2014年10月24日
於:NHKホール(1階18列中央ブロック)

NHK交響楽団・第1791回定期演奏会Cプログラム
指揮:ロジャー・ノリントン

シューベルト:交響曲第七番・未完成
シューベルト:交響曲第八番・ザ・グレート

ノリントンとN響のコンビの成熟を感じさせる公演だった。これほど透明で重厚なN響と云うのはこのホールで体験したことがない。楽器配置はいつものように最高列・高い段の上にコントラバスがならぶが、その背面には光背のように巨大な反射板が5枚吊り下げられている。おそらくこの効果だろうが、低音の分厚さはN響らしからぬものだ。未完成とグレートでは弦部の楽器の数が倍ほど違うので、曲の違いもさることながら、編成による差が大きい。未完成は弦の透明度がとても高く、ノリントンの指向するピュア・サウンドを体験できる。部分的にはまるで室内楽を聴いているように聴こえる。グレートでは最高列にトロンボーンを3本挟んで、コントラバスが8台並ぶ。ここでは未完成と異なり透明さと重厚さという相反するような、音の要素の両面を体験することができる。従って透明で重厚という矛盾する表現より思い浮かばない。音のミックスと云う面でも今夜の演奏は秀逸である。このホールはどうしても残響が少ないためか、音が混ざらない。特に金管などはそのまま生の音ですっ飛んで来るので、曲によってはうるさく感じるのであるが、今夜は全くそういうことがなく、音はマスとして聴こえるのである。これは反射板の威力で低音が強化されていることもあると思うが、ノリントンの指示もあるのではなかろうか?これだけ音が分散せず、凝縮されて、なおかつ透明で、美しい演奏は今年のオーケストラ演奏会の中でも3本の指に入るものだと思った。

 まず未完成。ノリントンによる演奏は初めてだ。1楽章は静かに始まる。まず澄明な高弦が耳に入る。木管と弦との透明感がたまらなく良い。聴いた印象はクールだがまるで青白い炎が燃え盛るような熱気も感じる。2楽章はちょっと意表を突かれた。1楽章の延長かと思いきや、ステップを踏むような浮き浮きしたように音楽が入ってくる。この楽章は崇高な印象の音楽だと思うのだが、そういうものはみじんも感じさせない。そのまま速いテンポで最後まで押し切ってしまう。中間のコラール風の主題も一陣の風のようだ。これは今まで聴いたことのない音楽だった。ただ好みとしては1楽章のスタイルのほうが好きだが!

 ザ・グレートはもうCDで何度も聴いている。このノリントン/シュトットガルトの演奏は昔からの愛聴盤のベーム/ベルリンや最近聴きだしたフルトヴェングラー/ベルリンの演奏とは対極のものだ。ベームで聴くと滔々と流れる大河のごとく、音楽が一本の流れのようにつながって聴こえるが、ノリントンだと極端に云えばプツプツ切れて聴こえる。音楽は静かに流れなくて、暴れたり、とび跳ねたりする。例えば1楽章の冒頭のホルンは、テンポも速く、まるでスタッカートのように歯切れがよい。ただ今夜の演奏はCDで聴いた印象とは少々違う。CDは2001年だからもう13年も経っているのでその間のノリントンの変化だと思う。簡単に云えばCDほど音楽は過激にとび跳ねたり、テンポも速くない。それでも演奏時間は46分強だからベーム(50分)よりも随分早い。CDの演奏時間は50分だが、これは反復を行っているためだろう。聴いた印象は今夜の演奏よりものすごく速く感じる。一方今夜の演奏の、特に1楽章と4楽章はCDよりも気分的に切迫感がなく、ゆったりと聴こえる。音楽はプツプツと切れなくて、ベームなどのように素直に流れる。これは誠にモダンオーケストラによるピリオド奏法の模範の様な演奏である。
 
 しかし一筋縄ではゆかないのがノリントン。2楽章は未完成で感じたような演奏になっている。この楽章はベームやフルトヴェングラーは音楽がゆったりと流れるが、ノリントンはまるで舞曲のように、ステップを踏んで入ってくる。テンポはかなり速くまるで違う音楽のようだ。フルトヴェングラーとは6分近くも違うのだ。アンダンテ・コン・モートという表記は未完成の2楽章と同じだが、同じような印象を与えると云うのも興味深いことだ。
 3楽章も2楽章と同じである。スケルツォは表記通りアレグロ・ヴィヴァーチェに聴こえる。この快速ぶりは心地よい。しかも中間のトリオになっても全然テンポを緩めない。しかしそうなってもこのトリオの美しさや、何とも云えない懐かしさ、せつなさを十分感じさせる。
 すでに記したように4楽章はテンポも2-3楽章ほど速くなく、堂々たるもので、この名曲の終曲に相応しい。感動的なものだった。