2014年12月27日
2014年のブログを数えたら、本日のものを入れて96本の新作を見たことになる。映画館に行って見たのはそのうちの約一割くらいだろう。足を運んでみたい映画が徐徐に減ってきているのが寂しい。むしろ自宅で自堕落に、DVDレンタルや自分のコレクションを見るほうが圧倒的に多くなってきている。旧作を含めればゆうに200本の映画を見ているだろう。
映画館に行く気が起きないのはいろいろ理由があるが、大きくは2つだ。一つは足を運んで、特定の時間を拘束されるだけの面白い映画が、私にはあまりないということだ。今月これから書くブログでもほとんどB級と云っても差し支えない映画ばかりだ。要するに何かが足りない映画ばかりなのだ。娯楽性に富んだ作品には骨がないし、逆に骨のあるメッセージ性の強い映画は眠くなるほどつまらないものが多い。
そんな中で今年感銘を受けた作品が2つある。ひとつは「ゼロ・グラヴィティ」、もう一つは「ダラス・バイヤーズ・クラブ」である。この2作品は私の今年のベスト映画だ。その他印象に残ったのは、「25年目の弦楽四重奏」、「ウルフ・オブ・ウォール・ストリート」、「アメリカン・ハッスル」(ジェニファー・ローレンスの演技に)、「鑑定人と顔のない依頼人」、「清須会議」、「ネブラスカ」などである。
さて、ちょっと横にそれたが映画館に行かないもう一つの理由は映画館のありかただ。
今年私の愛するミラノ1がクローズになる。1000人以上収容できる、いまでは珍しい映画館。しかも全席自由だ。大音響も十分吸収できる空間がうれしい。そこがなくなる。もうこういう映画館は東京には一館もない。あるのはシネマ・コンプレックスと称する、昔で云えば場末の映画館に毛の生えたような、100人~200人ほどの劇場ばかり。東京ではわずかに日劇跡のビルの中のコンプレックスは収容力が大きいがその他は皆そのようなもの。大音響になると外に出ていきたいくらい不快な音になる、閉所恐怖症の私には耐えられない。こういうところではよほどのことがなければ見たくない。ちょっと待てばDVDレンタルで見られるのだ。ひどい劇場になると出入り口が一か所しかなくて、いざと云う時にそこへ人が殺到するかと思うとおちおち映画なんぞ見てられない。しかも全席指定だ。そして毎回入れ替え。昔の様にすいていればどこに座っても良いし、途中で座席を変えてもかまわないし、途中から入場して、好きな時に出て行けた時代が懐かしい。むんむんした立ち見なんぞはありやしないのだ。こどものころ学校に内緒で「駅馬車」と「シェーン」の2本立てがあり、それを3サイクル見たことがある。朝から晩までその映画館に食事も忘れて(お金がないから買えなかった)9時間近く見続けたのだ。いまではこの様な見方は不可能なのだ。ということでいまではツタヤ・ディスカスさまさまの毎日である。なんといっても新作の予約もできるし、郵便で返却すると2日後には新しい作品が送られてくるのだから。まあ便利な世の中になったものです。
さて、最近見た映画の寸評です。
「ハンナ・アーレント」
日本が70年前の歴史を引きずっていると同様に、ドイツもやはりナチの姿をいまもって引きずっているのだ。
1960年、アイヒマンがモサドににより逮捕。そしてイスラエルで裁判が開かれることになった。ハンナはユダヤ人、ハイデカーの愛弟子でパリのユダヤ人収容所から脱出し、アメリカへ亡命。そこで哲学者、教育者そして著述家として成功する。雑誌社の委嘱によりアイヒマン裁判の傍聴記を書くことになる。しかしその記事が大反響を呼ぶ。アイヒマン擁護ととられる記述があったのだ。
この映画は単にナチスの悪行のみならず、人がなぜ悪い行いをするのか、その根源にせまるハンナの戦いを描いた至極真面目な映画だ。ただ見ていて、ハンナ以外の人物の姿がよく見えないので、ちょっといらいらする。映画の作り方だろう。この後にみた「ハンガー」や「ベツレヘム」と云う映画もそういうところがある。要は主人公以外の人物はただの存在でしかないということかもしれない。
