2014年7月20日
於:サントリーホール(1階17列中央ブロック)

都響スペシャル
指揮:エリアフ・インバル

マーラー「交響曲第十番」(デリック・クック補筆による、草稿に基づく演奏用ヴァージョン。

十番の交響曲は未完ではあったが、略式総譜という形で5楽章が残されたという。一部総譜草稿も完成していたという。それをクックがまとめて1964年初演された。それが第1稿である。その後1976年に第2稿が出版された。今日の演奏はこの2稿だと思われる。ということであるからおなじ未完成とは云えシューベルトの七番やブルックナーの九番、モーツァルトのレクイエムとは少々異なる。

 インバルのマーラーチクルスはこれで完結した。しかし最後を飾るに相応しい実に圧倒的な感動をもたらす演奏だった。特に最終楽章の素晴らしさは筆舌尽くしがたい。
 1楽章のヴィオラのモノローグ~すこぶる美しい第1主題を聴いた限りでは美音が支配した演奏のように感じられたが、後半の金管のつんざくような不協和音はそのような夢を破り、絶望をもたらす。そう、決して耽美的な演奏ではなくむしろマーラーの心の旅路のような演奏だ。2楽章は心の闘争の様で特に終結部では都響/インバルの演奏は一瞬、絶望を忘れさせるくらい痛快だ。
 2楽章が終わった時点でインバルは数分指揮台を降り、ステージ裏へ。3~5楽章は休みなく演奏される。3楽章はブルガトリオと名づけられている。これは煉獄という意味だ。わずか5分程度の曲だがインバルはさらっと演奏している。しかしこの音楽のもつ不気味さは十分だ。4楽章は過去を振り返る音楽だ。この音楽は七番の交響曲のように私にはなかなかなじめないが、わずかに五番の交響曲の一部が現れるとほっとする。

 そして最終楽章。冒頭の大太鼓の連打は前楽章の最後を引きずっている。この大太鼓と金管の音は聴き手に絶望感を与える。しかしその後のフルートによる素晴らしい主題の演奏、さらにそれを弦が受ける。この部分は心の救済のように聴こえるが、私には憧憬の音楽の様に聴こえる。切望してやまないが決して手に入らないものを欲する気持ちだ。この張り裂けるような気持をフルートが見事に奏する。ここは聴いていて涙を禁じえない。誠に素晴らしい演奏。何度も云うが胸が張り裂けるようだ。その後を受けた弦の美しさも見事なもの。その後アレグロ・モデラートの部分の後、1楽章の美しい主題が弦に帰ってきて、最後に「アルムシ(アルマの愛称)、お前の為に生き、お前の為に死ぬ」と楽譜に記した部分は弦のグリッサンド上昇~下降でこれはマーラーの悲痛な叫びだろう。
 都響の演奏は素晴らしい。特にどれと云えないくらいレベルが高い。5楽章のフルート他の木管の素晴らしさ。2楽章の終結部の金管の機敏な運動量。それと全体に弦楽部がしっとりとしていて、しなやかさを感じさせた。レコーディングが楽しみだ。
                                     
追記:インバル/都響の演奏時間は約72分。これはインバル/フランクフルト盤とほぼ同じ演奏時間である。今日(21日)そのCDを聴いてみたが最終楽章の感動は都響のほうが大きいように思った。これはライブと言うこともあろうが、あの感動的なフルートは都響のほうがずっと胸に迫るのである。なおフランクフルト盤は録音が実に素晴らしい。楽器の配置は隅々までわかるし、全体のバランスも良好である。クック盤の演奏をすべて聴いたわけではないが、このインバル盤があれば十分以上であろう。〆