、この演出の理解を深めた次第。クンドリーの死ぬ場面、歌は何もなくパルジファルを見ながら死んでゆく、その音楽の素晴らしいこと。今日もゼンタの救済の美しく、素晴らしい音楽を背景にオランダ人は死んでゆくのだ。こう云う演出も感動を生むことを体験した。
 その他の演出や装置については2012年の公演ブログに記載したとおりである。基本的には幕切れ以外はト書きに近い。今回印象的だったのは照明の美しさだ。例えば2幕のゼンタとオランダ人の2重唱などは漆黒の舞台に、彼らにわずかな光が当たる、これが二人の理解が深まるにつれて輝かしく明るくなる、そして幕切れを迎えると云う寸法だ。

 飯守の音楽も素晴らしい。今回の演奏は彼の指示かどうかわからないが、序曲は初演通り、ハープによるゼンタの救済の音楽はない。1幕と2幕の間は休憩をはさむ。従って1幕は初演通り終止形で終わる。そして2幕は1幕の終わりの部分から音楽は始まる。そして短い前奏があって(決定稿では間奏に当たる)糸車の歌につながる。最終幕は決定稿通りハープによるゼンタの救済の音楽で終わる。なかなか凝った演奏になっている。
 飯守の指揮は序曲からして素晴らしい。オランダ人の動機が鳴り響いた途端、飯守の音楽はなんと自信にあふれる、決然としたものか、ということを感じさせる。続くゼンタの救済のテーマは思い切りテンポを落として、歌わせる。このわずか10分ほどの序曲のなかでの細かいテンポや強弱の変動は誠にこの救済劇を予感させる見事なもの。後は推して知るべしである。管弦楽は昨夜の日本フィルのマーラーより重厚であるが、こう云う水準になると、更に分厚い音が欲しくなる。最も飯守がこう云う音を望んでいるのかもしれない。

 歌手はダーラントを除いて、主役級は皆ドイツ系である。最近はインターナショナルな配役が多いのに珍しいキャスティングである。歌手には全く穴がない。脇役も邦人がしっかり固め、そして新国立の合唱の素晴らしいこと。これだけ完成度の高いオランダ人が日本のオペラハウスで聴ける/見ることができる幸せをかみしめる思いで全曲を堪能した。

 ソロは特にゼンタとオランダ人が素晴らしい。ゼンタは2013年のバイロイトの公演(ティーレマン指揮)でも歌っていた。これはテレビでも放映されていて私もみたが、彼女のゼンタは素晴らしい。ただ演出がまあ思い出すのも腹立たしいほどひどいのでちょっと気の毒だった。あの寛容なバイロイトの聴衆からも相当ブーイングが飛んでいたくらいだった。彼女はペンキを体に塗りたくったりしてとにかく汚らしかった。まあこれは余談。
 今日の公演で印象に残ったのはやはり2幕のゼンタのバラード。これは救済者としての決然とした意思を感じさせる歌唱で感動的。そしてもう一つは同じく2幕のオランダ人との2重唱、そして幕切れの3重唱、どれも見事な歌唱だった。彼女でクンドリーなど聴いてみたいなと思わせる歌唱だった。彼女は過去新国立でローエングリンのエルダを歌ったがこれもとても熱唱だった。
 オランダ人は新国立でもおなじみのヨハネスマイヤーで、1幕の少々退屈なモノローグも全く飽きさせず、聴衆を引き込む立派なもの。2幕の2重唱、3幕の3重唱も誠に感動的だった。ダーラントは品のない男と描かれやすいが、今日は娘思いの人の良い男といった役どころを歌い上げていた。新国立ではドンカルロのフィリポ2世を歌った公演を聴いたが、あの時よりも今夜のほうがずっと嵌まっていたように感じた。
 シュテ―クマンの演出に納得がいったのはこれか歌手たちの熱唱があったからだろう。やはり演出と音楽/歌は一体なのだと云う事を改めて教えてもらった公演だった。演奏時間は140分だった。