「ダイバージェント」
近未来映画、「ハンガーゲーム」や「スノーピアサー」のジャンルだが、相当出来が悪い。
100年前の戦争で人類は壊滅的なダメージを受ける。生き残った人々は5つの階層に分類され、基本的には世襲である。博学、高潔、勇気、無欲、勤勉である。ただある年齢に達するとテストがありそこで振り分けも可能である。ダイバージェントとはどこの階層にも入れない人間を云う。階層間の闘争と階層の中での少年・少女の成長の物語だが、どっちつかずで、どっちも面白くない。生き残り・成長物語はハンガーゲームのほうが面白く、階級闘争はスノーピアサーのほうが面白い。主人公の男女は彼らしかいないような存在で、すべて彼らの都合の良いようにドラマが動く、随分とアバウトな映画だ。アメリカ人は自虐趣味があるのか、こういう類の映画は多い。
「MI5」、レイチェルワイズ他
原題は「PAGE EIGHT」こういうB級スパイ映画にレイチェルワイズの様な大物がでるとはちょっと驚き。
ル・カレの小説を思わす渋いスパイ映画だ。主人公はMI5のテロ対策分析官。友人である上司は主人公らに英国の恥部を暴いた資料を公開する。その資料の8ページがカギだ。その資料を軸に、主人公の隣室の謎の女性(レイチェルワイズ)とそれにからむ、国際謀略も加わりなかなか面白い。ただ終わりがル・カレ風ではなくちょっときれいすぎる。
「オール・ユー・ニーズ・イズ・トゥー・キル」、トムクルーズ、エミリーブラント主演
これはまるでテレビゲーム感覚の映画だ。主人公は何度も生き返り、その都度成長し兵士としての技術を向上させる。トムクルーズは全く弱虫の広報担当将校。これがどうしたわけか最前線に送り込まれる。しかし戦って死ぬたびに生き返り、強くなってリセットされる。エミリーブラントは英雄だが、クルーズと同じ経歴の持ち主だ。彼らは欧州を征服した異星人と戦う。この戦闘シーンはまるでゲームだ。
イギリスから欧州大陸に連合軍が攻め込む姿はまるでノルマンディー上陸作戦ののようだ。とにかく話の作りがかくのごとく安易なのだ。これを人間の成長物語と捉えたらおお間違えだろう。「人」はリセットなんかされないのだから!大俳優がよくもこんな映画に出たものだと呆れる。
「ラスト・ミッション」、ケヴィンコスナー、コニーニールセン主演
リュックベッソンのシナリオ。原題は「3DAYS TO KILL」
CIAの殺し専門の要員、コスナーは悪性腫瘍で余命3カ月を宣告され、足を洗うことを決意する。別れた妻(ニールセン)と娘と一緒に死ぬまでの数カ月暮らそうとする。ところがCIAの上級捜査官は余命をのばす試薬を提供するという条件で国際武器商人グループ
のボスの殺しをコスナーに依頼する。これが本線だ。これに別れた家族との関係修復が横線だが、問題はこの横線がだらだらと長いことだ。もう一つはベッソンらしく相変わらずドンパチシーンは凄いがちょっとこれはコスナーが強すぎはしないだろうか?女上級捜査官の描き方も嘘っぽい。もっと本物らしいウソをついて欲しい。
「オープン・グレイブ(感染)」
一種のパンデミックものだろうが、作りがいやらしくできていてドラマに入りきれない。要はだんだん話の本筋を御開帳してゆくのだが、そのテクが私には少々稚拙に感じられた。
主人公が目を覚ますと、死体の山の中。記憶もない。何ものかに助けられて、野中の一軒家にたどりつくと、そこには5人の男女がいた。徐々に記憶が戻ってきて話が見えてくる。ゾンビものかと思ったらパンデミックものだったという寸法。話を逆回しにした「メメント」のように両バージョンを作って欲しい。
「オールドボーイ」、ジョッシュ・ブローリン主演
韓国映画のリメイク。スパイク・リー監督作品。大筋は原作と同じ。最後が少し違うようだ。自堕落な男(ブローリン)が20年間何ものかに監禁されてしまう。理由は不明。そして妻をレイプして殺してしまう犯人にされてしまう。20年後なぜが開放されてしまう。非常にうまくリメイクされている。「デパーテッド」にしろ、本作にしろハリウッドの技術は大したものだ。両方見ているが、韓国の少々陰惨さのきつい作りに対して、ブローリンのキャラなのか、リメイクは少々ユーモラスな雰囲気も漂わせていて、このあたりがお国柄と云っては怒られるかな?面白く見た。
「ザ・ベイ」
これは実話だろうか?ドキュメンタリータッチに作られた、環境ものである。
アメリカ、メリーランド州、クラリッジ、チェサピーク湾、に面した観光地。人口6200人。2004年7月4日独立記念日の日に大惨事が起きる。湾の汚染で大発生した寄生虫に町の人々は襲われる。リアルな映像も凄いが、米政府や州政府、CDCの官僚主義も相当なものだ。これは環境に対する警鐘と事なかれ主義に徹する官僚たちへの批判が充溢した作品だ。
「マンデラ・自由への長い道」
マンデラの自伝に基づく映画だ。マンデラものでは「インヴィクタス」とか「マンデラの名もなき看守」など面白い映画があるが、いずれもマンデラの人生の一部を切り取った様な映画だ。この映画は子供のころから、人生を全て描いたものである。彼が信念の人であることが当然のことながら主題になっているが、同時に彼の妻が過激な闘士だったということにも焦点を当てている。面白く見た。
個人の人生を犠牲にしてでも、南ア黒人の自由を目指したその不屈の闘志はどこからきたのだろう。古今の英雄は皆こうだったのだろうが、凡人にはまぶしい人生ではある。
「トランセンダンス」、ジョニーデップ他
原題は「超越」と云う意味。AI学者のデップ、妻のレベッカ・ホールは人間を超越したAI(PINNと云うシステム)を開発する。デップは反テクノロジストのテロに倒れるが、彼の脳はPINNにアップロードされる。その結果何が起こったか?何とも奇想天外な話だが、怖ろしくもあり、実現可能性を感じさせもして、そのリアルさが不気味である。結末も凄いが、これもゲーム感覚なのがちょっと安易で残念だ。まあこの様な終わり方しか私にも思い浮かばないけど!映画の作りは別として、発想の秀逸さには圧倒される。
「ナイトスリーパーズ」、ジェシーアイゼンバーグ主演
これも環境ものだ。原題は「ナイトムーブズ(犯行に使ったボートの名前で夜遊び号とい
う)。環境破壊に反対する3人の若者が硝酸アンモニウムを使って、ダムを爆破する。なぜそのダムを爆破するのか、そしてこの3人の詳しい素性はよくわからない。最後までおぼろげであるので、気の短い私などは見ていていらつく。爆破作業はかなり素人的で、犯行の後もおたおたして本物風である。ただ全体が陰気で見ていて面白くないのが残念だ、もう少しドラマとして膨らましようがあったのではと思われた。
「ハンガー」、スティーブ・マックイーン監督
アイルランド映画の様だ。この映画は誰のために作られたのだろう。見ていてずっとそれを感じた。
1981年、北アイルランドの紛争で逮捕された政治犯は英政府から政治犯として扱われず囚人として扱われる。不服従の囚人(政治犯)たちはサンズというリーダーの指導のもと、毛布作戦、糞尿作戦、そして最後はハンガー作戦を繰り広げる。それをリアルに描いているのは良いが、誰が誰やらよくわからないし、無駄な映像が多くて、なかなか話が進まないのが残念だ。決してつまらなくはないが、もう少しグローバルな観客を意識して欲しかった。
「ベツレヘム」
イスラエル映画と思われる。パレスチナ自治区に住むイサウは、テロ集団アルカサルのリーダーイブラヒムの弟で、ある事件の後イスラエル情報部のラジの情報屋になっている。
この映画はイサウとラジの奇妙な交流が本線になっている。アルカサルとハマスの関係なども絡んでなかなか面白い映画だ。ただパレスティナ人、イスラエル人が入り乱れ、誰が誰やらわからないというきらいがある。もう少し整理されるともっと面白かっただろう。最後は悲しいが、この二人のデリケートな交流は、イスラエルとパレスティナの2国間のデリケートな関係の縮図の様に感じられた。面白いと云うよりも興味深い映画だ。
〆
2014年のブログを数えたら、本日のものを入れて96本の新作を見たことになる。映画館に行って見たのはそのうちの約一割くらいだろう。足を運んでみたい映画が徐徐に減ってきているのが寂しい。むしろ自宅で自堕落に、DVDレンタルや自分のコレクションを見るほうが圧倒的に多くなってきている。旧作を含めればゆうに200本の映画を見ているだろう。
映画館に行く気が起きないのはいろいろ理由があるが、大きくは2つだ。一つは足を運んで、特定の時間を拘束されるだけの面白い映画が、私にはあまりないということだ。今月これから書くブログでもほとんどB級と云っても差し支えない映画ばかりだ。要するに何かが足りない映画ばかりなのだ。娯楽性に富んだ作品には骨がないし、逆に骨のあるメッセージ性の強い映画は眠くなるほどつまらないものが多い。
そんな中で今年感銘を受けた作品が2つある。ひとつは「ゼロ・グラヴィティ」、もう一つは「ダラス・バイヤーズ・クラブ」である。この2作品は私の今年のベスト映画だ。その他印象に残ったのは、「25年目の弦楽四重奏」、「ウルフ・オブ・ウォール・ストリート」、「アメリカン・ハッスル」(ジェニファー・ローレンスの演技に)、「鑑定人と顔のない依頼人」、「清須会議」、「ネブラスカ」などである。
さて、ちょっと横にそれたが映画館に行かないもう一つの理由は映画館のありかただ。
今年私の愛するミラノ1がクローズになる。1000人以上収容できる、いまでは珍しい映画館。しかも全席自由だ。大音響も十分吸収できる空間がうれしい。そこがなくなる。もうこういう映画館は東京には一館もない。あるのはシネマ・コンプレックスと称する、昔で云えば場末の映画館に毛の生えたような、100人~200人ほどの劇場ばかり。東京ではわずかに日劇跡のビルの中のコンプレックスは収容力が大きいがその他は皆そのようなもの。大音響になると外に出ていきたいくらい不快な音になる、閉所恐怖症の私には耐えられない。こういうところではよほどのことがなければ見たくない。ちょっと待てばDVDレンタルで見られるのだ。ひどい劇場になると出入り口が一か所しかなくて、いざと云う時にそこへ人が殺到するかと思うとおちおち映画なんぞ見てられない。しかも全席指定だ。そして毎回入れ替え。昔の様にすいていればどこに座っても良いし、途中で座席を変えてもかまわないし、途中から入場して、好きな時に出て行けた時代が懐かしい。むんむんした立ち見なんぞはありやしないのだ。こどものころ学校に内緒で「駅馬車」と「シェーン」の2本立てがあり、それを3サイクル見たことがある。朝から晩までその映画館に食事も忘れて(お金がないから買えなかった)9時間近く見続けたのだ。いまではこの様な見方は不可能なのだ。ということでいまではツタヤ・ディスカスさまさまの毎日である。なんといっても新作の予約もできるし、郵便で返却すると2日後には新しい作品が送られてくるのだから。まあ便利な世の中になったものです。
さて、最近見た映画の寸評です。
「ハンナ・アーレント」
日本が70年前の歴史を引きずっていると同様に、ドイツもやはりナチの姿をいまもって引きずっているのだ。
1960年、アイヒマンがモサドににより逮捕。そしてイスラエルで裁判が開かれることになった。ハンナはユダヤ人、ハイデカーの愛弟子でパリのユダヤ人収容所から脱出し、アメリカへ亡命。そこで哲学者、教育者そして著述家として成功する。雑誌社の委嘱によりアイヒマン裁判の傍聴記を書くことになる。しかしその記事が大反響を呼ぶ。アイヒマン擁護ととられる記述があったのだ。
この映画は単にナチスの悪行のみならず、人がなぜ悪い行いをするのか、その根源にせまるハンナの戦いを描いた至極真面目な映画だ。ただ見ていて、ハンナ以外の人物の姿がよく見えないので、ちょっといらいらする。映画の作り方だろう。この後にみた「ハンガー」や「ベツレヘム」と云う映画もそういうところがある。要は主人公以外の人物はただの存在でしかないということかもしれない。
「ダイバージェント」
近未来映画、「ハンガーゲーム」や「スノーピアサー」のジャンルだが、相当出来が悪い。
100年前の戦争で人類は壊滅的なダメージを受ける。生き残った人々は5つの階層に分類され、基本的には世襲である。博学、高潔、勇気、無欲、勤勉である。ただある年齢に達するとテストがありそこで振り分けも可能である。ダイバージェントとはどこの階層にも入れない人間を云う。階層間の闘争と階層の中での少年・少女の成長の物語だが、どっちつかずで、どっちも面白くない。生き残り・成長物語はハンガーゲームのほうが面白く、階級闘争はスノーピアサーのほうが面白い。主人公の男女は彼らしかいないような存在で、すべて彼らの都合の良いようにドラマが動く、随分とアバウトな映画だ。アメリカ人は自虐趣味があるのか、こういう類の映画は多い。
「MI5」、レイチェルワイズ他
原題は「PAGE EIGHT」こういうB級スパイ映画にレイチェルワイズの様な大物がでるとはちょっと驚き。
ル・カレの小説を思わす渋いスパイ映画だ。主人公はMI5のテロ対策分析官。友人である上司は主人公らに英国の恥部を暴いた資料を公開する。その資料の8ページがカギだ。その資料を軸に、主人公の隣室の謎の女性(レイチェルワイズ)とそれにからむ、国際謀略も加わりなかなか面白い。ただ終わりがル・カレ風ではなくちょっときれいすぎる。
「オール・ユー・ニーズ・イズ・トゥー・キル」、トムクルーズ、エミリーブラント主演
これはまるでテレビゲーム感覚の映画だ。主人公は何度も生き返り、その都度成長し兵士としての技術を向上させる。トムクルーズは全く弱虫の広報担当将校。これがどうしたわけか最前線に送り込まれる。しかし戦って死ぬたびに生き返り、強くなってリセットされる。エミリーブラントは英雄だが、クルーズと同じ経歴の持ち主だ。彼らは欧州を征服した異星人と戦う。この戦闘シーンはまるでゲームだ。
イギリスから欧州大陸に連合軍が攻め込む姿はまるでノルマンディー上陸作戦ののようだ。とにかく話の作りがかくのごとく安易なのだ。これを人間の成長物語と捉えたらおお間違えだろう。「人」はリセットなんかされないのだから!大俳優がよくもこんな映画に出たものだと呆れる。
「ラスト・ミッション」、ケヴィンコスナー、コニーニールセン主演
リュックベッソンのシナリオ。原題は「3DAYS TO KILL」
CIAの殺し専門の要員、コスナーは悪性腫瘍で余命3カ月を宣告され、足を洗うことを決意する。別れた妻(ニールセン)と娘と一緒に死ぬまでの数カ月暮らそうとする。ところがCIAの上級捜査官は余命をのばす試薬を提供するという条件で国際武器商人グループ
のボスの殺しをコスナーに依頼する。これが本線だ。これに別れた家族との関係修復が横線だが、問題はこの横線がだらだらと長いことだ。もう一つはベッソンらしく相変わらずドンパチシーンは凄いがちょっとこれはコスナーが強すぎはしないだろうか?女上級捜査官の描き方も嘘っぽい。もっと本物らしいウソをついて欲しい。
「オープン・グレイブ(感染)」
一種のパンデミックものだろうが、作りがいやらしくできていてドラマに入りきれない。要はだんだん話の本筋を御開帳してゆくのだが、そのテクが私には少々稚拙に感じられた。
主人公が目を覚ますと、死体の山の中。記憶もない。何ものかに助けられて、野中の一軒家にたどりつくと、そこには5人の男女がいた。徐々に記憶が戻ってきて話が見えてくる。ゾンビものかと思ったらパンデミックものだったという寸法。話を逆回しにした「メメント」のように両バージョンを作って欲しい。
「オールドボーイ」、ジョッシュ・ブローリン主演
韓国映画のリメイク。スパイク・リー監督作品。大筋は原作と同じ。最後が少し違うようだ。自堕落な男(ブローリン)が20年間何ものかに監禁されてしまう。理由は不明。そして妻をレイプして殺してしまう犯人にされてしまう。20年後なぜが開放されてしまう。非常にうまくリメイクされている。「デパーテッド」にしろ、本作にしろハリウッドの技術は大したものだ。両方見ているが、韓国の少々陰惨さのきつい作りに対して、ブローリンのキャラなのか、リメイクは少々ユーモラスな雰囲気も漂わせていて、このあたりがお国柄と云っては怒られるかな?面白く見た。
「ザ・ベイ」
これは実話だろうか?ドキュメンタリータッチに作られた、環境ものである。
アメリカ、メリーランド州、クラリッジ、チェサピーク湾、に面した観光地。人口6200人。2004年7月4日独立記念日の日に大惨事が起きる。湾の汚染で大発生した寄生虫に町の人々は襲われる。リアルな映像も凄いが、米政府や州政府、CDCの官僚主義も相当なものだ。これは環境に対する警鐘と事なかれ主義に徹する官僚たちへの批判が充溢した作品だ。
「マンデラ・自由への長い道」
マンデラの自伝に基づく映画だ。マンデラものでは「インヴィクタス」とか「マンデラの名もなき看守」など面白い映画があるが、いずれもマンデラの人生の一部を切り取った様な映画だ。この映画は子供のころから、人生を全て描いたものである。彼が信念の人であることが当然のことながら主題になっているが、同時に彼の妻が過激な闘士だったということにも焦点を当てている。面白く見た。
個人の人生を犠牲にしてでも、南ア黒人の自由を目指したその不屈の闘志はどこからきたのだろう。古今の英雄は皆こうだったのだろうが、凡人にはまぶしい人生ではある。
「トランセンダンス」、ジョニーデップ他
原題は「超越」と云う意味。AI学者のデップ、妻のレベッカ・ホールは人間を超越したAI(PINNと云うシステム)を開発する。デップは反テクノロジストのテロに倒れるが、彼の脳はPINNにアップロードされる。その結果何が起こったか?何とも奇想天外な話だが、怖ろしくもあり、実現可能性を感じさせもして、そのリアルさが不気味である。結末も凄いが、これもゲーム感覚なのがちょっと安易で残念だ。まあこの様な終わり方しか私にも思い浮かばないけど!映画の作りは別として、発想の秀逸さには圧倒される。
「ナイトスリーパーズ」、ジェシーアイゼンバーグ主演
これも環境ものだ。原題は「ナイトムーブズ(犯行に使ったボートの名前で夜遊び号とい
う)。環境破壊に反対する3人の若者が硝酸アンモニウムを使って、ダムを爆破する。なぜそのダムを爆破するのか、そしてこの3人の詳しい素性はよくわからない。最後までおぼろげであるので、気の短い私などは見ていていらつく。爆破作業はかなり素人的で、犯行の後もおたおたして本物風である。ただ全体が陰気で見ていて面白くないのが残念だ、もう少しドラマとして膨らましようがあったのではと思われた。
「ハンガー」、スティーブ・マックイーン監督
アイルランド映画の様だ。この映画は誰のために作られたのだろう。見ていてずっとそれを感じた。
1981年、北アイルランドの紛争で逮捕された政治犯は英政府から政治犯として扱われず囚人として扱われる。不服従の囚人(政治犯)たちはサンズというリーダーの指導のもと、毛布作戦、糞尿作戦、そして最後はハンガー作戦を繰り広げる。それをリアルに描いているのは良いが、誰が誰やらよくわからないし、無駄な映像が多くて、なかなか話が進まないのが残念だ。決してつまらなくはないが、もう少しグローバルな観客を意識して欲しかった。
「ベツレヘム」
イスラエル映画と思われる。パレスチナ自治区に住むイサウは、テロ集団アルカサルのリーダーイブラヒムの弟で、ある事件の後イスラエル情報部のラジの情報屋になっている。
この映画はイサウとラジの奇妙な交流が本線になっている。アルカサルとハマスの関係なども絡んでなかなか面白い映画だ。ただパレスティナ人、イスラエル人が入り乱れ、誰が誰やらわからないというきらいがある。もう少し整理されるともっと面白かっただろう。最後は悲しいが、この二人のデリケートな交流は、イスラエルとパレスティナの2国間のデリケートな関係の縮図の様に感じられた。面白いと云うよりも興味深い映画だ。
〆